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自分の目的(パーパス)を考える機会は突然に

COMEMOのテーマ企画が中々スパイシーな内容です。
自分も思うところがあるので参加します。

答えがでないとしても、これ本当に一度は考えた方がいいテーマだと思っています。今まさに、これを考えているというのが正直なところ。

先月末に体調不良で寝込んでから、半ば強制的にこれが頭の一部を占拠して、考えさせられています。今もです。

会社のパーパス、部門のパーパス、個人のパーパス。

どれもがしっかりと同じような方向性にあれば本当に幸せだと思います。そうした状況が理想的だとも思えます。

が、本当にそれが有り得るのか?と周りを見渡してみると。。。

そうした人が居ますよね。
そうした人がとてもキラキラしてるように私には映ります。羨ましさすら感じてしまう段階で、私はそちら側ではないのだなと思い知らされることになります。

では、自分はどうなんだろうか?と病床で考えたわけです。

自分の状態を基準にして、私が取れる2つのパターンがすぐに頭に浮かびました。
1)自分のパーパスが不明:自分のパーパスは一旦棚上げにして、部門や会社のパーパスに自分を寄せてみる。
2)自分のパーパスを理解:自分のパーパスを部門や会社のパーパスと比較して、共通点が見い出してみる。

1)は、部門や会社のパーパスが素晴らしく、心から賛同できるような場合で、自分のパーパスが分かっていない人には良い結果となりそうです。ただ、賛同できないパターンは結構辛いですし、転職してしまうかも…

2)は、しっかりと自分のパーパスを自己認識している訳で、共通点を見出すのは案外簡単だろうと思うし、パーパスに親和性があるから入社したとも言えます。ただ、入社後とかに自分のパーパスに目覚めた場合、相容れないパターンは転職や起業なのでしょうか。

私に話を戻すと、自分のパーパスについては朧気ではっきりとした姿をまだ拝めていない1)のパターンです。そして会社や部門のパーパスを眺めると、思いっきり違和感を感じる訳でもなく、なんとなく自分が目指しているものとオーバーラップしているかもしれないという感じです。

これ、本当にラッキーだなと思います。

だから、少しホッとしている部分もあるものの、はっきりと言葉に出来ないもどかしさがあり、悶々とした日々を過ごしています。

自分のパーパスって、自分の存在意義ってことだと思うんですよね。
よく、こんな問いが成されることが多いのではないでしょうか。
私は何のために生まれてきたのか?
私は何が好きで何が嫌いなのか?
私は何がしたいのか?
とかとか。。。

これを病床でいきなり突き付けられて、かなり凹みました…
でもこれは誰もが一度は向き合うテーマなのかもしれません。

まあ、これに答えらえる人なんてほんの一握りだろうとは想像しています…

私はいわゆる青春時代に深い悩みや葛藤といった精神的な危機を迎えることなく、今まで来てしまったんだなと最近よく考えます。
幸せな青春時代だったとも言えるかもしれませんが、青春でやり残したことを今やっているのかもしれません。


#日経COMEMO #あなたの個人パーパスは #簡単な問いではない #深い内省が必要


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黒坂宗久(黒坂図書館 館長)
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