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どうすれば思い出せるのか

エッセイをたくさん読んでいると、幼少期にどんなことがあった、とか、
学生時代にこんなに面白いことがあった、とかそんなエピソードが語られていることが結構あります。
そういうものを読んでいて、面白いなあと思うのと同時に、自分の学生時代のエピソードで語れるようなものがないことに愕然としたりもします。

私は大学生になって一人暮らしを始めたのをきっかけに、それまで住んでいた家も母方の実家へ引っ越したため、それまであった交流関係がぷっつりと切れました。
今も付き合いのある友人や先輩は最終学歴である大学時代に築いたものばかりで、それ以前のものは残っていません。
同窓会みたいなものにも参加したことがないし、積極的に関係を維持しようとしなかった私に問題があったのだと思います。
別に、学生時代にぼっちだったとか、いじめられていた、とかそういう記憶もないので、それなりにはやってきていたはずなんですが、どうも思い出せないんですよね。
古い記憶は時々掘り起こしてやらなければ、そのまま埋もれてどこにあるのかわからなくなってしまうものなのでしょう。
それを象徴するような出来事が数年前にありました。

私の息子が小学校に進学し、その入学式に参加した時のことです。
突然後ろから「〇〇(私の本名)君、よね?」と声をかけられました。
振り返ると同年代くらいに見える男性がいます、が全く身に覚えがありません。
全くピンときてない私のリアクションを見かねて、
「小学校のときに同じクラスだった△△(彼の本名)よ」と言ってもらいましたが、全く申し訳ないことに、それでも思い出せませんでした。

本来ならばそれは、数十年ぶりの劇的な再会になり、よもやま話が展開されるべきものだったのだと思います。
実際に△△君もそう思っていたに違いありません。
だからわざわざ私に声をかけてくれたのですから。
ただ、いかんせん私は学生時代から遠く離れすぎていたのでしょう。
全ての原因は私の方にありました。

彼にはその旨を正直に伝え謝罪し、妙な雰囲気のまま別れました。
それから私は帰宅して、手元にあった高校の卒業アルバムをめくりました。
△△君を思い出すために…
しかし、そこでは見つけることができませんでした。
もっと遡らなくてはなりません。
しかし、中学時代のアルバムがもはやどこにあるのかが分からず、結果として辿ることが出来ませんでした。

ちょっと意地の悪い考え方をしたりもしました。
△△君なんていう友達は最初からいなくて、僕を誰か別の人(例えば弟)と間違えているのではないか、。
私には二人の弟がおり、二人とも中学までは同じ進路だったので、その線はあり得る話でした。
っていうか、そういう風に思い込んでこの話をなかったことにしたかったのかもしれません。
結局それ以上の記憶の捜索は断念しました。
思い出せる気が全くしなかったからです。

それから数年が経過し、こうしてエッセイ本を読んでいた時に、何がどのように作用したのかは全く分かりませんが、
「△△■■君だ…」とフルネームで唐突に思い出したのです。
小中時代に(そんなに頻繁ではないにしろ)彼と交流があったことも。

だからと言って、その後何があったわけでもありません。
△△君と再度会ったりすることもありません。
ただ、そういうきまりの悪い出来事があったんだよね、なんて話のネタがひとつ増えただけです。

今でも時々知人が「子供の頃、こんなことがあって…」みたいな話をされるとドキドキします。
「私には語れるエピソードはないから、話は振らないでね」と心で念じながら聞き役に徹するのでした。

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