幸せの定義
これは人によってさまざまな定義があると思いますが
この定義はそもそも自分が<どんなものを得るか>によって考えられていることがおおいように思う。僕もそう考えていたと思います。
あれが買えれば、こんな資格があれば、こんな能力があれば、こんな容姿になれれば、こんな人といれれば、、いずれも所有する、保持するということが無意識的に前提とされている気がする。
だから「幸せを得る」とか「幸せになる」とかよく言われるんだと思う。
最近これが間違いなんじゃないかと考え始めました。マルクスガブリエルという哲学者がいるんですが、この人が「幸せとは今そう感じられなければ感じられるものじゃない。」といった趣旨のことを言っていた。
逆の発想になるんですよね、幸せを得る・幸せになるという考えとは。これは今はそれがないから、それをいずれ獲得するという考え方なんじゃないかなと思うんですが、、実は<幸せ>とはそうやって追い求められる種類のものではないんだということをガブリエルさんは言ってるんじゃないだろうか。
幸せとは得るものじゃなくて感じるもの、であって
なるものでも、持つものでもなく、<ある>もの
それを感じられるかどうかが問われている問いなんだろうなと思った。最近なんとなく「あーいまなんか幸せだなー」ささやかに感じることがおおくなってきて気になったので少し考えてみた結論です。
幸せはいま感じられなければどこにもない、というのはそれはすでにそこにあるものだから。感じられないのは感度の問題。もちろん感度がなんらかの問題ではたらかなくなってるってこともあるでしょうけど。
あれか・これか、あれも・これも、という視点以外の視点を見つけていくことができればいいなーと思う。自分は自分でしかないから。だからたぶん自分である努力をしていくことが大切なんだと思う。
ではまた。