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共生社会? パラリンピック開会式

感動した人も、楽しんだ人も多いのではないでしょうか。パラリンピックの開会式。オリンピック開会式が期待外れだった分、なんとなく想定内なイメージで丸く収まった。そんな感じでしょうか。

個人的には、布袋さんが登場したのでノリノリでした。

しかし、それとは違う別の次元の話をしましょう。


ストーリーや演出は、作り手の価値観や世界観が反映されます。その価値観、世界観について、ここでは取り上げたいと思います。

見なかった方のために、あらすじをお伝えすると
皆が生き生きと飛び回るエアポートで、主人公の片翼の飛行機(少女)が、飛び立てずにいます。そんな時、トラック(青年男性)と出会い勇気をもらい、片翼のまま飛び立つ。そして、空を飛ぶ。

ざっくり過ぎるかもしれませんが、そんな話です。

まず細かいことから話すなら、年長者がより若い者を、男性が女性を 導くというのは封建社会から平成までの長い歴史で育まれてきた固定観念を引きずっている様に感じました。あるいは、神話の時代から物語を構成する要素として教科書的とも言えます。

すでに若者を通り過ぎた私としては残念ですが、令和の時代は若者の方が技術を使いこなし、より倫理的、広い視野でのビジネスや活動を作り出しています。生きてきた年数では、図れないものが多い。あるいは、それだけ社会が良くなり、教育に成功している、という言い方もできるのかもしれません。

男性が優位な立場、見地ある立場から女性を導きたいのも、脈々と引き継がれてきたマインドのひとつです。

そのような手垢だらけの価値観から卒業するのが多様性だったり共生社会ではないかと思うのですが、無意識に刷り込まれた役割というものがここに現れていると感じました。


次に本題に移りましょう。
この物語では、主人公である片翼の飛行機は、勇気をもらって飛び立ちます。片翼のまま。

片翼のままでは飛べないという現時点での科学的客観的事実を無視していることがとても気になりました。
例えば、勇気を出して協力者を募り、みんなにもう一枚翼を作ってもらう・・というのならわかります。装具を作るみたいなイメージです。

もう少し演出を考えるなら、欠けた部分の翼を持っている、もう1人の片翼の飛行機と手を繋いで・・というなら、ちょっとロマンチックな恋愛っぽいハッピーエンドで飛べるかもしれません。しかし、これは障害者同士という閉ざされた世界での助け合いとなりますので、あまり共生社会や多様性とは受け取れません。

この物語では全てを主人公の飛行機が背負っています。片翼で飛ぶという命懸けの行為を、まわりは励ますばかりでした。これでいいのでしょうか? 

片翼でもなんでも、勇気さえあればなんでもできるんだよ!
科学的に不可能だと言われていても、気持ちさえあれば奇跡は起こるんだよ。

これって本当ですか? 
もし本当なら、翼を持たない人間も勇気さえあれば生身で飛べることになります。あなたは飛べますか? 飛びたいと思いますか? そんな無謀をまわりに応援されたいですか?

勇気があれば、片翼でも飛べる! とは、一見感動的なようですが、障害者が何かできないのは、あなたの勇気が足りないせいだよ。の裏返しでもあります。

それでも、日本の社会がもっとダイバーシティだったら。職場には当たり前に障害者が一緒に働いているような社会だったら、また違った見方もできるのかもしれません。

しかし、仕事はおろか、外出もままならないのが現実です。開会式の物語でも、まわりで自由に飛び回る飛行機が、片翼の少女を助ける場面は見受けられませんでした。

トラックに勇気はもらったものの、少女は己の心と戦い、ひとりで片翼のまま飛ぶ決意をしなければならない。高リスクなまま。

障害者が何かする度に、物凄い決意をして、命懸けで、感動ストーリーが生まれる。それが共生社会なのでしょうか? 

共生社会とは程遠く、自己責任で済まされている今の日本が描かれている。

パラリンピック開会式、私の目にはその様に映りました。
あなたはどのように見ましたか?




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車椅子安全利用コンシェルジュ 久内純子
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