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映画「法廷遊戯」感想〜結城馨をもう一度考えた記録〜
壁打ちくらいラフに思い書き留めた文章を消したくなくて残すノートです。
◯お読みくださる方がいたら一読お願いします
物事も映画も色んな方向からの見方があるし、色んな解釈や楽しみ方があると思います。私から見たこの映画の面白みを残したかっただけの文章なので、考え方や解釈が違うな〜と思わせちゃうことも承知の上で以下はお進みください。
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まず、公開した頃にも一度結城馨についての感想や考察を書いているのでリンクを貼っておきます。今回はまたこの件を擦ってしまった話です。
https://note.com/kurose_mio/n/nc78648626624?sub_rt=share_b
法廷遊戯面白かったな〜。1番心に残るのはやっぱ最後のシーンなんだけど、結局馨はセイギのことをどう思ってたんだろうなぁ。匠くんが言っていた最後の〝ラブシーン〟はどういう感情の元のやりとりだったのか。色んなものを抱えてもセイギとの友情は育まれてしまったのか、ミレイの嫉妬心を煽りたかったのか、セイギのあの嬉しそうな顔を思い出すとできれば馨の中にも同じように会えて話せて嬉しいっていう気持ちがあってほしいと思ってしまうけど、抱えた過去や思いが重すぎる。
だけどああいう時間があったからセイギはあの決断を選んだんだろうなと自分の中では腑に落ちたし、ミレイはあの決断をしてしまったんだろうなと私は思う。馨はそれを狙っての振る舞いだったのか、それとも馨の1番の誤算はセイギとの間にあんな風にミレイの嫉妬心を煽る関係を作ってしまったことだったってことなのかな。
馨が生きて計画が成功するルートであれば父の冤罪を晴らすエンドで最善ルートだったことは明確だが、馨はもう一つの結末を用意していた。馨の同害報復は寛容の理論である考え方が2人にも負わせられたとすると2人もセイギは馨を、ミレイは方向性に間違いがあれどあれ程信じて依存したセイギを、それぞれ大事な人を失ったことになり馨の中で許される存在になったということなのか、それとも馨を失うセイギだけを許す仕組みだったのだろうか。
もしかしたら馨を失うことで馨はセイギを許して、そしてセイギが実際に犯した罪も償い正しい人生を歩いていける、馨にとってのセイギの存在を許すことと、セイギの人生をやり直すためのエンドを馨は用意したということなんだろうか。
円盤とかで俳優陣がそれぞれどんな解釈をしていたのか語り合ってくれないかな〜〜〜!