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戎橋を洗って徳川一族の偉大さに気づく。

こんにちは。2日後になって肩と背中と脚に筋肉痛が襲ってきている井上たまです。では2日前に何をしていたのか。大阪の道頓堀川にかかる、戎橋(えびすばし、通称引っかけ橋orナンパ橋)を水とブラシで洗うボランティア活動をしておりました。

戎橋とだけ言われても分からない方がいるかと思いますが、江崎グリコのサイン看板があるところ、と言えばお分かりになるでしょうか。朝早くから観光客がこぞって記念写真を撮っていました。

この戎橋では年に2回、地元の商店街関係者やボランティアなどで橋洗いを行っています。清掃後に、関係者の方が戎橋の歴史を教えてくださいました。

道頓堀川は、豊臣秀吉の時代に成安道頓(なりやす どうとん)という人物が開削を指揮したと言われる、人工的に作った川です。船での輸送、田畑への水の供給、掘った土を利用しての土地開発などの狙いで掘り始めたようです。

しかし掘っている途中で大坂冬の陣、夏の陣があり、秀吉のもとに駆けつけ参戦した道頓は討ち死にし、川の工事は中断してしまいます。

時代は徳川家康の世になり、戦後復興を任された松平忠明(摂津大坂藩主)のもとで川の工事は再開し、道頓堀川が生まれることになりました。この川の存在はその後の大坂の発展に寄与します。

この時に「豊臣がやったことは全部やめてしまえ!」と徳川家康や松平忠明が命じていたら、この町の発展はもっと小規模なものになっていたでしょう。有り難い英断やったなと思います。

もちろん、他にもたくさんの名もなき人々の支えのお蔭で戎橋は今も多くの方々に利用されています。架け替えを経て、今は15代目の橋だそうです。もし大坂、じゃなかった、大阪にお越しの際は、ぜひ戎橋界隈にもお立ち寄りください。大阪名物がひしめくスポットです。

ちなみに、清掃ボランティア後に集合写真をグリコ看板の前で撮ったのですが、45年も大阪人として生きてきて初めてグリコ前で写真撮りました(^^;)地元民は撮らないのよ、普通にあるもん…、撮りたい方はどんどん撮って思い出にしてくださいね。(この記事の写真と、2024年10月現在の戎橋周辺の看板は異なります)

今日も読んでくださってありがとうございます。井上たまでした。

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