好きな本を紹介したいです! リンドグレーン「はるかな国の兄弟」
わたしは、これがもう好きでたまらない!といった感情を抱くことが多くないので、ときどき、自分は何事にも無関心な人間なんじゃないか、自分に好きはあるのだろうか、と思うことがあります。でも、それは、一歩後ろに下がったところから物事を眺めがちな、そういう自分のクセによるものなのではないか、とも、思ったりしています。
そして、思い返してみると、自分にもやっぱり好きはあるみたいなのです。それも、ばりばりあるみたいなのです。ああ、やっぱ好きだなあ〜、いいな〜、と、たまらない気持ちになることも、やっぱりあったのです。
今回は、わたしの好きなお話、リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳)を紹介したいです。最後にこの本を読んだのは、もう少なくとも一年以上は前なので、細かいところは忘れてしまっていますが、自分の中でとても印象深く、ああ、やっぱり好きだなあ、と心にしみて思う物語です。
(以下、内容に触れています。)
初めて読んだときは、どんな話なのか、まったく知らずに読みました。
まず、ページを開いた瞬間から、主人公のカール・レオン(クッキー)の語り口に、一気に物語の中へと引き込まれます。印象的なのは、兄ヨナタン・レオンの存在です。(このお話に出てくるキャラクターは、どの人物もそうなのですが、とくに強烈な印象を与えるのは、ヨナタンかなと思います。)クッキーがヨナタンを想う気持ち、そして、ヨナタンがクッキーを想う気持ちは、この物語で最も重要なポイントの一つ、といってもいいかもしれません。
ヨナタンが遠くへいってしまいそうなとき、そして、遠くへいってしまったときの、クッキーの心細さが、もう手に取るように伝わってくるのです。とにかく、二人が永遠に別れ別れになってしまうような展開にだけはならないで欲しいと、手に汗を握り、どきどきはらはらしながら読んだ覚えがあります。
なので、このお話の終わり方には、とくに賛否両論があり、人によって考えはいろいろだと思いますが、クッキーにどっぷりと感情移入していたわたしは、ほんとうに、ほっとしました。ああ、そうだ、その手があるじゃないか! と、救われた思いでした。一番恐れていた最悪の終わりにならなくて、ほんとうによかった! だって、クッキーにとって一番重要なのは、ヨナタンと離れ離れにならないこと、一緒にいることだったんですから! わたしは、どんな手段を使っても、大好きな人と一緒にいたい、というクッキーの気持ちに、ひどく共感してしまうのです。大切な人を失い、それでも前を向いて生きていく、という終わりも、お話としてはあると思いますが、このお話のように、大切な人と一緒になって終わるというのも、またありだと思うのです。
(この最後は、いつもヨナタンに頼り切り(と自分では思っていた)クッキーが、ヨナタンに代わって勇気をふりしぼる、つまり、大きな成長をみせる、重要なシーンでもありますよね。)
わたしは、クッキーとヨナタンは、きっとナンギリマで一緒になれたのだろうと、そして、きっとお話と冒険の平和な世界で、幸せに過ごすことになったのだろうと、そんなハッピーエンドを想像します。
また、この物語の魅力としてとくに書いておきたいのは、始めから終わりまでを通してひしひしと伝わってくる、生きていること、生きることの、喜びと素晴らしさです。この物語の背景には、「死」があります。そして、多くの「死」が語られています。その「死」と対比をするように、「生」がくっきりと浮き上がってくる、というのもあるのかもしれません。
ナンギヤラも、ナンギリマも、美しく素晴らしい世界です。けれど、地球は、ずっと遠くの宇宙をうごいていて、ここからは見られないよ、と、どこか悲しげにいったときのヨナタンの言葉が、ずしりと胸に響いてくるのです。今、こうして地球上で息を吸っていられるというだけで、ほんとうに幸せで、恵まれていることなのだなと、身にしみて感じられます。
とはいえ、ナンギヤラも、ナンギリマも、ほんとうに素晴らしい世界であることに変わりはありません。この物語が書かれた時代には、クッキーのように、幼いうちに死ななければならない子どもたちが、今よりもずっとたくさんいたのではないかと想像します。そして、リンドグレーンは、ヨナタンがクッキーにそうしたように、そんな子どもたちの心に、大丈夫、ナンギヤラがあるよ、と、優しく手を差し伸べてやりたかったのではないかと、想像します。
ナンギヤラやナンギリマの存在は、そんな子どもたちに、いや、すべての時代を生きるすべての人たちに、ほんのわずかでも、希望と救いを与えるものなのではないだろうか、と思います。それは、ほんのわずかな慰めにしか、ならないかもしれませんが。どうあがいても、どうにもならない、逃れることのできない運命。どんな高度な技術をもってしても乗り越えることのできない、「死」というものを、物語でなら乗り越えていけるのです。リンドグレーンには、そんな、物語のもつ力の偉大さを、まざまざと見せつけられたような気がします。
このお話の魅力は、ここまでで書いてきたようなものばかりではありません。ひとつひとつを挙げていると切りがないくらい、他にも、まだまだたくさんあります。(なにより、このお話のメインテーマの一つともいえるであろう大きな事柄に、ここではまったく触れていません。)
とにかく、訳者さんの技量はかなりあると思いますが、文章、描写、美しいです。世界観、表現力、圧倒されます。そして、食べ物がおいしそうです。リンドグレーンのお話を読んでいると、日常のささやかなひとつひとつの愛おしさに、そして、そのひとつひとつへの大きな喜びに、改めて気づかされるのですよね。
書いていたら、(書くために、ちょっとページをぱらぱらしたりはしましたが)また、読みたくなってきてしまいました。忘れている部分を思い出したら、まだまだ、書きたいことがたくさん出てきそうです。気づいていないところや、考えの及んでいないところも、たくさんあると思います。時間の許すかぎり、何度でも、ゆっくりじっくり味わい、いろんなことを考えてみたいです。(といって、あまりたいしたことは考えられないのですが……)
本文より
「わたしが海で死んだなら
いとしい人よ ある夕(ゆうべ)
雪のように白いハト一羽
おまえのうちに 飛んでいく
そしたら おまえの窓ぎわに
わたしの魂がいるのだよ
いとしい者に いだかれて
ほんの一時 やすもうと……」
「そしたら クッキー ぼくはわかる
きみの魂がいるのだと
いとしい者に いだかれて
ほんの一時 やすもうと……」
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