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メンヘラからのタイ〜お金編〜②
前回からガラッと暗い雰囲気漂う内容にはなってますが、書いてる本人は全く気にしてないので読まれてるみなさんも気にしないでくださいね✨
なぜ、赤裸々に書くかって…
やっぱり同じような状況、境遇で苦しむ人って沢山いるんですよね。
『こんなやつでも行動すれば変わるんだよー!』ってとにかく伝えたい。
あと、『生きてればなんとかなるから大丈夫ー!』
ネガティヴのスパイラルから抜け出せばいい。
抜け出す方法は嫌なことには関わるな!
海外へ行け!(余計なこと考える時間マジで減る)
知らないところへ行け!
美味しいもの食べて!
体動かして!
深呼吸して!
瞑想して!
まだまだあるけど省略。
ここから本題へ
兄の助言通り、結婚した。
2011年3月、あの大震災をきっかけに付き合った歳上の知り合いだった人と一年付き合って、結婚して一年で離婚した。
このプロセスが非常に大きい。
結婚してくれてありがとう。
そして離婚してくれてありがとう。
結婚して実家からすぐ近くのとこへ住んだけど、実家から出た事でずっと抱えてた(何かからの縛り)が無くなった。
不思議なことにすごく楽になった。
そこで一つ、自分を苦しめていた自分への制御がわかった。(それは前回の記事で)
解決方法はまず家を出ることだったらしい。
夫婦間の問題は…
無いとは言えないけど…
離婚した理由はとある病気になった事によって色々な気づきを得たから。
結婚したんだから子ども作るべきだよねって。
子ども作る準備してた。
妊娠すると歯がボロボロになるって聞いてたからその前にしっかり虫歯チェックやメンテナンスしておこうと歯医者通ったりしてた。
そんなある日トイレ行くと茶褐色のおりもののようなものが『ピュッ』っと出た。
気にしだすとずっと気になってしまう性格。
当時の旦那さんはそれをわかって
『病院に早く行っておいで』って言ってた。
でも産婦人科に行くのが恥ずかしい年齢。
今までも行った事はあるけど、やはり恥ずかしい。
なかなか行かなかった。
ある日旦那が珍しく早く帰ってきた
『まだ病院開いてるから検査しに行こう!一緒に行ってあげるから。』
連れ出されて病院へ来た。
検査項目はやっぱり子宮頸がんとかだったと思う。
『検査結果は来週の〇〇日以降にわかるので来てくださいね』って言われて自分の仕事休みの水曜に来る予約をした。
その当日、だるくて起き上がれないんですよね。
そもそもその頃1ヶ月おきに原因不明の高熱出して、(どんだけ自分は体弱いんだろう)って思ってた。
もしかしたら今思えば自分の中で何か戦うために高熱出していたのかなって思ってしまう。
だるくて起き上がれなくて病院に行けない。
電話して、だるくて起きれないので土曜日に行きますと伝えた。
そして土曜日、姉と岩盤浴とカラオケ行こうって約束があったのでさっさと検査聞きに行って遊び行こうと思ってた。
朝イチで検査結果聞きに行った。
そしたらなんと当たってしまった。
予想外の展開だった。
まさかね、まさか本当に。
症状はほとんど出なくて見過ごされることの多い子宮頸がん。
私は自分の体に敏感だから、茶褐色の血のような物がきっかけになった。
色々説明されて
『高度異形性でも子宮頸がんに近い可能性がある。ここでは調べられないので大きい病院に紹介状出しとくのですぐ調べてください。』
『日赤病院とがん専門の病院どちらがいいか?』
迷わず日赤を選んだ。
(がん病院なんて、自分ががんみたいで嫌だ)
その日待合室で待ってる時に頭が真っ白になってた。
第一に親になんて言おう。
その頃はメールが主流だったので、親にとりあえずメールした。
(うそ…大丈夫。大丈夫だからね。)
確かそんな感じの親から返信があった。
当時の仕事先の先輩にもメールしてこういう事情で月曜日仕事行けないですと。
そして、姉。
(家で暗くなってても仕方ないから、岩盤浴行って体温めたらガン消えるかもしれないし予定通り遊び行こう!)と伝えた。
岩盤浴行ってる間に仕事先の先輩から電話来てた。
まさかこんな時に呑気に遊び行ってるとも言いにくいのでとりあえずロッカーだと人の声もあるのでトイレへ行ってこっそり電話に出た。
(大丈夫か?)ととにかく心配そう。
よく熱を出していたので、もしかしてそれが原因だったのかなって話してた。
その日はそんな感じ。
帰ってきた旦那が1番パニックだった。
『だから早く病院行けって言ったのに!!』
『今それ言っても仕方ないでしょ!なんで私よりあなたがそんな不安なってるのよ!』
起きてしまったことは仕方ない。
なってしまったものは仕方ない。
どう過ごすかだよね。
精密検査の結果。
子宮頸部上皮内ガンだった。
ついてるよね。ほんとついてる。
手術とかってそこを切るだけで済んで、抗がん剤とかも無し。
『このまま進行するだけなので切ってしまいましょう!』
あっという間に入院する日程が組まれた。
病気を見つけるきっかけになったのは元旦那。
思えば10代の頃大量に不正出血したこと2回ほどあってその時は病院行ってたけど結果までは聞きに行かなかったんだよね。
この結婚が超初期の子宮頸がんを見つける最後のチャンスだったみたい。
散々見つける危険信号があったのにスルーしてきた。
(この若さで病気を見つけるなんてラッキーだったね。)
ほんと、ラッキーだった。
そのラッキーを更なるラッキーに変える事ができた。
ガンとついた分、通常より保険が降りたんです。
いつかタイに行きたいとか、講師認定取りたいとかって頭の片隅にあるものの
(お金が無いから行けない)
って結構理由の一つにあるんですよね。
だから私は都度払いで講習対応してるのもある。
だって、いっぺんにお金払えない子もいるから。
お金が無いという理由でやりたい事始められないジレンマを私のところで一つ解消してくれたらいいと思ってる。
そして、その分無理せず他のことでいろんな経験積んでほしいとも思ってる。
私はね、保険が降りた事によりその夢が現実化したんですよね。
(必死で寝ずに仕事して貯めました。みたいな話じゃなくてすみません。)
(これでタイに行ける!!)
病気になった事で、命と時間とお金を意識するようになった。
もっと自分を大切にする事、時間を大切にすること、お金を大切にすること。
大きな大きな心の変化がここで生まれた。
(まだタイに行ってないのに死ねない)
それからグルッと自分軸になったのかな?
離婚を申し出た一つの理由は
やりたい事をやりたいから。
結婚という一つの縛りはやはり自分の中では要らなかった。
急に時間がもったいないと思ってしまったのかもしれない。
その当時の細かな感情はあまり覚えてないけど、
『自分の人生は自分のもの。』
そんな気持ちだったかも。
他人軸だった自分が、自分のものだ!って主張できるようになった。
やはりこの結婚のプロセスは大きい。
もう一度伝えたい。
結婚してくれてありがとう。
そして離婚してくれてありがとう。
命救われて、自分を取り戻すキッカケになり、自信をつけさせてくれて、そして自由にしてくれた。