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【トヨタのセダンのデザイン】クラウンについて#1 〜祖父のクラウンマジェスタ〜

目次
はじめに
クラウンがなくなる日
高度成長と大きな家とクラウン
時代を生きる

はじめに
 皆さんこんにちは。これが6件目の投稿になります。ここまでお付き合い下さいましてありがとうございます。楽しんでいただけているでしょうか。さて予告していていた表題の件。シリーズで展開しようと思いますが、いきなり大御所クラウン。記事は1世代前のクラウンアスリートのデザインに言及していきますが、まずは私のクラウンの思い出から綴らせてください。むしろデザインとか理論とかめんどくせぇ、っていう方はこの記事はすんなり読めるかと思います。
 実は祖父の愛車がクラウンでした。すでに私が中学の時に他界していますが、クラウンを解析するにあたって、きちんと向き合っておきたい感情が湧いたのでここに綴ります。文章に落とし込んで思うのは、車というのは人生を語らせるのだなと思いました。文化だの理屈を抜きにしても、車には愛がある。そう思えました。

クラウンがなくなる日
  あのクラウンがなくなってしまうかもしれない。ネットのニュース速報を見て、呆然とした自分がいました。初めは自動車産業に身を置く人間として、頭で理解していた世相の変化が、ついにクラウンにまで迫ったのだと衝撃を受けたと思っていました。がしかし、かすかに痛むのは実は胸の中。遠い記憶の中にある祖父の思い出でした。
 近年セダンタイプの車は絶滅に瀕して久しくも、それとは画す。やっぱりクラウンはクラウン以外の存在ではないと思っています。私が生まれる前からずっと街を走っていました。高度成長期を支えた先輩方の骨太な背中を感じさせる存在感。もはや日本の風景です。

高度成長と大きな家とクラウン
 私が子供の時に他界した祖父の記憶も、初めからクラウンと一緒に残っていて、最期は初代マジェスタでした。休日に父に連れられて向かう市内の祖父の家。濃紺とグレーのツートンカラーのマジェスタは、長い縁側を持つ広大な客間の側で横腹を見せて鎮座していました。
 家の正面中央にある玄関を中心に左右に分かつ間取りの、生活感から遠く、家の半分の面積を占めるいつもは空っぽの客間。襖の上には大きな神棚、賞状、硬貨、それに天皇陛下の写真などが並ぶ昭和の残り香は、褪せたビロード生地や重い額縁の雰囲気と相まって、子供にとってはふとすると恐怖を感じていた空間です。
けれどその日は、全身黒で固めた大人たちが引きずっては置いていく喪失感で埋まりました。私の人生が初めて持った喪失感は、大人たちが順次しきたりに合わせて上手に収めて見えるそれとは全く別に感じてしまい、隠して、持て余していました。ついには、いつもはこの客間で素足で寝転がっていたことを正座して反省させられているように思えてきたほどです。たまらず目を逃せば、縁側の外にずっしりと半身沈ませたクラウンマジェスタ。この時、私の特別な喪失感は、いつも通りそこにいる祖父のマジェスタに任せることにしました。
思い出せばやっぱり、クラウンは特別なのです。
 
時代を生きる
 幅は1800mmは絶対に超えてはいけない。日本人のためのサルーン。早く走るためだけじゃなく、いつだってゆとりを持って走るために搭載された大排気量エンジンとその長いボンネット。
 どんどん大きく筋肉質に変化していく後輩セダン達。信号で彼らと並んだクラウンを見た時、ちょっと小柄に見えた姿に切なくなりました。時間が流れ、私も大人になったのです。
 闘病末期の祖父の病室を見舞った時です。すかさず目に入る。意識の無いはずの祖父が胸から起き上がるように絶えず動いている姿の衝撃。繋がれた管と機器の所為だと、子供ながらに医療というものに疑問を感じて、周りに強い目線を向けましたが、それは本人の意思で動いているのだとすぐ諭されました。
最後まで強い昭和の男でした。
 多様性を認める今の社会を生きています。予想していたよりもまだ不完全な世の中です。小さい頃は世の中はもっと大人のモノだった気がします。一方で恩恵も受けています。それでも疲れた時は、狡猾な理屈で押さえ込まれた実は雑多な社会に映ることもあります。それでも生き抜く必要はあります。
 大きな家とクラウンは太く強く生き抜いた男の証明です。たとえ専門家に、画一的な豊かさの時代と評されようとも、穏やかな笑みを浮かべた祖父に愛された記憶が確かにあります。

次回予告:ピンクのクラウンのデザインについて(仮タイトル)

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