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特攻の君へ。
なべさんは、見た目が60代の若々しい特攻隊の生き残りだった。当時の実年齢は80代後半。私が30代だった頃の元彼だ。
若々しいのに、なぜか毎回バイアグラを飲んでいた。みたこともないような大きなカプセル。正規で医師に処方されたものではなく、ネットで韓国製のよくきくやつを頼んでいる、と言っていた。
そんななべさんは、本当に優しくて、勉強熱心な人だった。
70代からはじめた、というパソコン(ノートパソコン)をなぜかデートのたびに持参。
なべさんが小学生の頃、アルファベットやカタカナは黒塗りにしなければならなかった時代なので、なんとなべさんはアルファベットを覚える所からのスタートだったといった。凄いな。
なべさんが戦争にかりだされたのは、14歳の時だったときいている。しかも、特攻隊。
どこの部隊か詳しいことは失念してしまったが、なべさんが特攻すると決まった前日に戦争が終結。なべさんは、死ぬことなく、生き残って両親も兄弟も死んでいなくなった故郷に帰ったという。 それからの人生が凄まじく、ひきとられた親戚にこきつかわれ、殴られ蹴られ、寝る間もないほど働かせられたという。まだ十代なのに。辛くて辛くて、死んだほうがましだと毎日思いながら過ごしていたという。食べ物にも苦労し、水は本当に雨が降った後の泥水をすすっていたとも。
バイアグラが効果をあらわすまでの一時間の間、そんななべさんの戦中戦後の話しをきくたびに、私はボロ泣きであった。 ちなみにその時、私は正座にパンイチ姿。
戦争が憎い。戦争だけはしちゃだめだ、と思わずにはいられなかった。悲惨な話しをきけばきくほど、強く思った。
おかげで、せっかくバイアグラがきいて、いざことにおよぶ場面がきても全く集中できない私。戦争の話しを思いだしてはずーっと泣いていた。なべさんはというと、さすがというか、気持ちのきりかえが早かったけど。戦争いった人のメルタルの強さよ、と思うなどした私。
アルファベットを覚える所から勉強をしはじめたなべさんは、3年かかって、なんと自分の会社のホームページまで作成するほどまでになっていた。
デートのたびに、そんななべさんの成果をみせられる私。なべさん、すごーい!キャッキャしながら心から尊敬の念を抱いた。
楽しかったし、気前はいいし
優しかったんだけど、結局、私からなんとなくフェードアウトしてしまった。
なべさん。生きてたら、今は90歳代ですね。お元気ですか?
私は今日、靖国神社で戦争の歴史や、特攻兵器をみてきました。
なべさんの顔を思いうかべながら。
あんな、とち狂った人間爆弾兵器で訓練させられて、戦争にいかされて。怖かったでしょうに。
そう思ったら、泣けて泣けて、涙がとまりませんでした。
なべさん。
生き残ったことを恥じていたけど、鋼の根性で生きてくれてありがとうございました。
なべさん、プレゼントにくれた、裏DVD、私、まだ大切にとってあります。 全部洋物でしたね。
なべさん、バイアグラはちゃんと医師から処方してもらってね。バッタモンつかまされたら心配だから。
なべさん、どうか、まだご存命でありますように。
戦争絶対反対。英霊になんてならなくていい。
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