日々の鬱々としたあれこれ | 哲学
こんにちは。くるくるぼっちです。
ここ最近、めちゃくちゃ鬱です。まあ、わたしの人生において鬱じゃない時の方が少ないってくらい人生憂鬱です。
今日はひたすら鬱々としたことを綴ります。
書き殴りです。
きっとストレス溜まっているのです。行きますー!
苦手なんです! 人付き合いが!
はい。憂鬱ポイント一番の「人間関係」です。
本当に、死ぬほどストレスです。実際には死んでいないので死ぬほどは言い過ぎました。でも本当に上手くいった試しがない。たぶん。
なんだろう。
わたしが悪いのか。世界が変なのか。
と思うくらい、人類の98%は相性が悪いと思っています。どんだけ。
曖昧なのわかんないよ!
曖昧な言い方や、社交辞令、お茶を濁した言い方、ビジネスメールの形式的なやつなどなど、何が言いたいのかわかんないやつが苦手です。
新しい人と仕事した時に、
って言われて、説明の中に何が含まれているのかわからず、
「説明の中には何が含まれていますか? ◯◯さんたちの中だけで認識している説明の中身はわたしにはわからないので具体的に何を指しているのか言ってもらえると助かります」
と、わたしはかなり具体的に直接的な言い方をしてしまいます。(やっぱり、これはイラっとするの?)
他にも、
と言われたら、
「今言った、デバックとは、こうこうこういう行為のことを指してますか?」
と確認します。
みんな、自分の頭の中でわかっていることが他の人にもわかると思って話しているような感じですが、共通認識を持たない新入りにとっては通じないことが多いのです。
何度もこのやり取りをして、サンプルを集めて、総合して、その人たちが使う「説明」や「デバック」の中に含まれる具体的な行為について大体、こういうことだろうと目測がつくには時間がかかります。
物事には、定義された言語や事象があります。
でも、時と場合において、それは大体の概念は、そのままだけど、具体的な手段や名称は変わることがあります。
そんな時、概念は理解できるけど、この現場に置いて、その定義は、今わたしの頭の中にあるものと一致しているのか?
ということが、わたしはいつも「わからない」のです。
だから確認したい。けど、しゃべりたくない笑
でも確認しておかないとさ、
「そうじゃないよ!」
と言われて、何度も同じことを繰り返すことになりかねないでしょう。そんなんめんどくさいじゃん!
ああ、でも話しかけに行くのストレスー。やれやれ。どうしたものか。
言語と映像のズレ
実験です!
皆さんはどう、書きましたか?
わたしは、こんな感じです。
はい。みなさんはどうですか?
こんなとか、
こんなとか。
どれもこれも、三角と四角と丸です。
このように、言ってること、頭の中で描いてることはみんな違います。
そこに前提とする、共通認識があれば、みんなが揃う確率は上がります。
ハイコンテクストな日本
なんていうか、これって普通だよね。これって当たり前だよね。って説明しないでもわかるよね。ってことが多いなあと思う今日この頃です。
だって、我々日本人は、同じ言語を話しているし、見た目もそんな変わらないし、価値観とか見てきたテレビとかYouTubeとかそれこそ最近になってみるもの変わってきたけど、共通認識が多すぎて、わかって当たり前とか空気を読めだとか、言わなくてもわかるよね的なことが多い気がします。(ってわたしは日本人なので外国のことを知ってるとは言えないんだけど)
国も違くて、言語も違くて、肌の色も、髪の色も目の色も違ったら、
「ああ、この人は違う価値観の人なんだな」
と思ってちゃんと説明するでしょう?
だけど、同じ日本語しゃべってて、肌の色も目の色も髪の色(これは色々か)も同じだったら、「言わなくてもわかるよね」ってなりがちなのですよ。
まとめ
つまり、ただ、文句が言いたいだけです。ストレス発散です。
ふう。
ちょっとスッキリしたかも。
つまり、人と関わるときにめちゃくちゃストレスを感じるのは、曖昧なことがわからないが故に、コミュニケーションが増えること。
というか、そもそも人としゃべることにストレスを感じるからできるだけ最小限のコンタクトで済ませたいけど、
曖昧な言い方や調子のいい言い方をされるときちんと確認をしなければ、自分の今、理解していることが、相手の言いたいことと合致してるかどうかはわからないので、簡単に「わかりました」とも言えないってことです。
はあ。疲れた。
考えただけでもコストかかりすぎ。
ということで、なんでもないただのコミュ障の憂鬱でした!
ていうかイラスト雑すぎる笑
Podcastやってます。
超絶ひまな人しか聞いちゃダメです。あと、社会不適合者しかダメです。