SSF06の備忘録
繰紙魚です。
特技はCCさくらのアバンタイトルでその回のカードを当てることです。
9月の歌姫から2ヶ月弱、仕事が忙しすぎて色んなものをおざなりにしながら書いてきましたが、充実した制作期間でした。
備忘録を兼ね、以下にまとめようと思います。
後半、ほぼ円香の話しかしてないです。
長文ごめんなさい。
SSFのおもひで
なにげに初の自サークル参加で、そんなアホするわけないと思ってた釣銭ばらまきも履修し、無事に洗礼を受けました。
本当に本当に人が多く、落ち着いたらまわろーと思っていたのに閉会1時間前になっても全然人が減らず、ぎりぎりで焦りながら挨拶に回りました。ささっとブースを作って開会前に挨拶に行く方がスマートですね。学びです。
自分の新刊はさることながら、今回は寄稿もたくさんさせていただきました。
1.泥酔合同
『名探偵ははそはの黒聖母〜召しませ特選焙煎珈琲~』
普段あまりお酒は飲まないんですが家にグレンモーレンジだけは常備していて、それを飲みながら書きました。
お酒との出会いはゲームボーイカラーの『王ドロボウJING』で、漫画版のキスシーンにえっちという概念を初めて知った子供時代です。最初の街がマサラタウンよろしく「モルト」といって、モーレンジもモルトです。不思議な巡り合わせですね(なにが)
普段意識してるポエジーとか素敵さとか、そういったものは一切排したくて、少年時代に読みふけった舞城王太郎リスペクトでトンチキ推理物を書きました。いかにトンチキな推理をするかがミソなのに言葉遊びを考えた結果かえって調べ物が増えてしまった記憶です。
酒気帯びのまま扉絵まで書いてしまって、全く関係のない大怪獣ニチカvsぬいミーチャンやらマンションポエムやら、ウルトラマンティガのGUTS制服を着用した冬優子やら、好きなものをこれでもかと詰め込みました。
アホな絵面で気に入ってます。
ちなみにオチは後書きにも記させていただきましたがザムザの『変身』です。すなわちPには両手両足がありません。毒虫ですから。こがたんに一生お世話される身です。ヒステリな妹と違い、きちんとリンゴを剥いて食べさせてくれるのでよかったんじゃないでしょうか。
実は続きも書いてあるので、いつか本にまとめたいです。
2.煮付け合同
『Murmur of the Heart』
この合同企画そのものが天才すぎます。主催の犬飼さんの企画力と発信力に敬服しています。
なにがなんでもやるべき合同だと思い諸手をあげて参加表明したものの、パワハラまがいの企画書の嵐に忙殺されまともに原稿ができず、締切間際の駆け込み乗車になってしまったことを申し訳なく思っています。
ちなみに泥酔もそうですが今回合同というものに初めて参加しました。色んな人のアウトプットが一望でき、楽しいですね。
なにかこう、霧子というキャラクターの占める面積が自分の中でどんどん大きくなっていて、好きなのでは?といぶかしんでいます。たぶん好きなんだと思います。
こちらも扉絵を書いてみました。正直お絵かきはあまり自信がなく、心の師匠の教えである「しゃしゃしゃーと描かない」をモットーに頑張ってますが、鍛錬中という感じです。ようやくキャラクターの絵を書くことへの照れから脱却できてきました。ちなみに扉絵の内容はこれまたお話とはなんの関係もありません。ただ後述しますが摩美々SSRサポカの《murmurmaid》が全体のモチーフなので、一応その絵にしようといった趣です。土壇場で選んだ題字のフォントが気に入ってます。
さて中身ですが、そもそも本家ちいかわの煮付け概念が本当にすばらしく、機械になってしまうオチも含めて完璧なんですよね。本当は機械になるところまで書きたく、あさひが冬優子の煮付けを見破って逆に食べさせ冬優子の電池を抜く、という話も考えていたのですが、シンプルに高橋留美子メソッドにしました。人魚の森ですね。人魚というモチーフは既に『透の主食が小糸になる本』でまんまやってしまっており、なんとなくノクチルが多くなる波動も感じていたので絶対にノクチルでは書くまいと誓いをたてた結果のまみきりでした。ノクチルでやるなら透以外の3人が食べて透だけおばあちゃんになる話を短歌で書こうと考えていましたが、電池切れです。あさひの話共々、いずれきちんと書きたいですね。
とか言ってたら次の煮付け企画が色々と発表されてますね。ぜひそれに合わせていきたい!書きたいものたくさん!
摩美々が絶望しながら霧子の血を飲む、というシチュエーションは単純に癖です。霧子がどうしてもラスボスみたいなムーブになってしまう現象に毎回頭を抱えています。好きです。
題名は前述のコミュ、《murmurmaid》を参考にしました。"murmur"というのは"ささやき"や"ざわつき"といった意味です。まーまーめいど、マ行の連続でだぶん摩美々とかかっていますね。
『murmur of the heart』のいう映画があり、この映画自体は全然関係がないんですが、邦題が『好奇心』といって、ぴったりだと思って採用しました。拙著にて題を意訳するなら『心臓のささやき』とでもしましょうか。霧子の血流が体の中から話しかけてくるというストーリーにマッチしていると思います。(みんな大好き『ミツバチのささやき』は原題『El espíritu de la colmena』で英題だと『The Spirit of the Beehive』なので今回は全く関係ないです。『好奇心』しかり内容的に関連しない映画をもってくるのはよくないなと思いつつカッコつけでつい使ってしまう)
オチは《murmurmaid》本編より、目を覆っても霧子の血の味はわかる摩美々の完成としました。
3.STUFF ONE'S CHEEKS!
『八度目のスコルピオ』
いつも表紙と挿絵でお世話になっている阿今井もこさんの新刊にも詩と口絵を寄稿しました。
阿今井さんの作品は全編愛しき小糸に溢れています。必読です。特にイルカの死の話についてはノクチル海洋生物概念の視座に富んでいます。あとシンプルに絵が可愛いです。実に。
円香と小糸って同じく蠍座なんですよね。円香が蠍座というのはしっくりくるんですが、小糸ちゃんはちょっと意外でした。ただ、その一途さやひたむきさ、秘められた魅力などには蠍座を感じさせますね。小糸が入学する4月から数えて11月までの八ヶ月、星座が同じふたりは月々のラッキーアイテムも同じはず。女の子の書く恋愛ポエム的なものを目指して詩を作ってみました。ちょぱぱっと書いた鉛筆絵が紙色やインクの色に調和してくれていて、出来上がった本に勝手ながら安堵歓喜したりしました。
なにげに引用や寓意を排した純粋なカップリング詩を書いたことがなかったので貴重な経験です。可愛く書けてればよかったなと、そればかり!
4.『透が円香を奏でる本』
長い前置き
拙作です。既刊の小糸、雛菜と続いてノクチル最後の砦、円香のお話。
最初に小糸×透を書いたのが3月の歌姫庭園34で、同人誌を製本したのはこれが初めてでした。その際、ああこれはノクチル全員書かなきゃだめだなと決意し、ようやく円香×透まで書くことができました。次はいよいよ透個人の命題に立脚した詩を書きたいのですが、これはもっとアート寄り・現代詩寄りに書きたく、製本もぶあちー感じで凝り凝りに凝って作りたいため、もうすこし経験を積もうと考えています。
さて本編ですが、創作にあたって初めて『星の王子さま』を読みました。色んな作品がこれを前提にしていたんだと閃いて面白かった(教養の欠如)。自分が好きな漫画がだいたい星の王子さまのラストみたいなことに気づいて今さらの出会いに笑います。
小糸の詩では透に捧げる小糸の10 本指、雛菜の詩ではネイルを塗られる透の10本指、と指モチーフに十章立てにしてきたため、円香でもなにかできないかと考えて、ピアノの運指に至りました。
例えば一般的なハ長調でいうと、ド(C)からはじまりレミファソラシドレミと弾いて指を10本使います。これだ!と思い、なにか恋愛に関するピアノ曲はないかと探してたどり着いたのがリストの『愛の歌』です。元々歌曲だった3つの曲をピアノ曲として仕立てたもので、第3番の『おお愛しうる限り愛せ』が有名ですが色々と調べてみてこれはどちらかというと親族や隣人に対する愛情を忘れるなという内容で追悼の雰囲気があったため違うなと思い、採用したのが第2番『Gestorben war ich』の歌曲です。
非常にシンプルな歌詞で、空想の余白があります。またこの曲はホ長調で書かれ、音階はEからはじまりE, F#, G#, A, B, C#, D#, E, F#, G#となります。このシャープが絶妙で、黒鍵に乗るということもあってこれを夢の話としようと考えました。
円香のモチーフに「胡蝶の夢」があります。円香は虫を嫌うため持ち歌では「夢見鳥」となっていますが、夢と現実とが混濁するさまはまさに《ハシルウマ》で描かれており、「透になりたい」「透でありたい」という心の機微は明らかです。
余談ですが、百合というものはユニークな恋愛関係で、その最も大きい感情は「あの子になりたい」であると考えています。これは一種のナルシシズムで、他者を羨みつつもその他者に自己投影をし、それを愛するわけです。投射規制の逆ですね。この辺りは諸説あるかと思うので悪しからず。
さてその『Gestorben war ich』を実際に聞いてみると本当に素晴らしい音楽で、一発で魅了されました。その歌詞もまさにポエジーに溢れ、Armen(腕)、Augen(目)と軽やかに脚韻を踏みつつ、しとやかにすみやかに締めくくられます。その諦念というか観念というか、愛になされるがままになる口数の少なさがとても好きで、ぜひ活用したく練りました。いっとき独唱をやっていたのですが、これを歌えようものならステージで泣いてしまうかもしれないです。
原詩で"Himmel"とある箇所は「空」とは訳せつつも本来は「天国」の方が近い言葉です。ただ円香の物語としては透に果てしない空を見るという行為を尊重したく、今回はあえてキリスト教的な要素は省いて意訳しました。それから「その幸福によって」と訳した部分も原詩では"Vor Liebeswonne"なので「愛の歓び」とまで言っちゃってますね。このあたりはドイツ詩的ですよね。なかなか日本の詩だとこう断言することはできない。円香のキャラクターも踏まえ、ここもぼかして訳しました。ドイツ語はかじったくらいなので詳しい方がいたら赤ペンをお願いしたいです。あとピアノも専門外なのでもし理解が間違っていたら全てが瓦解します。瓦解していたら教えてください。練り直します。
この詩は二次創作ですし、詩をあまり読まない人も対象にしているので、あえてすべてをつまびらかにします。ここからさらに長文です。ごめんなさい。
副題「波の底のオルゴール」
『ピアノ・レッスン』のラストでピアノが海に落ちてしまうシーンを参考にしました。
所詮波の底ほどの浅さにあるんですよ、円香のオルゴールは。物理的な距離は全然なくて、あともう一歩、波の先に手を伸ばす勇気があれば、それ(閉じ込めた恋焦がれる気持ち)をきちんと扱える。でも円香はそれをしないしできない。本来、凪を好む性格なため、波のなかに体を投じるなんてしない。それをするのは、「透になれるから」です。だから波の底にあればそれで充分なんです。それこそクローゼットの奥にしまいこんで忘れてしまえるように。
この円香の「透になれるから」という、波に身を投ずる(ノクチルになる)動機は他の二人とは質が違って、雛菜は「透と一緒に楽しいことできるから」だし、小糸は「みんなと一緒にいれるから」ないし「透"みたいに"なれるから」。この"みたいに"の差は大きく、小糸はひとりでも波に入れる(ようになる)かもしれないけれど、円香は決してそんな事はしない。しようものなら足をとられ、転んで、誰かに助けてもらわなければいけなくなる。今回は円香と透の話なため軸はずらしたくないのですが、その円香を助ける人物こそがプロデューサーなわけです。
A
「おんしっぷ(温湿布)」は「on ship」のことだったりします。"on the ship"で「船上」ですね。それに対して「冷湿布」は「lay ship」、"lay the ship"で「停泊」です(意訳ですが)。
透の《283プロのヒナ》での湿布のやりとりからの着想です。円香はきっと船を停めたがってるし、降りたがってる(事実、《漠漠》では引退も仄めかしてますし)。
次また湿布がコミュで出るときがあったら、その時はぜひ「ship=船」との結び付きを紐解きたいですね。というか正直、来ると思ってます。
挿絵は湿布を貼ってあげてるところです。
円香の画面には透の手が侵入しているのに、透の画面には円香が入っていないのがミソです。
B
「堅牢なガラス」によって閉じ込められる花というのが星の王子さまの物語から想起した部分です。また同作品に出てくるバラのように円香が他の花々を見下しているのもポイントです。
重力で落ちた葉はオルゴールへの導入でありつつ《ギンコ・ビローバ》のイチョウの葉、および同コミュで円香が見た映画のシーンに連動します。
C#
#がついているので夢のお話です。
「ヒトの言葉を、つかう/めちゃくちゃな文法で」は自分で書いててあーそういうことかと思ったところ。「透置法」という言葉、語感も意味もシャレ感も好きで、完璧な単語だと思います。透の話し方って他言語に訳したときどんな感じになるんだろう。
D#
小さな山は小糸、大きな山は雛菜です。ここも思っきし星の王子さまですね。星の対極にいる円香と透、あいだにぽっかり、川のような海のような波、そんな世界観です。波にちゃぽちゃぽ手をつけてかまってちゃんしてる円香がいいなと書きました。
E
《回るものについて》というのも随分恣意的な題ですよね。もはや公式からのガイドというか。
ふたりで遊園地に来てます。みなとみらいの遊園地なのかはたまたディズニーなのか、個人的には、ノクチルには花屋敷とかに行ってほしいです。(通販でお金を落とさせるだけの「コラボ」じゃなくて体験価値のあるタイアップをやってくれ〜花屋敷でスタンプラリーとかさせてくれ〜)
ホ長調の基音はEなので、なんとなくこの日から始まった円香の空想だといいなと思いました。
F#
《射陽》で果穂ちゃんが屋上で一人の円香に「だれかと会うためなのかなって」と言うの、やばくないですか? 越境かと思ったら結局透の話かよ!と(誰も透とは言っていない)。《カラカラカラ》で屋上にいる円香の姿とあいまり、かなり印象的なコミュです。(正直、コミュの流れ的にはカラカラカラのシチュエーション=Pを待ってるとした方が自然ですが、透を待っていてほしい、と願いました)
透は最初、階段を無視して空中から現れるイメージでいたんですが、翼があるくせに階段使ってくる方が透っぽいなと思って無意味に登らせました。透の抱える命題である「登る」、これは本腰入れて透を書くときにとっておいあるのでまだ明確な考察ができていないことが口惜しいのですが、高みへ向かうにあたってのプロセスが、同じ天才形のあさひと全く違うのが面白いですよね。あさひはテクノロジーの粋を用いてさっさとてっぺんを超えて行ってしまうけど、透はその翼を使おうともせずたらたら掴んだり降りたり。でも、ここで円香に別れを告げるように簡単に空へ行ってしまうのはこれが円香の夢だからです。
G#
自分の思う「透」になれども、肝心の瞳が手に入らない(つまり、同じ景色を見れない)、演出的にはホラー映画的な画面が心の中にありました。鏡をみて、きゃー!となる。『耳をすませば』で雫が見た夢のシーンとやっていることは同じです。一箇所どうしても直したい部分があり、いずれ総集編などを組む際は必ず修正をかけます。
A
演出の意図としては、ここで次に"H"が来ないことで違和感を与えたかったポイントです。無論、最初のAの繰り返しではあるので驚きは少ないと思いますが、話ががらりと転落してゆくので何かしらのフックを与えたい転換点でした。
「天使の羽根を摘む」というのは単純に癖なモチーフで、ヒト(下方修正が必要な理想)に近づくためには、例えそれが愛しい体の一部であっても異質なものは捧げてしまうという肉薄した空虚さが好きです。ここでは、自分のトゲ(音楽)が羽(透と同じもの)になり、ようやく近づけたと思ったのに欲しいものは手に入らなかった絶望から、その羽/トゲ/音をも拒絶する円香の切実さを意図し、最初のAで貼った湿布を剥がすという行為を羽を摘むという行為に重ねています。
そのままでよかったのにね。そのトゲの奏でる音は他人が聞くと本当に素敵なメロディを授けてくれる。プロデューサーや円香のファンはそれを愛しているけれど、円香自身は、本当は、そのトゲ(オルゴールの針)への引っ掛かりを痛みとして感じていないのではないか、喉を壊しながらも、歌ってくれているのではないか、なにもかも、透になるために。と夢想します。
結局は、透に近づくために、なにかを付け足す(同じ羽を得る)ことを諦め、そもそものトゲを切除して「透明」になる手段を選ぼうとしています。痛々しいですね。
挿絵は冒頭の挿絵と同じ構図です。ようやく透の世界に飛び込めた翼は、手を伸ばす枯れ果てた枝のようで残酷です。しかし透はなにも気付いていないので、表情もポーズもはじめと同じです。
B
こちらもはじめのBをとらまえています。
ドライフラワーをハーバリウムにして延命を測っている様子です。ここではドライフラワーは切除したトゲの亡骸でありまだ残る恋心、期待を表します。それでいつつ、もう透になることを望みたくない自分もいます。「靡かない」は、もう音を奏でないという意志と透への姿勢を表しています。が、結果簡単にかき乱されます。
このあたりは書いてて自分でも心がちぐはぐで、モチーフの整理が合っているのか自信がありません。恋焦がれる心は得てしてそういう動作をするものかなと思ったのであまり綺麗におしなべずにそのままにしました。
C#
クライマックスです。左手の小指からはじめて右手の小指まで鍵盤をおさえました。
冒頭の『Gestorben war ich』が奏でられています。透の瞳の中に自分を見る、これこそ真のナルシシズムで、百合でしょう。ここばかりは断言します。もっとも美しい箇所です。「そいつは/わたしだけに」は作中一度も出てこなかった本心です。「わたしだけ」を望むのは、ナルシシズムの果てに「一つになる」という結末があるからには当然の思いだと言えます。ナルキッソスもそうやって死にました。
でも、透は自分の見ていた姿ではぜんぜんなかった。翼だと思ったそれは、鰭だった。なんだ、自分がやってきたことは全部無駄だったじゃないか。とひとりごちる間に、天使は(あえて言うなら、星の王子さまは)消えてしまった。空を越えて、宙へ、還ってしまった。
枠線から逃れた透の姿のダイナミズムに反して、枠内に取り残された円香の、傷ひとつない背中が痛々しい。そしてふたりは、ページを重ねて見つめ合う。
これが私なりの円香×透の解です。ふたりがいっしょになれる時間はあれども、それは決して永くないし、円香の一人相撲のなかで関係は消えてしまう。外傷すらなく。
このイラストはどうしてもこだわりたく、阿今井さんと相談して翼の部分だけは繰紙魚が書きました。(冗談を言うつもりはないのですが笹かまに見えないよう苦心しました)
長い後書き
地味に苦慮したのは、「作中一度も"透"という字を用いない」という縛りプレイです。円香が一度でも「透」と読んでしまうと陳腐だと思ったし、その呼び掛けに透は簡単に、無作為に返事をしてしまいそうで、そうすると円香の想いが凝縮されないままに一時の解放を得てしまうので呼ばせないことにしました。「透明」とか「透きとおる」とか作中に入れてしまうと駄目になる、と他の言葉を探しましたが、それで良かったと思っています。
「透きとおる」って凄い言葉ですよね。意味の凝縮がすごい。全然関係ないですがこれと同じ理論で今はなき新宿駅南口と西口を結ぶイルミネーション通路の「ミナミルミ」という名称が私は大好きです。ミナミ、イルミ、ミナミル(皆見る)と意味がたくさん込められながら使うカナは3つだけと、天才の作だと思います。「透きとおる」も、透、とおる、好き、すきとおる(=透明になる、透になる)と意味がたくさん込められています。
これをもう、コミュのなかで一文字ずつ円香本人が読み上げるという、この変態的な妄執的な、狂った時間芸術、それがシャニマスです。
おわりに
心のむくままに好き勝手書きました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
めちゃくちゃ語ってしまいましたが読み方を定義しないのが本来の詩の良さだと思っています。読み手一人ひとりに個別の解釈があっていい、無論、私が書いたものが正解というわけでもないです。言葉とリズムだけで楽しめるのが詩の本分だと思っています。
急にちょっとだけCMですが既刊はすべてメロンブックスさんに委託しています。いつもたくさんの人にお手に取っていただいて幸甚の限りなのですが、本が好きすぎて毎回やたらと作りすぎてしまい、在庫にちょっぴり悩んでます。どうかお助け下さい。下記、リンクでございます。読んで後悔はさせません。
•メロンブックス:二等辺三角関係
https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=117967
あとこんだけ自分で書いといてなんやねんって感じですが感想もぜひいただきたいです!ほしいです!不安でくじけそうで口数が増えてます!
最期に私事をつらつらと。
繰紙魚は二次創作用のアカウントですが、これとは別に詩の一次創作と身体表現の一次創作アカウントでも活動しており、最近は二次創作が楽しすぎて一時創作がおざなりすぎるのが懸念的です。
一次創作詩では精神のナルシシズムを、身体表現では肉体のナルシシズムを追求しており、なんとはなしにシャニマスが好きではじめた二次創作においても、この世に唯一存在する二者間のナルシシズム「百合」に行き着けたこの歓び、創作って本当に楽しいです。
また、そういった堅苦しい方針とは別に、百合という関係値が本当に好きです。(ちなみに男性同士でも百合は成り立ちます)
東方の二次創作を読み漁りストライクウィッチーズのエイラとサーニャになんだかどきどきしていた学生時代があり、浪人時代にこっそり見ていたスマイルプリキュアで完全にハマりました。スマプリのれいか・なお・あかねの三人カプがサークル名《二等辺三角関係》の由来です。自分でつけときながらサークル名もう変えたいです。長いし読みづらいし検索弱いし、直感でつけるとよくないですねやはり。検討中です。
閑話休題、この二等辺三角形の底辺は即ち、同じ人を好きになった人同士の恋愛です。いま気づいたんですが、これもやはりナルシシズムですね。「同じ子が好き」という共通点や、「恋のライバル」という嫌悪感、これまさに自分自身に感じる「ここが好き」「ここが気に食わない」といった心のざわめきそのもので、いま書いていてすごく納得しました。書くと整理がつきますね。
次回について
今後の歌姫庭園やらSSFやらは基本的に全て参加予定なので、次回は歌姫庭園でしょうか。予定としては、霧子のASMR詩を検討しています。
ASMR詩とはなんぞやって私も分からないのですが、いっとき催眠療法に傾倒した時期があり、そこで学んだメソッドを詩に活用しようという試みです。
それから、「詩」という表現方法がもっとポピュラーになればいいのにというのが中学生時代からの私の望みで、「なんか短い小説のなり損ない」「よくわかんないなんかサムいのがいっぱいあるやつ」「短歌なら読んだことある」といった悲しいポジションから詩を救うべく、霧子の力を借りたい次第です。今度は自分でイラストを書きつつ、心がふわふわするように組んでいきます。
白状すると、最近ちょっと霧子のことが気になりすぎているのが原因です。自分が読みたいだけです。カッコつけました。ぬいぐるみはそんな興味ないぜってシャニ構えてたのに今更モチぬいめっちゃ欲しいです。ごめんなさい。
2023.11/23
繰紙魚 拝