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もしも村上春樹が娘から留学したいと告げられたら
あたかも約束されていたかのように静かに音もなく、ある冬の土曜の昼下がりに、なんの前触れもなく父親は告げられた。“アメリカに行きたい”。
娘がそう言った時、僕はポリスのロクサーヌを聴きながら、スパゲティーニを茹でていた。娼婦の歌。ニック・ノルティと共演していた「48 hours」で、エデイ・マーフィーが留置所でシャウトしていた曲だ。もう片方のコンロでは、フライパンにオリーブオイルでスライスしたガーリックを温めてからパンチェッタを軽く炒め、フレッシュトマトを加え、スパゲティーニがアルデンテになる頃を待っていた。6分、あるいはベルコモンズから北参道の交差点までのラップタイムくらいの時間。王女がバルコニーに現れるのを待つみたいにゆったりと、ただ待つんだ。フライパンを眺めているうちに僕は深い井戸を降り、羊男とバドワイザーを半ダース飲みながら、月のクレーターの悲しみについて語ったのを思い出していた。
Roxanne. You don't care if it's wrong or if it's right.
ロクサーヌ。それが過ちか正しいかなんて考えなくていいんだよ。
子供が断崖絶壁の巣から飛び立つのを見届けるアホウドリの親鳥みたいに、子離れをする日が近づいている。それが良いことなのか、悪いことなのか、僕にはさっぱり分からない。きっと答えは風の中にあるはずだ、マイフレンド。
〇この文章のオリジナル版は4年前に娘が大学受験に合格したことを喜びつつも、子離れの寂しさを書いたものでしたが、今回はとうとう外国に行ってしまうことになり、さらに寂しさをつのらせる父親の心境を書いてみました。さっぱり伝わっていないかもしれませんが。やれやれ。