『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』 第31話 天空のパノラマ・スクリーン
カナダ北極圏、五月。
彼らは岸に立ち、流氷を見ていた。
秒ごとに地形を変えては移りゆく、氷海の地、北極。
蒼仁が、頬を刺すような凍った風の中、声を上げる。
「南極点には南極大陸があるけど、北極点って海なんだよね」
北極圏の海沿いに立つと、自然と「北極点」を意識する。
まだ、彼らがいるカナダのトゥクトヤクトゥクから、2,200kmの隔たりがあるのだが。
厳しい海からの風にさらされても、不思議と蒼仁の心は温かかった。
これも、ゲイルとブレイズの――いや、ここにいるみんなのおかげなのだろう。
「そうですね。北極点上の氷は常に移動しているから、今自分がいる氷が北極点の上を通過すれば北極点到達、ってことになります。下手すれば氷どうしが激しくぶつかりあって、命がけの到達になります。南極みたいにずっと国旗を立てとくことはできないんですよね。ちなみに北極点も南極点も、毎年測量のたびに移動するんだそうです。近年は氷の融解の影響で地軸がブレて、極点の位置にも大きく影響しているそうですよ」
ハムが蒼仁の襟元から顔を出した。
「動物たちにとっては、極点がどこかなんて関係ない話です。氷が減っていることは大問題ですけどね」
ホッキョクグマにアザラシ、セイウチ、クジラなど。
氷の世界に暮らす動物たちは、この先どこへ向かうのだろうか。
「よっ」と、達月が次なる光球を投げ上げた。新たな光が、太陽のように視界いっぱいを明るく照らしてくれる。
「北極点の真上が煌界の入り口、とかじゃなくて安心したわ。やっぱウィンズレイの言う通り、入り口はこの付近なんやろ」
「ウィンズレイ……大丈夫かな」
たった一頭で煌界へと戻った、彼らの仲間の黒狼が心配だ。
今はただ海辺に立って、海と空を眺めるしかできない自分が、もどかしくなる。
「彼は典型的な『男に二言はない』タイプですね。彼が道すじを見つけてくれるまで辛抱強く待ちましょう。ところで、美仁くん」
ハムが蒼仁の頭上に乗り、折賀に向かって手を振った。
「ここまで決死の道案内、本当にお疲れさまでした。この先はシャーマン(仮)である僕と、蒼仁くん、それから霊狼だけで向かいます。だから、ここで待っててくださいね」
「…………」
折賀は無言で、まるで睨んでいるような表情を返す。反論はないが、ほろ苦い感情が伝わってくるようだった。
「ここでずっと待っててとは言いませんよ。僕らが戻らなくても、きりがいいところで、犬たちをもとの飼い主に返してあげてください。もちろん、自分自身を家族のもとへ帰すという大事な仕事も残ってますからね。僕にも、ゲイルとブレイズをブレンさんのご家族へ送り届け、この子たちを無事に日本へ帰すという大役が残ってます。みんな、ちゃんと帰りましょうね! 家に帰るまでが遠征です!」
「ハムもな。娘が心配して待っとるやろ」
「娘!?」
蒼仁が驚きの声を上げる。
その時、また何かを嗅ぎとったのか、シェディスが不意に空を指した。
「来るよ……!」
◇ ◇ ◇
シェディスの指の先――そこは、「闇のオーロラ」の渦の中心、ではなかった。
さきほどまで「闇のオーロラ」の中心だった場所から、極光が階段状に降り注いでいる。次に、禍々しい黒い靄――ではなく、動物霊たちが降りてくる。今回は、靄ではなく、一体一体、ちゃんと姿がわかる。
動物霊たちの動きが鮮やかに展開する。まるで、オーロラを天空の巨大なスクリーンに見立てているかのように。
ホッキョクグマが走っている。その先には、氷上に上がったばかりのアザラシ。
よたよたと腹ばいに進むアザラシは、あっけなくホッキョクグマに捕まり、捕食者の命の糧となる。
少し離れた場所で、ぽちゃんと海に小さな個体が落下した。親アザラシがホッキョクグマを引きつけている間に、子アザラシが無事に逃げたのだ。
――そこに映し出されているのは、まるでこの地の動物たちを撮り続けたドキュメンタリー映画のような、貴重な生の記録。
蒼仁は仲間たちと一緒に、息をのみながら見入っていた。
二頭のヘラジカが、互いに激しく角をぶつけあう。
雄同士の、雌を賭けた戦いだ。
巨大な角がぶつかる音が、森に何度もこだまする。
そのうちに、押し負けてバランスを崩した方が腹に一撃を食らい、よろよろと逃げていった。勝負がついたらしい。
ヘラジカの番ができると、今度は大地を埋め尽くすかのような新たな動物の大群が登場。
カリブー(トナカイ)の大移動だ。
時に数万頭にも及ぶカリブーの群れが、渡り鳥のように季節ごとにツンドラ地帯を移動していく。狼を始めとする捕食者にとっては貴重な食糧であり、人間にとってはさらに毛皮製品や工芸品の材料にもなる。
あまりに多かった頭数も、捕食者によって数を次第に減らしていく。動物たちの生息環境は、絶妙な自然界のバランスによってなりたっていた。
次にクローズアップされたのは狼だ。
狼たちは群れを形成し、子供のカリブーや老いたカリブーなど足の遅い個体を狙う。
狼を捕食するものはなく、狼は生態系ピラミッドの頂点に君臨する種だった。
狼たちの楽園とも呼べる森に、いつしか、見慣れない種が入り込んできた。
見慣れない種は、火を使うことができた。狼の獲物であるシカ類を獲ることもあるが、獲り過ぎることはないため、狼にとって特に大きな問題ではなかった。
そのうちに、見慣れないもののうちの誰かが、獲物を獲れずに飢えていた狼に、肉の塊を投げてやった。
野生の「狼」が、「犬」になった瞬間だった。
今では「野生動物に決して食料を与えてはいけない」という強固なルールが存在するが、理由はそういうことだ。
一度人間から食料を与えられれば、その動物はもう野生ではなくなってしまうのだ。
蒼仁は、見ているのがつらくなってきた。
「犬」がこの先どんな道をたどるのかは知っている。
狩りの貴重なパートナーとなった犬は、やがて人間によって無理な交配を繰り返されることになる。人間の目的に適した犬種を次々に誕生させるために。
現在、蒼仁たちが「犬」として知っているのは、人間によって遺伝子をいじくり回され、狼だったころの面影がどこにも見当たらない、生命力よりも見た目の愛らしさを優先させたペットという名の「商品」だ。
イヌイットのように、そり犬として犬を飼いながらも、野生の狼たちとうまく共存していこうとする人間たちもいた。
彼らは狼の獲物を獲りつくすことはしなかった。多く獲ったときは、狼が見つけやすいように地中に埋めておくことさえした。狼たちを飢えさせれば、自分たちがどうなるのかわかっていたからだ。
後から来た他の民族が獲物を獲りつくし、先住民族の狼に対する礼儀はあっけなく崩壊することになる。
「猟犬」として生み出された犬たちが、狼の群れを追う。
強力な牙を持っているからこそ、飢えれば家畜を襲う狼は人間たちの脅威、駆除の対象となった。
その先は、かつて達月の「前世」が見せてくれたとおり。
人間たちは競って狼の駆除頭数を誇り、ハンターや毛皮商人の小屋に毛皮がずらっと大量に並べられた――
「アオト、行こう」
シェディスに軽く肩を叩かれた。
シェディスは、蒼仁と同じ映像を見ていたのだろうか。ひょっとすると、誰もがそれぞれ違う映像を見ていたのかもしれない。シェディスの瞳はあくまでまっすぐに、強くオーロラを見上げている。
「ウィンズレイが道を開いてくれた。アオト、あいつを召喚んで」
蒼仁はうなずくと、天空のスクリーンに向かって手を伸ばした。
「『刃風』の狼! 煌の天への道を現せ!」
蒼仁の声に応えるように、強い風が吹いた。
強風が氷の空をかき混ぜ、しぶきとともに海面を巻き上げていく。
流氷と流氷が激しくぶつかりあい、重なり合っては波を起こし、次々に新たな流氷を形作る。
ぶつかりあった流氷は、まるで階段のように天に向かって連なっていく。階段のようなオーロラの下で、流氷もまた、天へと続く階段のような形状を作り上げた。
ここはもう、さっきまでいた北極圏ではない。おそらくもう、「狼王」が作り出した異空間なのだ。
動物たちの生き方を、人間との歴史を、蒼仁に見せた理由は何だろうか。
この階段の先に、何らかの答えが待っていると信じたい。
煌界へ――。
「刃風」の力によって白銀の氷で作り上げられた階段が、天空へと続いている。終点は、オーロラの向こう側にある。
シェディスが手を差し出してくる。蒼仁はその手を取って、天空へ続く階段をゆっくりと昇り始めた。
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