④ポッドキャスト『ビッグファイブ心理学雑談 #38』愛知学院大学心理学部心理学科准教授 谷伊織 &Qaijff森彩乃(2023・Amazon Audible)
価値観って種類がいっぱい。
シュプランガーの6類型
理論、お金、権力、審美、宗教、人間関係
シュワルツ
博識、善行、調和、伝統、秩序、権勢、達成、快楽、 刺激、自決
ホランド
現実的、研究的、芸術的、社会的、企業的、慣習的
「自分だったらこれとこれを大事にしてるな!」ってものがこの中に複数みつかるけど、やっぱりそれらの中にも序列があるなと思う。AとB比べたらAのほうがより大事!、みたいのが。
私の場合はですが、相対的に一番の価値!ってモノがどうしても存在していて、しかもそれを価値の頂点に据えることによって「この価値の妨げになるような要素を持ったタイプの価値観」に嫌悪感を抱いてしまってる自分がいる。
だけどホントはどの価値にも優劣なんてなくて、皆一様に「横並び」であることを理解しなきゃいけない。自分の推しだけがエライわけじゃない。他のどの価値だって誰かの至高の価値なのだ。侮ってはならない。
「どの子もみんな、ご両親の宝物!」みたいな感覚を、価値観にもあてはめて学ばなアカンのよ、私は。
みんながどうだかはわかんないけど、私には、自分の中にコアみたいなマイルールを作り、そのルールに従って自己の言動を制御したい!という思想・性癖があります。
例を挙げるとですね。
たとえば人間関係、主に感情的な問題に関しては、「自分の感情の責任は自分自身に帰属し、他人の感情の責任は他人に帰属する」って思想でいくことにしよ!というルールが揺るぎ無き鉄則として幅をきかせており、この絶対のルールに従って他人への対応とか自他の感情の取り扱いを決めておるのです私は。
こやってコアになるような概念をいっこ決めておけば、リアルの現場でどんな事例にぶつかっても、ある程度統一された方針をもって事態に対峙対応することができる。何を取って何を捨てるかの判断がラクになる。ルールのせいで少々ツラい気持ちになることがあったとしても、「ま、しゃーないよね。こういう方針やし私は」みたいにして事態に自分なりの決着をつけることができる。
なぜか幼き頃からずうっと勝手にこういう方針。長年こうやって生きてきたので、この先もこのまんま生きていこうと思う。
で、今まではマイルールのコアを決める時に、自分の中での序列1位、2位の価値観の支配を色濃く受けたピラミッド型の意思決定をしてました。間違いなく。
このルール・構造を堅持したまま、口先だけで「多様性、多様性」とか言っててもダメ。己の思想の大元を変えてやらねば、いつまでたっても現場の言動に「多様性」の色味など組み込めやせんのです。それにやっと気がついた。このポッドキャストで価値感と性格の違いについて学べたおかげで。
そしてなんと、数十年ぶりにルールの一部に大変革が!!
これ、自分的には物凄いことです。
とはいえ大切に想う価値の種類が変わったわけじゃないので、自分用には今まで通りの「A&B価値至高主義のピラミッド型ルール」を維持しつつ(ここんとこは個人の自由だと思うので変える気一切なし)、これとは別にもうひとつ、対外用の「上が平らな形してる多様性を重んじたルール」も導入。外界と対峙する時は、公私ふたつのマイルールを並べて上手にバランスを取ることができないか?と考えるようになった。これがうまくいけば協調性や多様性のアップにぐんと近づいていけるような気がするんだけど、どうだろうっっ(期待!)
リアルでの実践が追いついてないので予測でしかありませんが、なんせ私、筋金入りのマイルール至上主義者ですからネ。
今度から「外界への対応は上が平らな形のルールに変更しましたよ!」となれば、素直にそれに従うんじゃないかと思うんですよ。
協調性が低い人間の活路は、真の共感以外の方法で協調に歩み寄る方法を探し出すことにあると思うのです。私ならマイルールがそれ。他人へ同調する気持ちがなくとも自分の決めたルールには従える。てことは最初っから「型」として多様性・協調性に配慮したルールを作っとけばいーのです! ナイス!
これから自分がどうなっていくか物凄く楽しみ。なのであと最低でも10年くらいは事故らず病気せず、元気に生きてたいなと思う!