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冴えかへるもののひとつに夜の鼻
僕は裸足が好きだ。外から家に帰ってきた瞬間、すぐに靴下を脱いで裸足になりたい。自分の家にいるときは好きにできるが、外だとそうもいかない。それでも、職場の自分の席にいるときや喫茶店でひと休みしているとき、行儀の悪いことだとわかっていながら人目を気にしつつもつい、靴下の先をひっぱってしまう。
靴下を脱いだ素足を、もう片方の脚の腿のうえにのせる。あらわになった足の裏に手のひらを当て、足の指と手の指を交互にはさんでがっちりと組み合わせ、足の裏を揉みほぐす。そうするうちに、血の巡りがよくなり、指先までぽかぽかになってくるのだ。
足の裏をこねくりまわすだなんて、うす汚いばっちぃ足の裏を、公共の場でさらすんじゃねえ。そんな声が聞こえてきそうである。実際、他人が喫茶店で裸足になっているのを見かけると、うわ、ばっちぃ、隣はやめておこう、と僕も引いてしまう。いい気なもんである。
見てるほうが寒うなる。靴下、はかんかい。裸足で過ごす僕を見た父さんに、よく小言を言われる。その気持ちもわからんこともないが、僕は逆に、靴下をはいているよりも裸足になって揉みほぐしたほうが温かいのだ、という変な持論をもっている。実際のところ、このマッサージが効いているのかいないのか知らないが、手のひらの温かさに驚かれることがある。あなたは末端冷え性ならぬ末端熱性ね。妻にはそんなふうにおもしろおかしく言われる。
今季最大の寒波が訪れた二月の夜、ふとんのなかで寒さに耐えながら寝入るのを待つあいだにふと妻の鼻先に触れたとき、ひんやりとした感覚がこちらに伝わり、末端熱症である僕の鼻先の熱を奪っていった。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 加藤楸邨
【季語=冴返る(春)】