ニット帽をタワシに編み変えることで人生に無駄はないと気づく件。
こんにちは。最近めっきり涼しくなり、飼い猫が私の膝によく乗ってくるので脚が痛くてしょうがない井上たまです。こちらは下僕ですから拒否権はありません。どうしても動かないといけない時は動かすので、ご機嫌損ねますけれど……下僕は幸せでございます。とほほ。
まあそれはそうと。押し入れの片づけをしていたら、使っていないニット帽が出てきました。10年ほど前に編み物の通信講座を受けていまして、講座の課題作品として編んだものでしたがデザインがイマイチで使わないままだったのです。
そのまま処分してもよかったのですが、なんせもったいない精神の塊の私は毛糸をほどき、台所で使うアクリルタワシに編み変えることにしました。
編むのはそれほど時間はかかりませんが、まずほどくのにひと苦労。するすると ほどけてくれる編み地ではなかったので時間をかけてほどき、編みぐせがついて縮れた毛糸を棒針で適当なサイズに編みました。
通常、アクリルタワシはアクリル100%の毛糸で編み、くったりする位までは洗って繰り返し使うもの。しかし私が今回使う毛糸は少しウールが入っていてカビやすいので、ほぼ使い捨てにする想定で編んでいます。なのでとっても雑に編んでいますが、それでも手編みなりの時間はかかります。
時短重視の人からしたら考えられないほど無駄に思えることであろうと思います。しかしもったいない精神の私としては、あのタンスの肥やしだったニット帽をゴミにする前に一段階、有効利用してあげられる喜びがあるのです。結果的には大概のモノを焼きつくしてしまう、大阪の高温ゴミ焼却炉で焼かれる運命は同じであっても。
中年の歳まで生きてきて、いろいろ頑張ったけどあれは無駄だったのかもしれない、あんなこと挑戦しなくてもよかったのではと思うことはいくつもあります。
でも、全てやってみなければ分からなかったこと。そう思うと、ありきたりの表現ではありますが人生に無駄なことは一つもないのだと、タワシをちまちまと編みながら思う秋の夜。
もしあなたが、あれは無駄だったのかもと思うことがあるとしたら。時間がたつと視点が変わる可能性があるのを、否定しないでもらえたら私は嬉しいです。今すぐ、あれは無駄じゃないと思わなくても。
今日も読んでくださってありがとうございます。井上たまでした。