〜仮面ライダーBLACK SUN論評〜 排日運動とワシントン海軍軍縮会議

 戦後左翼は「大日本帝国は他人種に徹底的な〈差別〉を実行してきた」と語る。
 その〈日本人による他人種への差別史観〉を下地に〈仮面ライダーBLACK SUN〉は、作られた模様である(最初に断っておくが、本論評を執筆した段階で、筆者は三話のみしか視聴していない事を念頭に置いてもらいたい)。
 だが、戦前に於いて、他人種への徹底的差別を実行していたのは、〈外国人達〉であり、日本人は、差別の〈被害者〉達と同じであった。
 そう──戦前の日本人は、昨今、〈SDGs〉によって叫ばれる〈マイノリティ〉だったのである。
 だが、諸国の差別に伴い、「大日本帝国は外交的な視野狭窄に陥り、国際条約たる〈パリ不戦条約〉を踏み躙る暴力に訴えかけ、太平洋戦争を開戦し、被害者から〈加害者〉となった」のだ。

 だが、戦前の日本人差別(以下、日本人に対する差別を〈排日〉と称する)は、一体何処から来たのだろうか?
 諸外国の宗教上の理由か? 人種優越主義からなる選民主義か? それとも、有色人種への恐怖であろうか?

 何も〈否〉である。戦前の排日を世界に齎したのは、他でもない──平和を願い、ワシントン海軍軍縮会議にて軍縮条約を締結した〈日本人〉だったのである。

 ※本論評は、ワシントン海軍軍縮会議と大日本帝国海軍を中心に、排日運動を語る事をここで断らせて頂く。

 第一次世界大戦終結後、欧米諸国は、1600万の戦死者数に戦慄し、世界大戦型の戦争を禁じる〈パリ不戦条約(これは、日本での名称であり、欧米では〈ケロッグ=ブリアン条約〉と云う。だが、本論評では〈パリ不戦条約〉で通す)〉を締結した。日本も本条約に応じ、世界は〈戦争行為を違法化する〉事を了承したのである。
 だが、米国は「パリ不戦条約だけでは不十分だろう」と1921年に主力艦建造停止を呼びかける〈ワシントン海軍軍縮会議〉を開催。日本は、英米の戦力比率に不満を漏らしながらも、英領〈香港〉に米領〈フィリピン〉・〈グァム〉の軍港機能拡充及要塞化を禁ずる〈太平洋防備制限協定〉を落とし所に本条約に締結した。

 さて、平和理に締結された軍縮会議を真っ向から批判した帝国海軍の派閥があった。
 その代表格は〈東郷平八郎〉──日露戦争において、バルチック艦隊を撃滅した大英雄である。
 この東郷平八郎等、ワシントン海軍軍縮会議を批判し、主力艦の拡張を望む〈艦隊派〉を「時代錯誤だ」とか「好戦主義者」と断じ、軍縮に応じた山本五十六等〈条約派〉を評価する評論家は多い。
 だが、〈条約派〉たる山本五十六は、数年後に、パリ不戦条約を踏み躙る〈ハワイ作戦〉を立案し、米太平洋艦隊が集結する真珠湾を急襲し、太平洋戦争を誘引した事は歴史的事実である。

 では、艦隊派と条約派は一体、何を考え、行動していたのか?
 艦隊派は、主力艦増強を〈抑止力としての軍備〉として考え、それを粗害するワシントン海軍軍縮会議自体に不満感を抱いていた。
 「抑止力としての軍備が整わなければ、国民の平穏など有り得ぬ」というのが、艦隊派の考えであった。
 ここでいう、〈国民の平穏〉とは、諸外国のテロや戦争を未然に防ぐ事である。
 彼等は、軍拡こそ他国の侵攻を未然に防ぐ手立てだと、見抜いていた。

 対して、条約派の目的は「現段階で対米戦は出来そうにないので、次の機会になるまで、条約を呑み、外交上の諍いを起こさない事を望む」といったものである。

 日露戦争以後、日本に侵攻が可能な国は〈米国〉しかなく、海軍は対米戦を想定した軍事作戦を思案していた。しかし、1920年代において、条約派は、米海軍を打倒する作戦案を思いつくことができなかった。それに伴い、条約派は米国の条約を呑み、機が熟すまで、耐え忍ぶ判断を取ったのだ。

 誤解されがちだが、外交とは〈紙とペンによる国家の代理戦争〉である。もし、自国に不利な条約があっても、条約締結をする事になれば、自国民の出血は避けられない。
 条約派は、目先の事ばかり考え「その条約が自国に何を齎すのか?」という事を考えなかった。

 そして、「抑止力としての軍備が整わなければ、国民の平穏など有り得ぬ」という艦隊派の予測は数年後に的中する──数年の内に、米国は〈排日移民法〉を制定する事となった。
 ここで勘違いしないで頂きたいのは米国へ移民が出来ないことが問題ではない。戦前に於いて、米国が日本人を欧州と同格に扱わぬ事は、世界に拡散され、中国内で、排日運動を誘引した。排日運動は、やがて、反日テロを誘発し、多くの日本人の血が流される事となる。

 話が逸れるが──戦前・戦中における、日本軍の〈捕虜冷遇〉も、元を辿れば、この反日テロが誘引したのだ。中国内で活動する日本人は軍民問わず、テロの標的となった。日本軍は、テロから未然に対処する為、遠目からでも、日本軍と解る様に、帯刀する軍刀を西洋式から日本式──日本刀式軍刀を採用した。これは、前述した通り、直ぐ様〈日本軍〉と解らせる為と〈日本軍に危害を加えた者や捕虜をその場で処刑が出来る〉意味合いを持たせていた。
 だが、日本式軍刀の採用は、日本軍に加虐的思考を増長させ、ハーグ陸戦条約違反である捕虜虐待や処刑を誘発させる原因ともなった。

 この中国による反日テロの対処を国民は政府に求めたが、全面戦争に繋がる恐れを抱いた政府は、何の行動も起こさなかった。国民は政府の不満を口々に唱え、関東軍はこれは好機と、満州へ侵攻する──後の世で云われる〈満州事変〉の勃発である。
 政府及軍部は事態収集に取り掛かるが、マスメディアはこぞって、関東軍を英雄に担ぎ上げた、国民は関東軍を盲信し、陸軍はこれを黙認。
 国際社会は、満州事変を非難したものの、日本は国際連盟を脱退。日本の国際的信頼は地に落ち、やがて、太平洋戦争の火蓋が切って落とされる事となる。


 ここまで来れば「盲目的に、平和を唱えるだけではダメなのだ」ということがわかるだろう。
 「我々の行動が、後の世に一体、何を齎すのか?」
 そこまで考え、外交に臨むのが、正しい政治のあり方だと、私は思う。
 だが、左翼思想によって、その考えは潰えた。
 2000年代に入り、ようやく、落ち着きを取り戻したかの様に思えるが──近々、勃発するであろう〈極東戦役(中国における台湾侵攻からなる米中戦争の私的な名称)〉において、流される血は、戦後左翼によって齎されたものである事は、何れ歴史が証明することになろう。

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