『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』 第22話 犬ぞり隊結成!
カナダ、五月。
「チーム・蒼仁」メンバー、蒼仁・シェディス・達月・ハムはバンクーバー国際空港に到着した。
現在のカナダは、入国を厳しく制限されている。
かなり面倒な手続きを踏まないと、「闇のオーロラ」圏から1,000km以上離れた南部・バンクーバーまで渡航することもできないのが現状だ。
片野原学園理事長・折賀樹二には何らかの強固な伝手があるらしく、その点は問題なく進行した。
九時間近くのフライトを終え、飛行機を降りると、慌ただしく入国手続きの列へと移動する。
ゆっくり周囲を見る暇もないが、今は観光で来ている人間はいないはずだ。見かける人たちがみな、重苦しい息を吐いているように感じる。蒼仁が昨年来た時とは、空気の色がまったく違う。
入国手続きを済ませた先で出迎えてくれたのは、総領事館の職員だった。
日本人であることに安堵する。日本語が通じない相手だった場合、観光なら片言の英語でなんとか会話できると思うが、この状況下、深刻で複雑な話ができる自信はまったくない。
バンクーバーから「闇のオーロラ」圏手前、ハイウェイが通行止めになっている地点まで車で送ってくれるそうだ。
通行止め地点は、「闇のオーロラ」の動きに合わせて数日おきに少しずつ南下している。現在の通行止め地点まで、車で約十時間。
午前中に空港を出て、休憩を挟みながらひたすら真っすぐに北を目指す。
蒼仁は昨年、バンクーバーで飛行機を乗り継ぎ、ホワイトホース国際空港で入国手続きをした。ホワイトホースが「闇のオーロラ」に覆われている現在、当然ながら現地までのフライトは完全に欠航となっている。
つまり、飛行機があれば二・三時間で到着するホワイトホースまで、長い道のりをひたすら車で向かわなければならないということだ。
始めはカナディアン・ロッキーの雄大な大自然に心躍らせたものの、山以外に何も見えないハイウェイの道中が、そのうち単調に思えてきた。
何よりも、視界が暗すぎる。「闇のオーロラ」の影響で、バンクーバー周辺がすでに半分極夜のような陰鬱な空に覆われているのだ。
その空には、「冬が過ぎればまた明るくなってくるはず」という、昨年までは確かにあったはずの希望がどこにも感じられない。
職員にカナダの現状を聞きつつ、北へ向かうにつれてどんどん雪色の割合を増してくる山肌を眺めつつ。
適度に休憩を取りながら、夜半過ぎ、ようやく通行止め地点――つまり本日の目的地に到着した。
地味なホテルへなだれ込み、疲れ切った手足を伸ばしながらさっさとシャワーを済ませてベッドへ潜り込む。日課の学習アプリは飛行機内でさんざんやったので省略。
シェディスが同室にいることにツッコむ気力もない。達月ひとりが動揺しているが、蒼仁が真ん中のベッドで寝ることで無理やりさっさと解決した。
翌朝。
泥のように眠る三人と一匹は、ここまで迎えに来た折賀美仁に叩き起こされた。
◇ ◇ ◇
「もう十分休んだろう。ここからホワイトホースまで、今日も一日かけて車で移動してもらう。全員分の朝食を買ってきたからさっさと食べて支度してくれ。四十分後にロビーへ集合」
いきなり部屋へズカズカと入り込み、サンドイッチが入った袋をテーブルに置いて足早に去っていく。
寝ぼけ眼でベッドに座ったままの達月は、「なんやあれ……鬼軍曹?」と目をこすった。
「美仁くんらしいですねえ。さっさと支度しちゃいましょう」
いつもは動画や踊りでハムハムッと無駄時間放出にいそしむハムも、きびきびと合理的な折賀の動きに違和感はないらしい。
蒼仁も急いで着替え――る前に、達月の前で着替えようとしているシェディスをグイッとバスルームに押し込んだ。
ロビーへ集合後、折賀が運転するジープに乗って慌ただしくホテルを後にする。
ジープは四輪駆動、スタッドレスタイヤにチェーンまで装着済み。完全に雪道を走行する構えだ。
「この先は特例の許可を得て運転する。つまり途中で何が起きてもおかしくないということだ。車中で休むのは構わないが、緊急時にはすぐに動けるようにしておいてくれ」
「やっぱ鬼軍曹や……」
ろくな挨拶もなしに要件だけを通そうとする折賀に、達月がぼそっとつぶやいた。
ホテルから通行止めの標識を越えてハイウェイへ出たところで、ようやく折賀が話を始めた。
「自己紹介が遅くなってすまない。時間を無駄にできない性分なんだ。俺は折賀美仁。甲斐と蒼仁くんのお母さん、パーシャにイルハムとも友人だ。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いしますね!」
ハムが元気にごあいさつ。
総領事館の職員の車では十時間以上ずっと隠れていたので、今は元気いっぱいに姿を現すことができて嬉しいらしい。
つられて蒼仁も、達月もシェディスも「よろしくお願いします!」「よろしくー!」と口々に挨拶を返す。
話を始めても大丈夫と判断し、蒼仁は続けて口を開いた。
「あの、これからどこへ向かうんですか? この先の予定とかまったく聞いてなくて、ただ『迎えがある』とだけ」
「すまない、状況が状況なので旅程表はないんだ。現時点の計画では、まずこの車でホワイトホースを目指し、そこである訓練を受けてもらう。それからさらに北、つまり北極圏を目指す」
「訓練?」
「犬ぞりに乗る訓練だ。ホワイトホースから先は車で行くのが難しい。走ること自体は犬たちが頑張ってくれるが、操る側は犬たちに的確に指示を出し、犬たちの変調に気づける人間でなければならない。俺に何かあったらサポートできる者がいなくなる。その時のための、最低限の訓練だ」
「犬ぞり! ゲイルとブレイズですよね」
「あの二頭は優秀だぞ」
折賀の口元が誇らしげに綻んだ。
「さらに北の、北極圏……そこを目指す理由はなんですか?」
そう質問したのは、助手席に座る達月。いつもの関西弁が引っ込んで、借りてきた猫のように居住まいを正し敬語使いになっている。年齢はほぼ変わらないはずだが、折賀の迅速な行動力や説得力にたじろいでいるのが丸わかりだ。
「理由は、黒い狼。ウィンズレイだ。こちらから合流しに行く」
「!」
外の景色を眺めていたシェディスがはっきりと反応した。
「俺はずっと目撃情報を追っていた。白い狼と黒い狼――白夜が消えた極北で、二頭は常に一緒だった」
蒼仁は隣のシェディスを見た。つい先ほどまで、懐かしい景色に目を奪われているように見えたシェディスの表情が、視線を伏せてこわばっている。
「白い狼はきみのことだ、シェディス。黒い狼、ウィンズレイは北にいる。王となる器を持ちながら他の狼たちと群れることもなく、おそらくたった一頭で空と戦っている」
「空と、戦う……?」
「ウィンズレイは、蒼仁くんの『召喚』を待たずとも風の力を起こせるのかもしれない」
ウィンズレイが風を起こす。まさに、達月のアパートの前でジャコウウシたちと戦った時の姿そのものだ。
その後も走行中ずっと、通信がほぼ通じなかった折賀と蒼仁たちとの間ですばやく情報交換が行われた。
事情も知らずにただ運んでくれた総領事館職員と違い、折賀相手だと具体的な話がどんどん出てくる。確かに、時間が惜しい。ホテルでゆったりくつろいでる場合じゃない。
食事や休憩を挟みながら、目的地・ホワイトホースに到着したのはやはり夜半近くだ。
ホワイトホースが近づくにつれて、蒼仁は「ここから北は車で行くのが難しい」という折賀の言葉を再確認することになった。
北へ向かえば向かうほど、風が強まり、雪が舞い始める。車体が揺れ、窓に強風がぶつかって嫌な音を立てる。
空の闇が、どんどん色濃くなっていく。不気味なオーロラが、彼らだけの孤独な世界を覆っていく。
風は吹雪となり、やがてジープでも進むのが困難なほど強いブリザードが吹き荒れるようになった。
折賀が慎重に進めた車は、ようやく静かにホワイトホースの街へと滑り込んだ。
車を降りてはっきりとわかる。初めて体験する、本物のカナダの冬の気温だ。
体感気温、マイナス四十度だと折賀が言った。
◇ ◇ ◇
達月の認識は甘かった。
折賀が本物の「鬼軍曹」ぶりを発揮するのは、ここからなのだ。
「この吹雪の中で訓練しても余計な凍傷を増やすだけだ。倉庫内に簡易練習場を用意した。まずはここで、犬ぞりの感覚をつかんでもらう」
ホワイトホースには数多くの有名な犬ぞり操者がいる。彼らが飼う犬たちを借りて、彼らの協力で広大な屋内練習場を作り上げてしまったという。やることが半端じゃない、と蒼仁も達月も舌を巻く。
倉庫内に大量の雪を運び、実地を想定した障害物まであちこちに設置されている。
風がないとはいえ、暖房のないマイナス三十度の世界で、シェディスは元気に雪の上をはしゃぎ回った。
シェディスと、再会したゲイル、ブレイズ。一緒に座り込み、視線を交わす。
それだけだが、どんなやりとりがあったのだろう。人間で言えば、伯父二人と姪だ。
そりは二台。先頭犬はそれぞれゲイルとブレイズ。
他に十四頭の犬を借り、八頭つなぎのそりを二台準備する。
人間側は、前を行く一台にシェディスと蒼仁。後方の一台に折賀と達月。各リーダーはシェディスと折賀、という風に割り振られた。
「あのー、折賀さん? 重量バランス的に、ワイと折賀さんが一緒にならん方がええのでは……」
「こっちに大型の犬を配置するから問題ない。リーダーは、こっちは俺として、あっちはシェディスが適任だ。さすがもと狼犬というだけはある。彼女自身が走っても問題ないくらい、運動神経と判断力に優れている」
「ワイがシェディスさんと一緒に乗れんのは?」
達月の本音はそこだろう。わかりやすい、とシェディス以外の誰もが思った。
「二台がはぐれた場合、霊狼だけで一緒に固まってどうする。動物霊が現れた時、蒼仁くんがどちらかとそばにいる必要がある。それに、道中では霊ではなく生きた野生動物に遭遇する可能性もある。その時は俺が対処するから、その間きみに操縦を任せたい」
野生動物への対処。積まれた荷物の中に猟銃を見つけて、達月は震えあがった。
人間としても、見慣れなければ恐怖を感じてもおかしくない物だが、彼の場合は前世絡みでさらに根強い恐怖が染みついている。折賀によれば、「今は銃の携行なしではそりを出せないことになっている」そうだが、できれば使わずにいてもらいたいものだ。
訓練には、折賀に協力してくれているという現地のマッシャーたちがかわるがわるやってきた。
みな、この地を離れられないまま不安を抱えている者、何かできることはないかとくすぶっている者、そして折賀の行動力や発想に感銘を受けた者たちだ。
彼らの心からの協力により、訓練や準備が驚くほどスピーディーに進められていった。
幾度となく雪道を走る訓練を繰り返し、犬たちの世話の仕方を基本から学び、全身の防寒装備を調え、積み荷を調整していく。
ウィンズレイがいると思われるポイントまで、おそらく一週間はかかるだろう。
彼らの中には同行を志願する者もいたが、折賀は気持ちだけありがたく受け取った。人数が増えればそれだけ、犬もそりも、食料も寝袋も多く必要になる。戦闘能力のない人間を増やすわけにはいかない。
急ピッチで準備が進められ、出発の目処が立ったのは、チームがホワイトホース入りしてから三日後だった。
その後、一日も経たないうちに野生の狼の群れに追われることになるとは――この時の彼らにはまだ、知る由もなかった。
北を目指して。
たった一頭で「闇のオーロラ」と戦うウィンズレイのもとへ、彼ら犬ぞり隊は雪原を進み始める。