自分で産む覚悟
自己紹介
はじめまして
22歳から母やってます。
子どもの頃の夢は、
「美容師」「動物園の飼育員」「お母さん」
で、美容師兼トリマーのシングルマザーを39歳までやってきました。
デキ婚2回、離婚2回。こどもは3人。
今はシングルマザーも卒業して、シングル生活。
こどもたちはそれぞれパパの元で暮らしていて、シングルファザー応援してます。
今日伝えたいこと
出産は、日常で見逃してることをたくさん氣づかせてくれる神秘と現実の両極を兼ね備えてるということです。
ストーリー
なぜわたしがそこに氣づいたかというと
1回目と2回目の出産の大きな違いと
3回目もさらなる成長となった経験から
「おわり」はないと感じたからです。
たくさん伝えたいことがある中で
今日は
1回目のお産のネガティブ経験からの
2回目のオーガズム出産までのストーリーを
みなさんにシェアしたいと思います。
22歳で
付き合って間もない彼との間に授かった長男。
当時、田舎から大阪の都会に出て、闇の社会を目の当たりにしてました。
社会のルール、お金、人間関係、知らない世界を知って善悪の概念がエラー状態。
美容師の夢を叶えたもののハードワークと精神的ストレスで崩壊寸前。
もう逃げたい
と思ってたところにやってきてくれた長男のおかげで、仕事もやめて、結婚もできて
安心安全な家庭の中で生きていけると思って
ほっとしていました。
しかし
理想の結婚生活とはほど遠く…
ストレスを抱えたまま、出産を迎えたわたしは
自分でいろいろ調べて、自分で助産院を選んで通っていたにも関わらず
予定日から1週間も遅れてギリギリメンタルの中
破水から始まったお産は
三連休の初日。
助産師さんから出た言葉は
「48時間以内に産めないと病院搬送」
「三連休だから受け入れ確約できない」
「土曜日の午前中(今)なら確実に受け入れ可能」
からの
「どーする?」
で、わたしはメガテン。
どーする?ってなに?
わからんし。
助産院で産みたい!!
けど産める自信あるかもわからん。
うめなかった時のこと考えたら不安やし
病院の受け入れ体制は確実にほしい。
でも病院知らん人ばっかりやし
病院きらいやし
助産院で産みたかったのに
自分で決めて責任を負えるメンタルがなかったわたしは、判断を助産師さんに委ねました。
(ここポイントね。)
助産師さんの判断は
安全を考慮して総合病院に入院して産むことになり、
人に決めてもらったわたしは
入院させられました。
(自分でしてるんだけどね。)
結局
その日の晩にしっかり陣痛がきて
破水から24時間でなんなく生まれてきた長男。
会陰マッサージを頑張ってたのに
「切りますねー」
と有無を言わさず会陰切開され
(いやだと言わなかったのはわたし)
産まれてすぐ抱っこしたかったのに裏に連れて行かれて不安と疑いがさらに増し
(ここでも言わなかったのはわたし)
産まれた喜び以上に
悲しみ、不安、不満、疑い、恨み
いろんな感情が息子とともに出てきました。
産後の入院生活も泣いて泣いて
会陰切開の縫合部分が痛すぎるし
おうちに帰りたい…と
メンタル崩壊してたところに
退院予定日に黄疸発覚。
紫外線照射のため一緒に退院できないと告げられ
離れる辛さをあじわった2日間。
生きた心地がしなかったからあまり覚えてない。
夜中おっぱいを絞って、冷凍して朝病院まで持っていく。
完全母乳を希望してたのに、入院してる息子はミルクを飲んでて、また泣く。。。
わたしの希望とは裏腹に
勝手にことが進んでいくような感覚。
どんどん分離していきました。
黄疸もおさまり、無事に退院できたものの
病院に対して感謝の言葉は伝えながらも
完全に念はうらみw
言えなかった分、うらみの念を飛ばしまくって帰ってきました。
そこから10年後に2人目の出産になるんですが
その間に離婚して
2度目のデキ婚からの出産でした。
長男のときのトラウマが
どっさりと出てきたうえで、
「自分で決める!!」と離婚の経験などからも
「決断を人に委ねる」ということをやめました。
わたしが選んだのは、自宅。
助産師さんに、自宅に来てもらって
家族に囲まれて産みたい。
なにかあっても、自分が責任を負う。
できる限りのことはする。
おうちに帰りたいってなる前におうちで産めばええやないか。
この覚悟ができたのも
1回目のネガティブ体験があったからこそだと思ってます。
言えなかったこと、自分の希望を
しっかりと伝えて
疑問に思うことはすぐに質問してクリアに。
これって
ほんとに日常的にできてるかどうか
ってところなんですよね。
22歳のわたしは
普段から疑問をひとりで抱えがちだったし
ひとりで解決しようとしがちで
人に話すこともあまりしてなかった。
人と違う意見を交わすことを避けてた感じでした。
我慢してることにも氣づかず
氣づいた頃には爆発寸前。
メンタル崩壊
やばい奴やったんです。
そんな人間が母親になったもんやから
長男にはたくさんのことを教えてもらいました。
未熟やからこそ母になるんだなと。
ママを人間として成長させてくれるために
ママのところに来てくれた3人のこどもたちに
感謝が溢れて
そんなこどもたちを授けてくれたパパたちにも
感謝が溢れています。
2人目のお産は
それはそれは気持ちのいいお産で
呼吸と陣痛が相まった瞬間にエネルギーが頭上に突き抜けていく感じたことのないオーガズムを経験することができました。
1回目の経験から
このオーガズム体験をさせてもらえたかと思うと
病院に恨みの念を放ったことが本当に申し訳ないのと、今では感謝に変わっています。
長男は黄疸ですぐに退院できたけど
NICUには低体重や他の要因で1ヶ月以上入院してる子も目の当たりにしました。
自分は幸せじゃないか
無事に産まれてきてくれただけでも
この腕の中に抱いて、泣いてても笑ってても
ママのところにきてくれて
今では17歳と7歳と4歳
それぞれ元氣に育ってくれてる。
幸せに氣づくのに
だいぶと時間がかかったけど
3人がかりで教えにきてくれて
ママはようやく自立しました。
自分で自分を満たしてあげる
あなたたちがいない人生は、ぽっかり穴があいたような感覚で、崩れてしまいそうだったけど
それぞれがそれぞれの幸せのために
共に成長していってると思うと
本当の意味で満たされた感覚になります。
母と子は、とても深いところで繋がっていて
そこは未知の世界です。
わたしは今こどもたちと離れて暮らしていますが
幸せです。
こどもたちもこれから
たくさんの人生経験を経て成長していく中で
その成長を共に楽しんでいける関係に
なっていきたいと思っています。
3人目のお産ストーリーは
生命と使命と向き合う
そんな体験でしたので、また機会があれば
お伝えしたいな思います。
ありがとうございました。
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