科学と社会の溝のお話し
ちょっと前(2021年11月19日)の日経新聞記事ですが、考えさせられる内容だったので、シェアします。
このような書き出しでこの記事は始まります。
コロナ禍で科学への不信が広がりつつあるとう論旨で、これは無理もないかなというのが個人的な感想ですが、科学だけが槍玉にあがるのはちょっと不公平かなと思っています。
科学は、データや事実に基づいて、より確からしい解釈を提供するのが役割で、それを基に判断し実行動に移すのが政治の役割だと思うので、言い過ぎかもしれませんが政治の不作為にも問題があったと感じています。
ただ、科学が、今回の第6波が始まる前の想定外の感染沈静化や、第1波の時に欧州のような感染爆発が日本では起きなかった理由もまだ説明できていないのも確かです。
コロナ禍で、出来なかったことが少なくない
これは本当にもったいないことだと今も感じています。
今後も何らからの感染症のアウトブレイクがあるかも知れず、広く深くデータを取得し、今後に活かして欲しかった。記事にあるように、「総合知を発揮するはずの日本学術会議は存在感がなかった。」と言われても仕方ないなと思います。そういった視点を持った行動を取って欲しかった…
全て科学のせいにされるのは如何なものかと思いますが、その一旦を科学が担っていたのは紛れもない事実ではあると思います。
科学の方法論と考え方
科学的方法論では、太字にあるように、結論が出るまでには一定の時間が必要です。
仮説→データ収集(実験など)→データ分析(意味を見出す、解釈)→データから仮説検証→間違っていたら仮説の修正→(繰り返し)
一巡でうまくいくときもあれば(ほぼないけど)、何度もやり直していく場合もあります(こちらが大多数)。
そして上記の部分をよく考えると見えてくることが在ります。そしてこの見えてくることに対して、科学者は以下のような内容に対して自覚的です。
科学には限界がある(なんでも解決できるわけでないと知っている)
現状の結論・解釈には不確実な部分が含まれている(自分が間違ってるかもしれないと知っている)
色々な人が色々な考えを持っている(多様性こそが科学の根幹と知っている)
科学には社会との溝を自ら乗り越えていって欲しい
これは本当に大切な姿勢だと思っています。科学と社会が大きく乖離している感じをコロナ禍で嫌って程感じました。だからこそ、今科学に何ができるのか、何を考えているのかなど、日本学術会議レベルでもいいし、学会レベルでも良いから纏まった考えとして発信し、対話を進めて欲しいと思っています。
以前に科学振興のために対話は必要だというnoteを書いていますが、科学振興のみならず社会と科学のギャップを埋める活動もとても大切だと思っています。
一方で、科学振興は市民の科学リテラシーの向上にも寄与すると思うので、息の長い啓蒙活動は社会全体の底上げにもつながると思っています。
私個人でいうと、家庭で科学的な考え方に基づいて娘たちに質問をしたり、「だったら、こういうのはどう?」などの提案をしています。色々な角度で考える態度を持ってもらいたいからです。
色々な人が「自分が間違ってるかもしれない」という態度を持つと、色々な事象に対しての自分の考え(仮説)を検証する行動につながりますし、他人の言動に対しても冷静に対応できますし、なによりも謙虚さを持ち合わせるようにようなると私は思うので、まずはこれだけでも知って欲しいなと思うんですよね。
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