お前は何を遺すんじゃい
ミュージカル見に行ったよ
いろいろあっていろんな伝手で、「I have a dream」というミュージカルを見に行った。ミュージカルを観に行く文化があるかというと人並みだけれども、目の前の舞台でリアルに進むという新鮮さを浴びるには、ちょうど良い頻度で訪れている。
ミュージカルこういう話だったよ
"I have a dream"とは、キング牧師の演説の語り出しの部分だ。これに伴う公民権運動を起こした黒人たちの葛藤と、自由への渇望を描いた劇だ。
ミュージカル興味深いよ
何度か劇場には訪れているが、映画ともドラマとも違う空気が劇場いっぱいに立ち込めていて、少し張りつめてさえいる気もする。そもそも装いが違うんだな。派手とは言わない、落ち着いたキレイ目の服装が多いく、当然客層もそれを弁えていそうなオーラを纏っている。ほう… きれいな"練"だ。
なぜ歌うんだ
ミュージカルの歌は流行りのポップスなどと比べると少し独特だと思う。ストーリーに沿ったテーマ(歌詞)とリズムを包括させると、印象として語りかけるような歌が多くはないだろうか。歌のある曲を作るとき、基本的に2パターンある。いわゆる"曲先"か"歌詞先"だ。
言葉の通り、メロディが先にできて後で歌詞を盛り込むか、それとも歌詞が先にあって後でメロディを付け足すのかだ。とにかくキャッチ―なメロディが先に生み出されて、耳障りのいい言葉がパズルのようにあてはめられる、世の中的にはそういった曲先が多いような気がする。自分もな~んか曲を作るときは同じだ。メロディの中にうまいことハマる言葉を探すのは結構楽しいものだと思う。逆に歌詞先はなかなか難しいと自分は思う。何も考えずに歌詞を考えてしまうと、言葉のリズムに引っ張られてメロディを付けるのに苦戦する。
そう、言葉にはもともとリズムがあるのだ。だからそこに目的を込めて詠唱すれば自然と文字は音の要素、つまり大きさと高さ、音色を得て、最後に歌になる。これはもうミュージカルってことだろ。
まあミュージカル音楽がどうやって作られているかは作曲者次第ではあるし、一個人の感覚に過ぎない話だ。でもミュージカルを観る度に、自分は言葉のリズムというプリミティブな部分を思い出させてくれる。
俺は坂本慎太郎になりたい。
何を遺すのか
劇中の「いいものをいっぱい遺してちょうだい」という言葉に感銘を受けた。この言葉の背景はこんな感じである。
白人の過激な集団によって我らがキング牧師の命を脅かされた。これに対して劇中に登場する不良グループは報復措置をとったが、そのリーダーは遭えなく命を落としてしまう。彼を慕っていた女のもとに遺されたのは悲しみと、彼が唯一汗水たらして働いて得た金で買ってくれた、小さなネックレスだけだった。そしてこのネックレスをバラバラにして配り、グループにとっての形見としたのだ。それは大柄で度胸のあるリーダーが遺したにしては小さな小さな飾りの一部であり、実に切ないことであった。そして女はグループ全員に、そのように呼びかけたのである。
価値ある自由を掴んだ、その延長線上にいるこの時代で、自分は誰に何を遺すことができるだろうか。
遺すこと自体を目的とするわけではない。誰かのためとかでもなく、偶然その誰かであれば良い。むしろ自分のためでいい。何か自分らしいものが遺ったとき、ようやく足が着いたような安心が得られるような気がする。そう思って今日も曲を作るとか、文字を連ねたりとか何かしらしてみようとする。インプットして消費するだけではこの心の焦燥感は埋まらない。でももしかしたら承認を求めているのかもしれない。まあでもそれはそのときで。
良いアウトプットを