
玄関にあった友達の靴は僕に少しだけ語った
2021年3月21日(日)日経新聞朝刊の文化面に詩人の平田俊子さんの「下駄とコーヒー」という記事がありました。
写真の記事に書いてあるのは、寺田寅彦が正岡子規を訪れた際に彼が感じた心情が描かれています。
直接的ではないにせよ、このような生活に密着した下駄の有る無しで、これから訪ねる人の状況を今一度思い知ることになる瞬間を想像すると、平田さんが言うように寂しさが胸をよぎりますね。
また、この記事を読んでいてまた昔のことが思い出されてきたので、ちょっと書いたいと思います。
私は横浜市戸塚区で生まれ育ったのですが、特に小学生の頃は近所の友達とよく遊びました。私の世代は、ベビーブーム世代なので、周辺には多くの子供がいたのを覚えています。近所には同年代の子が1人はいたような記憶があります。
みんなで、ろくむしをやったり、野山で遊んだり(名瀬には野山が豊富でした)、近くの公園に行ったり、友達の家でファミコンしたり、スイミングクラブやテニススクールに通ったりと充実した日々を過ごしていました。
そんな楽しい日々に突然恐ろしいニュースが入ってきました。
近所でよく遊んでいた3兄弟の真ん中の男の子が交通事故で亡くなったと。それはそれはショックでしたし、近所の友達連中にも衝撃が走りました。
親に連れられて、お線香を上げにそのこのお家に行きました。あんなに元気を無くしたその子の両親(おじさんともよく遊んだりした)も見たことがなくて凄く悲しい気持ちになったのをかすかに覚えています。
何を話したかは全く覚えていないのですが、帰るときに玄関にその男の子が履いていた靴が置いてあるのに気づいて、もっと悲しい気持ちになったのを覚えています。
もうその靴を履くあの子はいないんだなぁと。
でも、今ならその靴を玄関に置いておく気持ちが少し分かります。
#日経COMEMO #NIKKEI #玄関の靴 #友達の死 #子供時代
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