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武富健治先生『古代戦士ハニワット』勝手に応援企画(6)コラム⑤:女性の登場人物の魅力:御衣乃柔里(草稿)

1 不可解な柔里

 『古代戦士ハニワット』(『ハニワット』と略称)のヒロイン・御衣乃柔里(みそのゆり)は、造形的な美しさで読者に強い印象を与える一方で、その心情を推し量ることが難しい登場人物ではないかと思います。後述するように、特に第1部「長野善光寺編」(単行本四巻まで)の読者は、柔里という登場人物を理解しきれないかもしれません。先日のハニスペで、最新第2部・第39話「思念、集結」の凛が柔里とエリの二人を見るシーンが話題になりました。なぜ凛が主巫女(アチメ)の柔里だけではなく、エリも見たのか?「凛の浮気心」なのかな?そんな疑問が話題の発端だったのではないでしょうか。このシーンを理解する前に、柔里について考えてみます。柔里の不可解さとは何なのか。因みに、ぼくは『ハニワット』全登場人物の中で柔里が一番好きです(誰も知りたくない情報)。

2 柔里にとっての仁

  柔里を理解するためには、彼女の仁に対する気持ちの振幅を追う必要があります。というのは、本編では、柔里は凛と出会って9日間しか経っていませんが、仁とは10数年一緒に生活し複雑な感情を育んできたからです。

 物語の冒頭から柔里は仁に恋をし、仁の恋人のクマリに焼きもちを妬いている存在として描かれています(1.1.1)。柔里の視線を追えばわかりますが、彼女の目はいつも仁(とクマリ)に注がれています。柔里の恋心は、恋愛に疎そうなコトにもバレバレで、コトは煮え切らない柔里の背中を押していますね(洋服選びのシーン)。この時点で柔里が煮え切らない理由は、多分二つあります。一つは彼女と仁とははとこ同士であり、遠縁とはいえ二人は血縁であること。なおかつ10数年一緒に生活しているので家族でもあります。そもそも「仁兄ちゃん」と呼んでいる/きたのですから、呼び方を変えるだけでも心理的な壁がありそうです。もう一つは、仁にはクマリという恋人であり、主巫女(アチメ)がいることです。柔里の性格もあるのでしょうが、この二つの障害から彼女は仁に対する想いを内に秘めて、言動には出しません。唯一の例外は視線です。例えば、仁とクマリが出陣するために二ノ輿に入るシーン(1.1.6)。二人が御輿に入るのを巫女たちは、祈るように若干頭を下げて伏し目がちに見送っているのですが、柔里だけは表情を気取られないようにしながらも、二人の背中を見つめています。二人が御輿に入ってからも中の様子を想像しているかのように、複雑な表情をたたえて視線を御輿(の中?)に注いでいます。蚩尤収めに向かう二人を慮ってのことかもしれませんが、柔里が仁を見続けていることは確かです。

3 凛との出会い

 柔里の感情の転換点は凛との出会いにあります。言われなくとも、と思われるかもしれませんが、ぼくの読み方では、柔里の不可解な言動はほぼ「導き」(2.1.15)から「解藁の姉妹」(5.2.4)までの21話分だけに集約されています(厳密にいえば不可解な行動は「戸隠の里」まで)。実は「導き」以前の柔里は、仁への恋心を秘めているので、ほとんど感情を表に出しませんが、同時に不可解な言動もありません。ところが「導き」以後、21話分の柔里は頻繁に不可解な言動を行い、同時に心の裡を明かさないという極めて複雑なキャラクターとして描かれています。そして「解藁の姉妹」以降、二人の交流を描くエピソードが減るのですが、これは物語が群馬県と山形県に移るだけではなく、「解藁の姉妹」で一応の決着を迎えるからです。「解藁の姉妹」が、柔里の不可解な言動の鍵を握っていることは明らかです。その秘密について私見を語る前に、柔里の不可解な言動をおってみたいと思います。

 柔里と凛が出会うのは、仁が蚩尤収めに失敗した次の早朝です(「導き」2.1.15)。夢の中で両足を失った松葉杖の仁に導かれ、巫女姿の柔里は実家の近くにそびえる熊杉の下にいる凛とヤヨイ・オグナを目撃します。この時点で、柔里はまだ仁が両足を失ったことも、凛とオグナの存在も知りません。柔里が夢から覚めるのが、午前4時58分。一瞬、柔里は仁が亡くなったと勘違いするのですが(死の象徴である白鷺が仁を導いているから)、何かの導きと理解してすぐに実家に戻ります(前夜、病院で医師から「一命は取り留めた」と告げられている)。ところが熊杉の下には誰もおらず、がっかりして熊杉に祈りを捧げているところに、少し遅れて凛とオグナがやってきます。凛を見た柔里は「あ…あなた…誰…?」と驚きます。さっき見た夢はやはり正夢だったのでは?柔里はそんな感情を懐きます。

 次の「久那土凛」(3.1.16)から柔里の不可解な言動が始まります。問われた凛は自分の名前を名乗るのですが、柔里は「名乗られたってどうしようもない」「素性を聞いてんの‼」など、ため口で苛立ちを露にします。このエピソードまで柔里は誰かにため口を使うことはほとんどありませんでした。ところが「初対面」の凛に対して、ため口を連発するのです。おそらく柔里が本当に聞き語ったのは、「なぜあなたは夢に出てきたのか」「どうして仁はあなたの下に私を導いたのか」だと思います。しかし、それは出来ません。なぜなら、エリによれば夢占は叶うまで他人に告げてはいけないからです(2.1.15)。叶ったようにみえて、まだ叶っていません。この場に仁がいないからです。単に正夢に驚いただけかもしれませんが、この仁の不在という問題がこの後も柔里を不可解な言動に導きます(この夢占が本当に正夢だとわかるのは、両足を失った仁と対面する「エピローグⅠ」です)。先に去る凛とオグナの背中を柔里は瞳を開いて見つめ続けます。柔里に「見えている」のは、おそらく凛、そして仁だと思います。なぜならば、仁に導かれて熊杉の下に来たからです。柔里にとって仁が導いた男、それが凛なのです。

4 「奇縁」は無縁?

 続く「久那土凛」の後半部分から「奇縁」(3.1.17)にかけて、凛、ヤヨイ・オグナ、陣九郎、コト、柔里の五人が出会います。これらのエピソードで多くの読者は、コトと凛・オグナとの4年前、即ち宮崎県の高千穂事件に注意が向います。ぼくもそうでした。しかし、本当に重要なのは凛と柔里の心情ではないでしょうか。というのは、凛とオグナの待つ部屋に入り最初に成立する「会話」は、柔里「や…やっぱり…!」、凛「やっぱりね…戸隠の巫女だったのか…」です。本筋は柔里の物語なのです。ここでも柔里は「あんたが真具土の…」と凛にため口を使い、父の陣九郎は柔里の言葉遣いの荒さに驚いてしまいます。しかし、柔里は父に苛立ちの理由を話さずに、コトちゃんに話を振ります。話さない理由は夢占にかかわるからでしょう。語れないのです。そしてコトと凛の過去の因縁を聞いた柔里の様子が変化します(柔里は終始オグナに関心を持ちません)。柔里の関心はコトに移っているのです。仁が導いてくれた凛は、自分よりもコトと縁(ゆかり)が深いことに衝撃を受けたからです。凛の意向を汲んだオグナがコトを蚩尤収めに同行させようと、コトを指さした時、柔里の動揺はピークに達し「!」と汗かきながらコトをチラ見します(柔里の「!」はこれ以後も多用されます)。

 完全に自信を喪失した柔里は、父・陣九郎に夢占の話と、今朝の熊杉の下の出会いを語ります。そして「でも…なんか違うかも…」「主巫女に選ば手なかったら…ゴメンね…」と弱音を吐きます。読者にはまだ何も起きてないようにみえますが、柔里の頭の中では「奇縁」は自分には無縁のことだったと思い込んでしまったようです。「奇縁」はコトと凛、コトとオグナにあるように感じてしまったからです(柔里主観)。しかし、柔里の思い込みは杞憂に終わり、凛は柔里を主巫女に選びます。ただし柔里はすぐに別の問題に突き当たります。それは凛に不信感を懐いているだけでなく、彼が自分と仁の仲を引き裂く存在として感じられるからです。柔里は戸惑い、凛に対してきつい言葉を吐くようになります。

5 虬霊の禊

 続く「虬霊の禊(むずちのみそぎ)」(3.1.18)の前半部分でも、柔里の凛に対する言葉遣いはかなり荒いです。オグナに対しても「ちょっと…こっちはめちゃくちゃ親子同席なんですけど」と当たり、陣九郎にたしなめられます。これは父の前で裸になる照れ隠しにもみえますが、それだけではなく、凛に対する不信感を拭えないからでもあります。なぜ不信感を懐いているのでしょうか?柔里は、凛がコトに心を寄せていると考えているからです。彼女の心情は「昔馴染の人が近くにいた方がリラックスできるから…そうでしょ⁉」と、凛を試す台詞に表れています。凛の「昔馴染み」=コトに対する「嫉妬」です。しかしそれだけではなく、「なぜ仁はこんなコトに心を寄せる凛に導いたのか」という、愛する仁に対する苛立ちが含まれてるのだと思います。父にさらに強くたしなめられても、柔里の気持ちは収まりません。仁とクマリはシンクロに7日もかけたという話を引き合いに出し、凛を「こんな見ず知らずの人」と呼びます。これも仁に対する当てつけが含まれているようです。主巫女に選ばれながらも、柔里が凛に苛立っているのは「なぜ仁が凛に導いたのか」を理解できず、仁の導きを奇縁だと受け入れられないからです。柔里が凛に苛立ち不可解な言動を行う理由の根源にあるのは「仁の導き」で、それを心の裡で消化できない。もっと踏み込めば、「仁の導き」は柔里が仁と別れることを意味します。柔里はおそらく仁の主巫女になる夢を懐いて修行に励んできたので、仁との突然の別れに戸惑っているのです。

 そんな柔里の苛立ちをなだめたのは、凛の一言。「さもなきゃ…昨日よりももっともっと人が死ぬぞ」。ここで凛は忌み語=死という言葉を使って、柔里の注意を蚩尤に向けさせます。さらに滝の香と音、これが柔里の気持ちをなだめる役割を果たしました。そして凛は、柔里の手を自分の体に引き寄せ、自らの苦悩=土人形であること語ります(この土人形アピは凛の苦悩を示し、自分の「弱点」を晒して彼女の心を解く方法で、以後も繰り返されます)。柔里は凛に対する「誤解」を幾分解き、シンクロを進めてゆくことになるのですが、凛に対するわだかまりが完全に解けたというよりは、柔里の巫女として卓越した能力で乗り切ったというのが正確だと思っています。柔里は心は一種の「休戦」に入ったのです。

6 再び仁

 柔里が凛との奇縁を受け入れるためには、柔里は仁と別れなければなりません。それには三つの段階が必要でした。「エピローグⅠ」(4.1.30)と「エピローグⅡ」(4.1.31)では、そのうち二つの段階が語られます。この「Ⅰ」「Ⅱ」という二つの物語は第1部「長野善光寺編」=三角頭の蚩尤収めの終結部分に当たります。ただし凛と柔里だけに注目すれば、この「Ⅰ」「Ⅱ」は別の意味を帯びます。それは第1部全体が、柔里が仁と別れ、彼女が凛との奇縁を受け入れる物語、あるいはその準備をする物語であったことです。この点からみれば、三角頭の蚩尤収めは副次的な物語なのです(すくなくとも柔里にとっては)。そして、柔里が仁と完全に決別にするには第2部「解藁の姉妹」(5.2.4)を待つ必要があります。

 「Ⅰ」は凛の蚩尤収めが終わった翌日の午後4時、凛が目覚めるところから始まります。「あいつ」という呼び名で凛に柔里の所在を聞かれたエリは、「ユリね さっきまであなたについていたんだよ」と答えます。なぜさっきまでなのかと言えば、仁のお見舞いの仕度をするために柔里は離れたからです(クマリは主巫女として仁に付きっきりですが、柔里は凛の下を離れてしまいます…。今はそのことは措いておきます)。そして仁は凛に会いたいと伝言してきました。別れの「儀式」は仁が準備しています。仕度を終えた柔里と凛の会話は、柔里「あ…」、凛「…やあ」です。微妙な距離感。ただ凛の方はわりと平然としていて、焦って汗をかいているのは柔里です。仁と凛との間を揺れ動いていますね。ただし柔里の言動には棘はないようで、凛に対して「あんたに」とため口で語りかけますが、目は笑っています。

 沈鬱なクマリに迎えられたお見舞いの一行は、両足を失い全身を包帯にくるまれた仁との対面を果たし、ショックを受けます(柔里が両足を失った仁を見るのは初めて)。そして「Ⅰ」の最後は、仁が凛にかけた言葉「よォォ…お前が…凛か…」「会いたかったぜェ…」。この台詞は「Ⅱ」に引き継がれますが、これが柔里と仁の別れの始まりです。仁は自分が凛を受け入れる姿を、柔里に見せたかったのです(この直前に仁は渾身の下ネタを披露するのですが―自分とクマリは深い仲であることを示す―、これも柔里への決別の言葉です。柔里は気づかないようですが…)。仁は凛に「相性…良くてよかったな…」と柔里と凛のコンビを祝福し、柔里は仁を凝視しています。この凝視は「仁の導き」を、柔里が確信したことを示しています。仁は柔里に「安心して凛を支えろ」と遠回しに伝え、それを柔里は感じています。さらに、蚩尤収めを果たした凛がその地に長く留まれないことを知った仁は、凛を呼び止め「ユリを…連れてってやってくれよ」と畳みかけます(柔里の内面は「!」で表現される)。そして決定的な一言は凛の「ユリは…あんたのなんなんだ」という質問に対する仁の答え。「かけがえのねェ―正真正銘の妹だ…!」。柔里にとってこれ以上の別れの言葉はないでしょう。柔里はすべてを理解し哀し気な目で仁を見つめます。仁の最後の言葉はやはり凛に対する「頼むぜ…ユリを…!」。柔里は去り際まで仁を見つめています。ここまでが、仁が凛を受け入れ柔里に別れを告げた個所です。柔里が奇縁=夢占を受け入れる第一段階が整いました。何よりも夢占は、愛する仁が導く内容だったわけですから、仁が凛を受け入れたのは、柔里にとって決定的なことでした。柔里には一種の安心感が訪れます(ただし完全に安心していない)。

7 凛のお願い

 病院からの帰路の車中。柔里と凛だけが窓の外を眺めてもの考えごとをしています。それぞれの顔の向きは反対方向。凛はオグナに4~5日中にこの地を離れるという問題の起源をたずね、その解答に納得した凛は柔里の父・陣九郎に「ユリさんを…僕にくれないか?」と願い出ます。凛が仁の気持ちを汲んだのは明らかでしょう。これが第二段階です。柔里の目はまたもや大きく見開かれて驚きの表情を浮かべているようです。そして彼女の脳裏にあるのは夢占が一歩一歩成就してゆくことへの「恐れ」だと思います。繰り返しますが、夢占は仁の導きなのです。しかしこの時点でも、柔里は凛を受け入れきっていません。

8 柔里、最後の抵抗

 最後に、柔里の不可解な言動が現れるのは「戸隠の里で」(5.2.2)です。このエピソードは、由加と小林(権禰宜)の葬儀のシーンから始まり、凛・オグナ・陣九郎・正春が戸隠の隠れ里に行き、水谷技師長と、布留の修理について相談する部分に読者の注意が向います。しかし本筋は、ここでも柔里の物語なのです。

 葬儀から帰った柔里とエリ。エリは庭の池の鯉を見つめる私服姿の凛を発見し、柔里に「柔里ちゃん…声かけなくていいの…?」とたずねます。エリは仁の見舞にも参加し、帰路の車中も一緒だったので凛の「お願い」を知っています。そのことを気遣ったでしょう。しかし、柔里の答えは「いい……!」です。これが柔里の最後の抵抗で、仁との別れに対する最後の拒絶反応です(ATフィールド発動!)。外堀は完全に埋まっている状態ですが、柔里はまだ仁との別れを逡巡しているわけです。そして、柔里はエリに実家に帰ると伝えます。エリは、旅立ちの準備かと気を回すのですが、柔里は「違うよ…!」と強くバリアーを張っています。仁に頼れない柔里の最後の切り札(言い訳)は「ばあちゃん」です。

9 柔里、陥落

 柔里の陥落は「凛、来訪」(5.2.3)に始まり、「解藁の姉妹」(5.2.4)で終わります。「凛、来訪」の前半部分は布留の修理の話、「解藁の姉妹」の中盤は技師長の水谷と柔里の姉・カナ夫婦の話。新キャラの水谷とカナの存在感が際立っていますが、第1部「長野善光寺編」は柔里と仁の別れ、第2部「妙義横川&庄内飛鳥島編」は柔里が凛と共に生きることを決意する物語です。つまり第1部と第2部は二つ一組の物語になっています。従って、ここでも本筋は柔里と凛の関係性なのです。

 「凛、来訪」。隠れ里から帰った凛は、エリに柔里の所在をたずねます。「エピローグⅠ」でも凛は柔里を探していましたが、その逆はありません。柔里はいつも凛から「逃げている」からです。エリは凛の積極的な姿勢に好感を懐きめちゃくちゃはしゃぎ、正春に凛を送るように指示します。一方の実家の柔里は、完全に迷っています。ただしこれまでの迷いと違うのは、仁から別れを告げられているので「戻る」という選択肢はありません。凛と共に生きるのか、それとも「全部投げ出」すのか。柔里はこの二択しかないことをわかっており、それを迷っているのです。そこに凛が来訪します。送り出すのは仁、受け止めるのは凛、道を選択するのは柔里。三人の関係はそれしかなく、凛も自分の使命を演じています。

 そしていよいよ「解藁の姉妹」。このエピソードは『ハニワット』屈指のラブコメなのですが、柔里の解放の物語でもあります。このエピソードで柔里は棘のある荒い口調をまったく使いません。戸惑いながらも柔里は凛との奇縁を受け入れ始めているからです(仁と凛が準備した道)。そして柔里の幼少期の想い出から始まり、姉の第三子が乳児であること、ミルクのにおい、柔里のにおい、さらに凛には鼻・耳という器官が無いこと(再び土人形の告白)まで話は進んだところ、凛が仁の過去について話題をむけます。そして、二人は仁の住んでいた別棟に向かいます。ここが第三段階の舞台で、凛は柔里の気持ちを解きほぐす最後の一手を打ちます。その一言は、「しかし…よくわかったよ」です。この言葉は、凛が柔里の中に住む仁を受け入れたことを、柔里に伝える決定的な台詞です。凛の最後の一手、それは柔里の語る仁を理解し咀嚼し、そのことを柔里に伝えることです。柔里の一番大切な存在、仁の喪失に戸惑う柔里に、凛は自分と仁を選択する必要はなく、仁の想い出と共に柔里を受け入れるよと、柔里に伝えたのです。凛は柔里の想い出を介して仁を知り、仁と比べて自分の未熟さ(「気にしい」な性格)を柔里に伝えます。この言葉を聞いた柔里は「……」と穏やかに凛を受け入れます(このシーンがすごく控え目に描かれています)。凛が、仁の想い出込みの自分を受け入れてくれたのですから。

 柔里は、もう凛に苛立ちをぶつけません。なぜなら凛は仁と共に柔里を受け入れる存在だからです。柔里の姉・カナの夕飯の誘いの時も、甥や姪が「ユリちゃんの彼氏⁉」「彼氏なのォ⁉」という冷やかしにも、柔里は恥ずかしそうにしますが、苛立ちませんし、不可解な言動もありません。奇縁を受け入れているように見えます。柔里の最大の悩み―仁と凛の二者択一的な選択―は、凛によって解消されることが分かったからです。凛、さすが主人公です。

10 そして『めぞん一刻』へ 

 ぼくは、この凛と柔里の「打ち解け」を描いた「解藁の姉妹」が『ハニワット』史上最高のラブコメであり、同時にラブコメの最前線を描いた物語だと思っています。それは二人の関係性が、ラブコメ史上最高峰、高橋留美子先生の『めぞん一刻』(小学館)における五代くんと響子さんの関係性を踏襲しながら、その先に進もうとしているからです。

 ラブコメの王道は三角関係を描くことです。あだち充先生の『タッチ』(小学館)は達也と和也と南、『めぞん一刻』は五代くんと惣一郎さんと響子さんの三角関係を描いています。このうち和也は物語中で、惣一郎さんは物語が始まる前にそれぞれ亡くなります。このラブコメにおける二つの頂点的な作品は、死者を含む三角関係の物語なのです。武富先生は、この二つの作品を意識していたのだろうと想像します。というのも、当初案では仁は蚩尤収めで「死ぬ」予定でしたので。なぜ仁は「死ぬ」のか。仁は和也であり、惣一郎さんだからです。仁が死ななければ、死者を含む三角関係は成立しません。しかし、編集者の助言により仁は生きることになります。これまで丁寧に三人の物語を追ってきたように、仁が亡くなった場合、凛と柔里の物語はまったく別物にならざるを得なかったでしょう。しかし、それでも着地点は一つだったと思います。それは凛が仁込みの柔里を受け入れることです。これは『タッチ』の達也ではなく(南ちゃんは達也が好きで、和也にこだわっているのは兄の達也)、まさに『めぞん一刻』の五代くんなのです。五代くんと響子さんの関係も煮え切らないまま延々続くのですが、響子さんが気持ちに踏ん切りをつけることが出来たのは、五代くんが響子さんの亡くなった夫、惣一郎さんの想い出込みで響子さんを受け入れる決意をしたからで、この決意に全世界が号泣したわけです。

 凛は五代くんと同じやりかたで柔里をうけいれようとしました。ただし惣一郎さんは死者であり、仁は生きています。『ハニワット』が『めぞん一刻』を継承しながらも、『めぞん一刻』以後のラブコメの最前線を描こうとしているのは最早明らかでしょう。

11 月が…きれいだ

 「解藁の姉妹」の後半部は、凛の「月が…きれいだ」という台詞で始まります。この台詞が英語"I love you"の日本語訳であることは周知の通りです(本当に夏目漱石訳なのかな)。凛は柔里に「愛」を告白しているのです(もうそうとしか読めません!)。しかし『めぞん一刻』とは違います。なぜならば凛は土人形であり、子どもをもうけたり、家庭を作ることはできないからです。それを象徴する台詞は一人になった凛の「日々の…営みか…」です。『めぞん一刻』のラスト(ネタバレ)は、五代くんと響子さんが、生まれたばかりの赤ちゃん(春香という名前の女の子)を一刻館に連れ帰り、「ここでお父さんとお母さんは出会ったのよ」と赤ちゃんに語ります。でも、凛と柔里にはそのようなハッピーエンドがあるはずもありません。凛は土人形なのですから。これまで幾度となく、凛が柔里に自分の体について語っていたのも、土人形である自分を彼女に自覚させ、それでも支えて欲しいという不安と願いを込めてのことです。水谷家の食卓のシーンは、凛と柔里には望めない「幸せな家族」を象徴しているわけです。柔里も、それがわかっています。

 だから柔里が一人歩く凛を自転車で追いかけ、「ねえ…旅って…自転車もありかな?」と顔を赤らめるシーンは、柔里の決意、凛の「告白」に対する応答と読めるのです。今度は、柔里が土人形込みの凛を受け入れる番です。そして、凛は「…考えたこともなかったな…」と引継ぎ、「月」を一度見た後に「……………ありかもな…」と、柔里の決意に改めて答えます。とても静かな月夜に。

 おそらく『ハニワット』のラストシーンは、月夜に柔里が独りで自転車に乗り、旅立つのではないでしょうか。その時、柔里はお腹に凛の子どもを宿しているかもしれません。





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