パラ開会式、やればできるじゃないか
とまぁ、偉そうなことを言ってしまった。
でもそう言いたくなるぐらい良い開会式だった。
少なくとも7月23日のオリンピック開会式より断然素晴らしかったはずだ。
統一感のある式だった
今回の開会式の感想を一言でまとめるとすれば「統一感がある式」だと思う。
前回のオリンピック開会式は本当にグダグダだった。一つ一つの演目がパッとしないのもあるがそれ以上にとにかくまとまりがなかった。
やはり要因としては開催前のあのゴタゴタが大きく関わっていると思う。
様々なトップクリエイターが関わっているにも関わらず、次々に降板、交代していったことによって、それぞれの演目が独立して作られ、結果「何を伝えたいのかよくわからない」状態になってしまった。
だが今回のパラ開会式はそういったゴタゴタ(があったのかもしれないが)に左右されず作られたのだろう。
一つのテーマに沿って演出がされていたため、非常に統一感のある、「見ていて安心できる」開会式だった。
もちろんいろいろ突っ込みたくなる要素はあったが、あの開会式と違って、何を伝えたいのかが明白にわかる開会式だった。
シンプルだが決して地味ではない
オリンピック開会式に比べて、色合いや一部の演出は少し控えめだったように思った。
それは入場行進の時に強く感じた。
まずプラカードが、オリンピックの時の吹き出し風プラカードではなく、黒字に金の文字という、非常にシンプルなデザインだった。
また床も黒で統一されていた。
さらに入場行進がステージ中央を横切るのではなく、外周を回るようになっていたため、大きなステージを使いきれていない様に見え、非常に狭く感じた。
その点でいうと、カラフルなオリンピック開会式よりは華やかが足りない様に見えた。
だが、それはある種選手を引き立たせる演出でもあったのかもしれない。
黒で統一されているが故に、選手の着ている色とりどりの服が際立った。
そうした意味で言うと、華やかではないが洗練された演出だった。
選手に寄り添った演出
今回のパラ開会式では、ある劇が行われた。
内容は車椅子に乗った片翼の少女が、色々な人に出会い、励まされ、勇気づけられ、最終的に大空を飛べる様になる、というものだった。
これは言わずもがな、障害を負い、苦しみ、そして希望を持ってパラリンピックに挑む選手を表している。
オリンピックの開会式でも式の序盤で選手のコロナ禍における葛藤を描いた場面があったが、かなり抽象的でわかりづらかった。
どちらかというと演出が勝ちすぎていて、選手の心の部分に向き合いきれていない感じがした。
だが今回のパラ開会式は、そうした選手の心にしっかり向き合い、寄り添い、懸命に考え、演出したことが伝わってきた。
そして何よりわかりやすさがあった。
どんなに良い演出だったとしても、会場にいる選手やテレビの前で見ている視聴者に伝わらなければ意味がない。
閉会式、さあどうなるか
残すは閉会式。
一体どうなるか。
前回のオリンピック閉会式はかなり酷かった。
開会式以上にグダグダでまとまりがなく、会場の選手にとっては苦痛だったと思う。
パラ閉会式は開会式同様、選手に寄り添ったまとまりのある素晴らしい式になることを願う。
9月5日、さあどうなるか。