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『忘れられた江戸絵画史の本流-江戸狩野派の250年-』『江戸狩野派の古典学習-その基盤と広がり』(静岡県立美術館)



先日の、池上本門寺さんでやってた『本門寺の狩野派』展を観にいった時にね、、、


もらってきたチラシの中にすっごく気になるものがあって。

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二つ折りのちょっといい紙のチラシ。
色も鮮やかで目を引くよね。

ん?
、、、、、、んん?


「江戸」狩野派 なのに「静岡」⁉️⁉️

しかも「国内最大級」⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️

って、ちょっと違和感もあり、開いて見たら、、

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え?!なに?!、、、なになに?!😳😳😳
なにこのLINEのようなDMのようなやりとり‼️
そしてこのアイコン‼️‼️‼️

この「N」という担当学芸員さんの悲壮感と
誇り高き狩野派の方々の噛み合わなさが
悲しいんだか可愛いんだか、、、🤣🤣🤣


ツッコミどころ満載でめっちゃ笑ったんだけど、
でも。
なんか、初心者の私なんかでもちょっとわかるかも、、🦆


たしかにどの美術展に行っても「狩野派」という言葉は出てくるんだけど、
でもそれは「画風」とか「時代」とか「組織」とか、そんな大きなカタマリの名前なんだよね。

大きなカタマリは 絵師個人の名前や作品じゃないから、若冲や北斎みたいな個人名で大規模な展覧会できるようなキラ星感⭐はないよね、、、。

なんて思いつつ、ずっと気になっていた展覧会。
別件で静岡方面に行くことがあったので、
行ってきました✨


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はじめまして、静岡県立美術館✨


あ、『本門寺の狩野派』のチケットを提示すると200円割引になるよ!
(しっかり持参👍)

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『忘れられた江戸絵画史の本流』と
『江戸狩野派の古典学習』の
ふたつの展覧会をひとつなぎで観ることに。
(別々にも観られるたぶん)


まず、入場して1番最初に迎えてくれるのが

狩野探幽の「富士山図」

おお!!さすが静岡県🗻✨


【第一章 基盤形成 -奥絵師の活躍】


奥絵師4家(中橋家・鍛治橋家・木挽町家・浜町家)の絵がズラリと。
最近、トーハクでも本門寺でも木挽町狩野派を観る機会が多かったから、名前も作品もなんとなく馴染みがあるよなあ。

このコーナーに並んでいる20作品の中で
「富士山図」が3作品。
どれも最初に展示されていた探幽の画風を継承していて、この図様の「富士山図」は狩野家のお家芸なんだね。

こうなると、その絵自体を鑑賞するというより、探幽の絵とどこが違うのかっていう間違い探しみたいな鑑賞になってしまうわ。
相違点こそが、その絵師の個性のような気がして


【第二章 全国展開 -江戸狩野派早期の傍流の実力者たち】


サントリー美術館でのミネアポリス美術館展で見かけた 狩野派随一の女性絵師 清原雪信の作品もここに。

彼女は江戸から尼崎に移り住み、そこで大変な人気絵師になったそう。ついには雪信がモデルとなっている歌舞伎「女絵師狩野雪姫」まであるそうだから、人気の高さがうかがえる。

こうして江戸狩野派の図様や画風が全国に拡がっていったんだね。



【第三章 巨大化と多様化 -表絵師の体制確率と展開】


「奥絵師」を支える「表絵師」

表絵師は、役職や待遇面で歴然とした差があり、奥絵師の仕事を補佐する役割だったが、表絵師筆頭の駿河台家のみ別格扱いだったそう。

ちなみに今回は表絵師12家が揃い踏み!

「駿河台家」←表絵師筆頭。別格✨
「山下家」「深川水場家」「下谷御徒士町家」「麻布一本松家」「神田松永町家」「芝愛宕下家」「浅草猿屋町代地家」「浅草猿屋町代地分家」「築地小田原町家」「芝金杉片町家」「根岸御行松家」
どーーーーーんと12家!!!!

表絵師は現存作品が少ないそう。
たしかに展示してある作品も折り目や横じわやシミが目立つものが多くあった。
保存状態が良くなかったのか、もともと奥絵師が使う画材より安価なものが多かったからなのか。

実際、待遇面の差は大きかったようで。

< 奥絵師 >
⭐孝信の息子の4家のみ。
⭐将軍に拝謁する資格をもつ「御目見以上」の役職。
⭐帯刀が許され、江戸城(大奥にある「御絵部屋」)に定期的に登城。

< 表絵師 >
★探幽の養子・益信を家祖とする駿河台家を除き、宗家の松栄・永徳の兄弟と高弟の血筋
★普段は江戸城に出仕せず、大仕事の時には奥絵師の活動を支える。
★役職は「御目見以下」、帯刀は許されず、石高・知行・屋敷など奥絵師と大きな差があった。
★駿河台家だけは「御坊主格」として、帯刀を許される別格。


いやもう、孝信マジ‼️‼️‼️‼️‼️

自分の息子たちを上(奥絵師)に置いて、
伯父さん達を下(表絵師)にしたわけでしょ?!

強いわーーーー😨



【第四章 変化と飛躍 -奥絵師様式の刷新】


奥絵師は奥絵師の家同士で、揉めたりもしたらしいけど
浜町家の中信と中橋家の立信が、それぞれの家に木挽町家のスタイルを本格的にもたらしたため、奥絵師の画風は木挽町家様式に統一された。
そして、木挽町に学んだ鍛治橋家の探信守道が最後に「御医師並」となったことで、奥絵師4家の体制は安定し、各家の権力は強化された、と。

もうさ、ほんとに政治だよね、狩野派。

でも、ここのコーナーに展示されていた作品は、釘付けになるものが多かった。


狩野雅信の「松図屏風」は
目にも眩しい金の屏風に、墨でどかーーーーーんと松が描いてあるの。

圧倒されてしまった

遠目にはふわっと見えるのに近づくと力強い、まるで等伯の松林図屏風を思わせるような松の葉。
六曲一双の金屏風の中で、枝ぶりと空間が美しくて、遠目に観たり近づいて観たりして表情の違いを楽しめたよ!
(空いてる美術館最高✨)


もうひとつ。

狩野邦信・狩野立信「花鳥図屏風」

こちらは六曲一双の金の屏風のなかで、流れる水の青色がよく映えて目を引く。
金と青色の取り合わせは本当に美しいって、日本画を観るようになってつくづく感じるようになったな。


面白かったのは4家の合作の作品

雅信・中信・立信・守信・守経 「寄合書図」

雅信・守真・立信「日本三景図」

雅信・永信・房信・景信・寿信・昭信・守玉・守経「山水人物花鳥押絵貼屏風」

どれも素晴らしかった✨



さて、次のコーナーへ。
と移動したところで


いきなり異空間がっっ‼️‼️‼️‼️‼️‼️

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江戸狩野派総選挙🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣


どゆことどゆことーーーー⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️

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選挙ポスター並んでますけども!!!!!


ちょっと面白すぎる


イカれたやつらを紹介するぜ!!!!

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いやもうコピーが面白すぎ😆

ワタクシ、先程の「花鳥図屏風」に見蕩れてしまったので、狩野立信に投票しました 🔴ペタッ


【第5章 江戸狩野派の終焉? ・江戸後期表絵師の躍動】


ここでふと、展示作品のほとんどの所蔵先が「日照軒」というところだということに気づく(遅)

これ、個人のコレクターなんだそうな😳

江戸狩野派コレクターで1500点を超える所蔵品をお持ちとか😳😳

江戸狩野派は日常絵画も作成しており、例えば「富士山図」など同じ題材のものもいくつも描かれている。

たしかに今回の展示でも「富士山図」はいくつも見かけた。
こういった吉祥の題材は、客間などに飾られる作品として好まれ、日常絵画として使われており、状態が悪くなれば新たな絵と交換するような ある意味消耗品であり、江戸狩野は同じような「富士山図」を描ける必要があった。

こういった同じモチーフを描き続けるための狩野家としての規範となる図様は、探幽で定型化されたものが多い。

ということらしい。


それがひとつなぎの展覧会になっている
『江戸狩野派の古典学習 -その基盤と広がり』展へ
続いていくことに。


そこには江戸狩野派奥絵師の縮図・模本・直模作品や、倣古図が並んでいた。

探幽の作品がいっぱい。
やっぱり群を抜いてるんだな、探幽。
こうしてずっと江戸狩野観てきて、ここで探幽観ると、探幽ありき の説得力が凄い✨

狩野探幽「臨画帖」(重文)
探幽が和漢の古画を写した図を集成した画帖。
100図からなる。このような画帖は他に現存していない、ということ。


狩野家二代目 狩野元信も、多様な絵画様式をマニュアル化し、血族や門弟たちに踏襲させることにより、一定のスタイルの画風を大量生産できる狩野派システムをやってのけたわけだけど、

それを江戸狩野派は探幽を軸にして肥大化した組織に行き渡るようなシステムをつくりあげたんだね。

狩野派は、何年かに1度 絵の天才と経営の天才が誕生するのね。
だからこんな大きなカタマリになるんだわ。


それにしても。こんな似たような題材や図様がいくつも出てくる展覧会は初めて。

それでも飽きずに最後まで楽しめるのは、さすがの狩野派ですよ✨
いや、ほんとに。



そうそう!
静岡県立美術館は、常設の彫刻も有名だそうで、のぞいてみたよ

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ロダーーーーン!!

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誰もいない広い空間でロダンの考える人や地獄の門かあると、、、

ちょっと怖くなるほどの迫力だったわあ😨








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