「Anonymous」

「もしも、この世で起こるすべての出来事がたった1人の道楽によって起こる事象だとしたら」

謎の男「う〜ん……感染ウイルスで人類を大幅にブラッシュアップしたり、久しぶりに戦争をさせてみたりするのも悪くないと思ったんだがなぁ……」

謎の男は手に持った本をパラパラとめくりながら自分の頭をポリポリとかいた。ときおり何枚か本からページを破いて捨てる事もあった。
捨てられたページにはウイルス感染、世界改革、巨大災害、某国首相暗殺などの文字が記されており、それらの文字一つ一つに上から「イマイチ」と書き加えられていた。

「そろそろ長年大切に温めておいた駒たちを消費し始めるか......」

小説の中の主人公たちはその世界の神である作家に抗うことはできない。
だとすればこの世界に運命を司る神がいた場合、人はやはり抗うことは叶わないのだろうか。

2030年 東京―

叶 緒心(かのう つぐみ)はいつものように大学のキャンパス内で音楽を聴きながら一人で歩いていた。彼は都内でも有数の大学に通いながら、個人としても社会で程度認知されたIT会社を運営している、いわゆるエリートと呼ばれる青年だった。
しかしそんな多くの成功を収めている彼だったが、その目に希望という光が宿ることはなかった。

大学においても日常生活においても常に一人で行動し、友と呼べるような存在はいつも持ち歩いているノートパソコンと自分が開発した情報分析技能に特化したAIだけだった。しかし彼はそれでも構わないとさえ思っていた。彼には志を同じくする「仲間」と呼べる存在がいなかったのである。

学校が終わると、叶は耳に装着したワイヤレスイヤホンから仕事仲間が授業中に溜めた音声メッセージを垂れ流し、帰路につく。たまにすべてが英語で話されているメッセージも含まれているが、何のことはなかった。それも含めて彼の日課であった。彼にとって仕事や勉強は決して難しいものではなかった。

ある日、いつものように自宅へ向かっていると普段通行人であふれかえっている東京の大通りに自分以外誰も歩いていないことに気がついた。
「珍しいな……この時間に」
人混みが嫌いな叶は今日は運がいいな、くらいにしか考えていなかった。

しばらく歩いているとまたおかしなことが起こった。
彼の周りを歩く人間が皆小学3年生くらいの女の子なのである。それも皆同じような顔立ちに見えていた。
「妙だな……」
一瞬疲れが溜まっているせいかと感じ、右手の親指と人差し指で自分の両目のまぶたをつまみ、目に少しばかりの力を加えた。
次に目を開けたときには自分の周りを取り囲んでいた少女たちの姿はなくなっていたのだが、小学五年生くらいの男の子と小学3年生くらいの女の子の兄妹が前方から楽しそうに現れ、叶の右横を通り過ぎて行った。
少し気味が悪くなった叶は、いつもより歩く速度を上げた。
「たまたまだ……おかしなことはなにもない」
そう思いながら足早に進む彼の額からは珍しく大量の汗が流れていた。

叶は日本橋の戸建ての家に独りで住んでいた。地下一階と地上1階の2フロアで、地上はリビングやキッチン、寝室。地下は彼の仕事スペースとされていた。自宅に設けられた防犯システムは実験も兼ねて彼自身が開発した最先端のテクノロジー技術をふんだんに活用していた。警察の機密情報を扱うセキュリティプログラムさえも彼のオリジナルであったが、自宅の防犯システムに関してはそれ以上に万全を期しているという自負があった。

叶は玄関の扉を開けて中に入った。ほとんど靴を脱ぐのと同時に、朝脱いだ時のまま残されているスリッパを履いた。
気がつくとすっかり日が沈み、家の中は暗闇に包まれていた。
「アカリ電気を付けてくれ……アカリ!」
アカリとは叶自身が開発した情報分析技能を有するAIで、自宅に設置されている無数の音声認識装置が読み取った言葉を彼女が理解し、要望に応えることが主な役割であった。
「おかしいな……なんでつかないんだ?」
不思議そうな表情を浮かべながら叶はそのままリビングにつづくドアを開けた。
 
 
「待ちくたびれたよ……」


暗闇の中で突然聞き慣れない声が叶の耳に飛び込んできた。叶は飛び上がるように発せられた声の方へ振り返った。
暗闇のためその声の主が誰かすらも分からなかった。
「誰だ……どうやって入った?」
「おかしなことを言うね……私はただドアを開けろと命じたら、すんなりドアが開いたので入ったまでだ」
「ふざけるな。この家のセキュリティは虫一匹にも反応するんだ。お前みたいなやつがいればすぐさま警報が鳴る。一体どうやってセキュリティを無効化した?」
「同じことを何度も言わせないでくれたまえ……」
ようやく暗闇に目が慣れはじめ、叶は声の主が自分の前方にある椅子に腰掛けていることを認識した。
すると、今度は突然部屋の明かりがつき、叶は目の前にいた男の姿に驚きのあまり腰が抜けた。
「……⁉」
今自分の目の前で椅子から立ち上がった男は、2メートル近い背丈と鋭く口角の上がった白い仮面のような顔で、床に腰を据えた自分のことを見下ろしている。
現実離れした目の前の出来事に言葉を失っている叶とは対照的に男は淡々と話を続ける。
「私は君のことを非常によく知っている。家族構成や現在何をしているのか……そして、君の過去に何が起こったのかすらも……‼」
叶は床に手を当て必死に立ち上がろうとするも足に力が入らず、立ち上がることが出来なかった。
仕方なくそのまま言葉を返した。
「どういうことだ……お前、さっきから何訳の分からないことを言ってるんだ?」
「すぐに理解できないのも無理はない。ただ、私は君のことを生まれた時から知っている。何せ、君の人生は私が設定しているんだからね」

壁を使ってようやく立ち上がった叶は未だに男の発言の意味が理解出来ないでいた。
「まだわからないかね?よろしい、より具体的に私のことを説明することとしよう」
「なに人の家で好き勝手しようとしている……お前はただの不審者だ。どんな言い逃れをしようともその事実は変わらない。見逃してやるから警察を呼ばれる前に出て行け」
そう言った叶の言葉を男は何も意に介せず話を続ける。
「まず、私の名だがここでは“アノニマス”とでも名乗っておくことにしよう。謎の男という意味でね」
「おい……聞いてるのか⁉」
「次に私が持つ4つの能力についてだが……」
ついにしびれを切らした叶は自分のポケットに手を伸ばす。
『動くな!』
アノニマスのその言葉と共に叶の身体からすべての自由が奪われてしまった。
「な、なんだ……これっ⁉」
「全く、人の話は黙って最後まで聞くものだよ。順序が少し入れ替わってしまったじゃないか」
「お前……一体何をした⁉」
「これが私の持つ能力の一つ、“コトダマ”だ。私が発した言葉をそのまま現実のものとする。もう少し実例を見せるなら……」
『首を絞めろ!』
そう唱えると叶は自分の右手で自らの首を強く絞め始めた。
「ぐっ……かはぁっ……‼」
「僕のすごさ、少しはわかってくれたかな?さっきこの家に入ったのも実はこの力を使ったのだよ……フフフ。あ、もう離して良いよ」
その言葉とともに自由を得た叶は倒れ込み、内臓を吐き出すような勢いで床に何度も痰を吐き出した。
「これが一つ目。そしてさらに面白い能力が僕には備わっているんだ。何だと思う?」
床に這いつくばっている叶をアノニマスは再度見下ろしながら言った。
「はぁ、はぁ……知るかっ‼」
叶の答えに笑みを浮かべながら、アノニマスは分厚い本を1冊取り出した。
「私が持つ最も素晴らしい能力はこの“シナリオ”という力だ。この世で起こるすべての事象を自由自在に設定できる。ここに帰ってくるまで君の周りで少し不可解な出来事が起こったかと思うが、それはこの説明をわかりやすくするためだ」
「あんなの……ただの偶然だろ」
叶はゆっくりと立ち上がりながらそういった。
「偶然をあまり甘く見るものではないよ。君たちが偶然と思うことこそが、私が手を下しているポイントでもあるのだから。それと……今君は気にしていなかったようだが、君の帰り道に起こった不可解な出来事を私が知っている時点で、この話に少しは信憑性が生まれているのではないのかな?」
叶はアノニマスの言葉に何も言い返せなかった。
叶の反応を見るのが楽しそうなアノニマスは相変わらず口角を上げたまま、部屋の中をフラフラと歩き、語り出した。
「フフ……極めて合理的な子で助かるよ。もちろんこんな自慢話をしにわざわざやってきた訳ではない。今日は君に面白い話を持ってきたんだ」
「面白い話……?」
「あるサバイバルゲームに参加して欲しいんだ!サバイバルと言っても殺し合うわけではないが」
一通り部屋の中を歩き終えたアノニマスは元々座っていた椅子にもう一度腰を下ろし、足を組んで叶に向き直った。
「私はこれまで、何万年もの間この地球という星で遊んできた。最近で言えば、殺傷能力の高い感染症の拡散や世界各地での巨大災害、昔で言えば隕石を降らせて恐竜を絶滅させたり、生物に“進化”という概念を与えたりといった感じだ。ただ、さすがに少しマンネリ化してきてしまってね。より自分が楽しめるように打ち手を変えようと思ったんだ」
「それでサバイバルゲームか……馬鹿らしい」
「ただのサバイバルゲームではない。勝者には……私と同じ力を与えるつもりだ……‼」
その言葉を聞いて叶は目の色を変え、アノニマスに食ってかかった。
「何を考えている⁉」
「君は決して交わらない存在に優劣をつけたいと考えた事はないかい?僕は常に刺激を求めている。楽しみたいんだよ‼僕が選んだお気に入りの駒たちが僕の手を離れてどうやって争うのか……気になるんだ‼純粋にね……」
叶はアノニマスの表情から彼の発言がすべて本心だということを理解した。
そしてアノニマスと目を合わせるのを止め、背中を向けた。
「いかれてるな……」
「ゲームの勝利条件は同じ。だが、失格になる基準だけ参加者ごとに決めてもらうことにした。ゲームに参加するための条件みたいなものだ。緒心、君はどうする?」
叶は床に落としていた鞄を拾い上げ、背中を向けたまま興味がないと伝えた。
「そういうと思っていたよ……君のことは君以上によく知っているからね」「好きに言ってろ」
叶はもうアノニマスに対して少しの関心も持っていないようだった。
「愛する妹が……見つかるとしても興味がないか?」
叶は再びアノニマスの方へ向き直り、今までにない形相を浮かべた。
「続きを喋るなら……発言に注意した方がいいぞ‼」
脅しをかけた叶にも全く動じることなく、アノニマスはシナリオの本を取り出しペラペラとページをめくり始めた。
「あ~あった、あった。これだ。叶緒心……小学5年生で両親を何者かに殺害される。事件当時小学3年生だった妹は犯人に連れ去られたまま行方不明。当時の君は犯人に殴られ気を失ったまま警察に保護される……」
叶は椅子に座っていたアノニマスの胸ぐらを勢いよく掴み、引っ張り上げた。
「何故俺だけ殺さなかった……‼どうしてっ!」
アノニマスは冷静に掴まれていた右手を払いのけ、本を閉じた。

「人を成長させる一番のスパイスは、怒りや不幸、孤独といった負の感情だ。君を天才に成長させるためにはこれが一番手っ取り早かった」
叶はアノニマスの発言を聞き、怒りで頭が真っ白になっていた。
再びアノニマスの胸ぐらを掴み目に血のような涙を浮かべながら叶はアノニマスに向かって吠えた。
「殺、す……殺してやるっ‼」
「今のままじゃ君は私を殺せない。私と同じ次元に立てない限りはね」
叶は胸ぐらを掴んだまま言葉にならない声を出した。
「私を殺したければゲームに出て優勝することだ。非常にシンプルだ。私と同じ力を持てば、私を殺す事も妹や両親を殺した男を捜し出すことも不可能ではない」
叶は掴んでいた胸ぐらから手を離し、しばらく黙った。
沈黙のまま数秒がすぎ、彼は決心を固めた。
「やってやるよ……‼お前の思い通りにはさせない。俺が圧勝して何も面白くないゲームにしてやる‼そしてお前を殺す!」
「いい表情だ。条件を聞こうか」
「お前以外、誰も殺さない‼」
アノニマスはさらに口角を上げた。
「いいだろう緒心。ゲームの勝利条件は……私の正体を暴くことだ‼」


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