『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』 第13話 ヤンキー、恋に落ちる?
「蒼仁くんがいないのに、なぜ!?」
ハムのつぶやきを、漆黒のブレイクアップがかき消してゆく。
空一面に拡散する黒色の極光は、まるで天上の神が放つ審判の矢だ。
人の無力を嘲笑うかのように、勢いを増した矢が容赦なく世界に降り注ぐ。
「達月くん、逃げて!!」
ハムの声に、達月もただならぬ異変を感じとった。
どこへ逃げるべきなのかと、急いで周囲を見回す。周囲には、静まりかえった住宅街と、営業中かどうかもわからない店舗と――おかしい、屋内も屋外も、いくらなんでも人の気配がなさすぎる。
「何が起きてるんや?」
「シッ! 静かに――」
ハムがどこともしれない空気を睨んでいる。
逃げるのか? それともじっと静かにしてるのか?
刺すような空気。今は動いてはいけない気がする。
じりじりと、何かが近づいてくる。
達月の背後からだ。かつて感じたこともないほどの、おぞましい、ただならぬ気配。
振り返ったらどうなる?
逆に、振り返らなかったら?
一瞬で、達月の世界が動いた。
「よけてッ!!」
ほぼ反射的に本能のままに、達月は横へ飛び退いた。
それまでの数秒の停滞を切り裂く、正体不明の黒い影。
優雅ともいえる細く長い肢体が、達月のいた空間を越えて着地した。
悠然と達月を見据える、色素の薄い鋭い瞳。
ネコ科特有の、地を這うような慎重な動き。
長いヒゲに覆われた口元。
「ラ、ライオン……!?」
「マウンテンライオン、またの名をクーガー、あるいはピューマです」
ハムがいつになく真剣な声で告げる。
黄褐色の体毛に覆われた、アフリカの雌ライオンのように見える獣は、聞いたことのある様々な呼び名で呼ばれているらしい。
「このまま睨んでてください。背を伸ばして、いざとなったら両手を振り回して叫んでください。とにかく自分を大きく、攻撃的に見せること。『獲物』だと思わせないことです」
む、無茶言うなや……
反論したいのに、声が出ない。
動物園から逃げ出したんだろうか。
だったら一刻も早く、誰か捕獲に来てくれないと困る。
「ハム、このままじりじりと後退するのはアリか? 後ろに入り込める場所はあるか?」
「ちょ、ちょっと、ここからだと後ろ見えましぇん……」
ハムは達月の胸ポケットで、目だけ出して震えている。
さすがのハム・ザ・シャーマンも、こうして獰猛なクーガーと対峙してしまっては、恐怖待ったなしである。
彼らの恐怖心を、敏感に察知したのだろうか。
五メートルほど離れて慎重にこちらの様子をうかがっていたクーガーが、突如声も上げずに全身のばねをきかせて飛びかかった!
クーガーの、脅威のジャンプ力。
前方へ十二メートル、上方へ四メートル跳ぶこともあるという。
五メートルの距離など、始めからないも同然だ。
「どわーッ!!」「きゃーッ!!」
奇跡的によけられたものの、ぶざまに地に転がった達月とハム。
通常なら、クーガーがターンして再度華麗に飛びかかり、一人と一匹の肉を咬み裂く。それで終わりだ。
が、そうはならなかった。
「――『天空!』」
白い光が空を裂き、新たな出現者が飛び込んできた。
白い髪を揺らし、右手に長い棒を握って。
飛び込んだスピードのままに、その人物は鮮やかにひらめかせた長い棒を、クーガーに向けて上段打ちで打ち下ろした。
◇ ◇ ◇
棒がクーガーの顔面へ命中!
クーガーが叫びを上げながら後方へ飛ぶ。
棒は勢いを止めずに自在に縦横斜めへ回転し、そこへ操者自身の回転も加わって、さらに激しい攻撃力を生む。
地と平行に大きく払われた棒が、クーガーを勢いよく吹っ飛ばした。
すかさず突進し、倒れたクーガーの喉元へ弾丸のような激しい刺突を叩き込む。
クーガーは再び地に倒れ、全身が黒い霧となって消えた。
「な……なんや? あ、これきっと夢や。でなきゃ、映画の撮影とかやな。ようできとるわ……」
腰が抜けた状態で座り込みながら、自分を納得させるのに必死の達月。
彼に向かって、白く細い手が差し伸べられた。
「大丈夫? 立てる?」
――そのとき、達月の時が止まった――
風が白い髪をさらさらと撫でてゆく。
白いジャケットに細身のジーパンという、少年のようにも見える服装が、ほっそりとした全身を包んでいる。
頬がピンク色に上気した、白い肌。長いまつげ。輝く濃紺の瞳。
何より達月に向けられた、どこか寂しげにも見える優しい笑顔が、相手が間違いなく「少女」なのだと教えてくれた。
「……タ、タイプや……」
「ん? たい……やき?」
「シェディス!」
二人の時間(※達月ビジョン)を、あとから現れた少年が遮った。
「まだ来る! 俺たちで引きつけよう!」
「わかったっ!」
シェディスと呼ばれた少女が軽快に走り出す。
そのあとを、リュックを背負った私服の少年が追いかける。
さらにそのあとを、空の黒い靄が追う。
すっかり忘れていたが、空はまだ黒いオーロラに覆われたままだ。しかも走り去った二人を追いかけている。
追いかけるうち、オーロラの先が黒い粒子を飛ばし、またしてもクーガーの姿へと変化した。
一頭、二頭――その数、七頭!
「まだおったんかい!」
彼らが過ぎ去った方向を、達月も驚愕とともに視線で追いかける。
少年少女が向かった先は、運悪く道が行き止まりになっていた。目の前には、高台にある公園へと続く昇り階段。
二人は階段を駆け上がる。そのあとを、七頭ものクーガーが追いかける。
階段など、クーガーは連続ジャンプでいともたやすく飛び越えてしまうだろう。
「ボケっとしてないで、今のうちに早く逃げて!」
さらに見知らぬ金髪少女が登場。
今日の達月の人生は、登場人物が多すぎる。
「パーシャさん、よくここがわかりましたね」
ポケットからハムが顔を出す。
「見えちゃったんだからしょうがないでしょ。『ヤンキー料理フェスティバル』とかいう変な看板から、オバサンたちの集団まで、見たくもないのに見えちゃったんだから!」
「おかげで助かりましたよ~。大事な達月くんがクーガーに食べられちゃったら大変ですもんね~」
そのセリフで、達月の中に改めて恐怖心がわき上がってきた。
「さっきの、なんや……ワイ、ほんまに食べられるとこやったんか!?」
「次回の料理フェスで、悲しいご報告動画を上映せずに済んでよかったです~」
「食われても料理教室と動画は続けるんかい!」
◇ ◇ ◇
一人と一匹のボケツッコミを氷刃の視線でスルーしたパーシャは、公園の方に顔を向けた。
「やっぱり空が黒くて、周囲にはほかに誰もいない。まるでわたしたちだけが異空間に迷い込んでるみたいね」
パーシャは意味ありげにハムを見た。
異空間に閉じ込める――それは、ハム自身にも可能な特殊能力だ。
以前、蒼仁に語ったように、ハムは重力と反重力を操ることができる。つまり、空間と時間を捻じ曲げて異空間を生成することができる。危険すぎるので、今はやらないが。
「今の煌界に、それが可能な何者かがいるってことよね」
「それに霊狼を始めとする、動物霊の狂暴化。まるで狂犬病みたいです」
「霊を侵すウィルスがあるってこと?」
狂犬病。人を含むすべての哺乳類が感染しうる、ウィルス性の感染症。そう考えると、さっきのクーガーの狂暴化もうなずける。
話が見えずに座ったまま黙っていた達月は、ようやく足に力を入れて立ち上がった。
「なあ、さっきの子らは大丈夫なんか? 強そうやけど、七頭はきつくないか?」
「そうですね。群れで力を発揮する狼とちがって、クーガーは単独で行動します。つまり、それだけ一頭の力が――」
そのとき、突然、達月の全身が白く輝きだした。
「えぇ!? また、今度はなんや!?」
「この光は! まるで――!」
ハムの意味深なセリフを、達月は最後まで聞けなかった。
まるで重力に飲み込まれるように、達月の全身がその場から吸い込まれて、消えてしまったのだ。
「まるで――なんや! 最後まで聞かせんかいー!」と、本人が思ったかどうかは定かでない。
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