ありがとう、ジェイ🇨🇴💐
はじめに
1年間お疲れ様でした。スター選手ではない選手を推しているファンからするとシーズンよりも苦しく恐ろしいオフシーズンが始まりました。そんな中コロンビア出身のジャシエル・へレラ投手を推している身としては覚悟を決めた秋、やはりその予想は的中してしまいました。昨年の現役ドラフトでの松岡洸希投手に次いで二年連続好きな選手の放出ということで心が持つわけないですが、まとめてみます。ジャシエルの頭文字「J」からあだ名がジェイなので表記は以下ジェイで統一します。
救世主現る
2022年の埼玉西武ライオンズファームはとにかく投手不足が深刻な問題だった。今では三軍体制を敷けるほどの投手の頭数だが、当時は試合成立のために若獅子たちが腕を振った時期である。
特に5月が深刻で出井が中6日で130球を超えるほどの過酷なシーズンで、中継ぎも佐々木、赤上、松岡らの3〜4人ほどしかベンチ入りしていなかった。
そんなある日、コロンビアから助っ人がやってくる。
その人物こそがジェイであった。西口文也二軍監督が目指す完投型投手で入団会見の4日後の5月24日、イースタンリーグのロッテ戦(ベルーナドーム)でNPBデビューを果たした。2イニングを0に抑えて降板。淡々と打者を抑えた。
ジェイとは関係の無い余談だが、降板後本来先発予定だった出井がリリーフで7回141球の内容。二人のリレーで試合を終わらせた。翌日は浜屋が139球完投、翌々日は中継ぎ3人でブルペンデーと火の車な台所事情はこれでも変わらなかった。
決してマウンドでは笑わないポーカーフェイスは速くないストレートと変化球を巧みに使って打者を抑える。翌週の29日ヤクルト戦(戸田球場)では40度近い灼熱の中登板。課題の残るピッチングとなった。その翌週は甲府で行われる日本ハム戦に登板した。
大幅リードをもらい悠々自適なピッチング。中盤の大ピンチを0に抑えるとマウンド上で大きなガッツポーズを見せ、レフトを守る同じく途中入団コドラドのファインプレーには雄叫びをあげて喜んだ。岡田雅利の満面の笑みを真顔で返す笑わない男が見せた初の笑顔と気概。この瞬間から私はジェイの沼にハマり出すのである。
気温が上昇するにつれて調子もうなぎ上り。ファームの投手陣がコテンパンにされた巨人、楽天戦も好投を見せる。
チームが苦手とする球場の森林どり泉では、初めて9回を1失点に抑え投げ切る好投。支配下期限前に幾度も好投を見せつけた。結果、この7月は月間防御率1.19という成績で終わることになる。
狂い出す歯車
そんな絶好調のジェイが8月から突如姿を消した。9月のファームホーム最終戦にも姿を見せず。音沙汰が消えた。練習場にもいない。自由契約にも名前はない。そんな中、突然のニュースが流れ込んだ。それが母国の隣国ベネズエラの野球チームティブロネス・デ・ラ・グアイラへの入団だった。ベネズエラのプロ野球リーグに属するこのチームは元西武のアレックス・カブレラ氏も所属経験があり、日本とは季節が異なるため、日本がちょうどオフシーズンの季節にリーグが行われる。そんなチームへの突然の入団だった。まず訪れたのは焦燥だった。完全移籍なのか?期限付き契約なのか?全てがスペイン語のため何が何だか分からない。ただ、現地の方のツイートを見る限り彼はそこで成績を残せていないことだけが分かった。リーグ途中からは登板すら消えた。今度はベネズエラで音沙汰が消えた。
そんな不安も杞憂だった。何もなかったかのように彼は再来日。1月のトレセンで汗を流した。
迎えた春季高知キャンプ。開幕に向けて調整をする場であり、ウィンターリーグで結果を残せなかったジェイにとっては課題が山積みのはずだった。しかし彼には時間がない。その理由が3月に行われるWBCのコロンビア代表に選ばれてしまったからである。源田壮亮ら侍ジャパンの選手は急ピッチで大会への準備をはじめ、チームの春季キャンプを途中離脱。同じようにジェイも3月中旬は日本にいないこととなった。また日本のボールとは異なる故に投手であるジェイは楽天松井裕樹が苦しんだような適応も必要なため、キャッチボールは他の選手とはせずに土屋通訳と行った。
無論課題しかない状態で迎えた3月の春季教育リーグ。3月5日の巨人戦(ジャイアンツ球場)で渡米前最後の調整登板を行った。初回廣岡に先頭打者アーチを喰らうと2回も失点。3回には香月にツーランを打たれ、来日後ワーストの3回7失点という結果だった。特に球速が落ち込みストレートも140キロを超えず。甘い変化球を痛打された。強気な彼がみせた弱い一面だった。全ての自信を失ったような顔つきと内容。こんな状態で世界を相手にできるわけない。ただ、しなければならなかった。
コロンビア代表では中継ぎを務めた。3月16日アメリカ戦。1点リードの5回ピンチの場面でマウンドにあげられ、バッターはあのマイク・トラウト。世界中の全ピッチャーがこんな場面でマウンドに上がりたくないと思うはずの場面で、案の定打たれ失点。おかしかった歯車がどんどんずれていく音がした。
再来日
コロンビア代表は予選で敗れ、ジェイはまだ桜が散る前の日本にすぐに帰ってきた。ここからのジェイはとにかくコントロールが乱れた。自らカウントを悪くして、カウント球を痛打。その繰り返しだった。4月9日の日本ハム戦(鎌ヶ谷)では不甲斐ない自らの投球に対し、雄叫びをあげて激怒。5月2日の日本ハム戦(CAR3219)では5回9失点。再調整の意味も込めて三軍戦でのローテを任されることになった。実質の三軍降格。5月10日のBC神奈川での試合でも抑えることが出来ず予定より前倒しでの降板。特にクイックが苦手で盗塁を多く許した。5月28日のBC信濃の試合も打ち込まれ、ここから再び姿を消すことになる。
ラストスパート
6月中は室内練習場にも姿を見せなかった。長期離脱のためもしかすると何らかの理由で帰国していたのかもしれない。グラウンドに帰ってきたのは支配下期限まで1ヶ月を切った7月8日。三軍戦では打ち込まれていたが、二軍の先発不足により突如チャンスが訪れる。支配下の夢は途絶えた8月19日のロッテ戦(ロッテ浦和)で7回無失点の好投。多かったフォアボールも1個だけと課題解決の兆しが見えた。またこの日は途中入団クリスキーの昇格テストも兼ねており、宮村国際担当も球場に視察。いわば「外国人のGM」の前でこれ以上ない成績を残した。その後の投球も人が変わったように抑え、5試合で防御率0.50。月間MVP並みの成績を残した。日本での最終戦は9月23日のDeNA戦(CAR3219)。この日も7回無失点に抑えた。試合後には秋元ファームディレクターや内海コーチとの熱い抱擁。帰国となった。
終わりに
約1年間半言葉も通じない外国人を応援して、とても有意義で楽しい時間を過ごさせてもらいました。たくさんファンサもらったし、誰よりも愉快だし笑。育成外国人という難しい立場ながら異国の地でよく頑張ってくれた。ありがとう。投手不足を救ってくれてありがとう。わざわざ長野まで車転がして炎上した試合見たのもいい思い出です。支配下期限前に秋の投球が出来ていれば。WBCなんてなければ。勝負の世界にタラレバは禁物ですが、とてもとても悔しい。ただジェイにとっては言葉も通じない知らない世界での挑戦の中でも、内海コーチに愛されたり、牧野、赤上から「お前めちゃブス」「ばか」みたいな日本語を教わったりといろんな人に愛された日本時代だったはず。彼がまた違う国で無双できる日を楽しみに、訳も分からないスペイン語のサイトを頑張って翻訳できる日を楽しみに遠い日本から応援します。サンキュージェイ。覚悟を決めていた分笑顔で送り出せそうです。