ランナーの話:「黒杉さん」中編
まず、黒杉さんが、マイペースな走りから、レースやタイムを意識した走りに変わった理由からお話ししましょう。
私、黒リスの影響です。
最初、私がランニングを始めたと聞いた時、黒杉さんは断言しました。
「続かないね。マラソン?絶対、無理ですね。」と。
ご存知の通り、黒杉さんの予想は外れます。それどころか、2009年、初マラソンでサブフォー、ボストンマラソン資格まで取った黒リスには、軽く衝撃を受けたのかもしれません。しかし、その衝撃は、”黒リスさんを過小評価していたかもしれない。”というものではなく、”俺にも走る才能があったんだ。それに気づいていなかったのは不覚。”と言うものだったと思われます。
そんなわけで、黒杉さんも、定期的に、登米郡カッパハーフマラソン、気仙沼ツバキハーフマラソンなどの地元のハーフマラソンレースに出場し始めます。そして、大体、1時間40分台で走り切れるようになりました。
そんな日々を過ごしていたある日、彼は、人生最大で最悪の出来事に巻き込まれます。
2011年3月11日 東北大震災です。
家は被災しました。黒杉さん家族は被災者になりました。マラソンどころではありません。でも、復興に向けて必死で生きている時間の合間、黒杉さんは、走って地元の様子を観察し続けました。海沿いの壊滅した街の魚の腐った臭いの中(きっと魚だけではない)、「がんばろう!石巻」の看板を彼はどんな気持ちで眺めていたのでしょう。
黒杉さんは、マラソン以上に長い復興という道のりを一歩一歩進み続けました。その間、黒リスも、定期的に石巻に帰省し、壊滅から立ち直ろうと必死の石巻の街を一緒に走るようになりました。私たちは、一緒に走ることで、様々な気持ちを共有していたのかもしれません。そして、兄妹の絆というものも堅くなったようにも思えます。
そして、震災から3年後の2014年、漸く、満を期して、黒杉さん、マラソンレースにチャレンジです。
第一回東北風土マラソン、さてさて、彼の走りっぷりは如何に?
(つづく)