ペットの老後と終活を考える(番外編)
今日は、5回に分けて書いた”ペットの老後と終活を考える”の番外編として、科学的、理論的には証明できない不思議な話をしたいと思う。
皆様の中にも、不思議な体験があるかもしれない。例えば、自分とペットが同じ時期にがんになったりは、実は、結構、あるらしい。最初に飼ったミルキーの肺がんの手術をしてもらった獣医さんからも聞いた話だ。
私が乳がんになり、1年後、オス犬のミルキーの胸(肺)に大きな腫瘍が見つかった。ミルキーの後にアダプトしたシニア犬のコーディも、一緒に暮らし始めた1年半後に突然、胸にしこりが出来た。針検診をして、”がん”の可能性が非常に高いと診断された。また、膀胱内にもがんと思われる影があるとも言われた。
私はすぐさま、20年間住んだワンルームのアパートを売却し、レンタルのワンベッドルームに引っ越した。そこに住んでいるのが”良くない”と感じたからだ。そして、コーディの手術が終わり、腫瘍検査結果が出て、驚いた。今度は、腫瘍は、”悪性”ではないとの診断が出たから。また、膀胱内も調べたが、がんと思われるものは消えていた。
アパートを売却し、ワンベッドルームのアパートに引っ越したのが正解だったと心から思えたのは、その1年半後。新型コロナパンデミックとなり、私も相方も自宅勤務となった。二人であの狭いワンルームで1日中、仕事も生活も一緒だったら・・・。また、マンハッタンの地価は暴落し、つまり、私は最高に良いタイミングでアパートを売却した結果となっていた。コーディの事を第一に思えばこその行動が、結果として、自分の人生が救われるという不思議を感じている。
私の中では、犬は自分の身体の限界を超えても、飼い主の役に立ちたいと思う生き物に思え、だからこそ、犬にそこまでさせてはいけない、人間の方が犬の人生(犬生)を決める立場なのだから、犬にそこまで甘えてはいけないと思っている。例えば、”与えられた寿命以上に生きて欲しい。”と願うことも含めて。
私が高校を卒業する頃に、父がいきなりブリーダーから買ってきた真っ白なマルチーズのライタ。気がつけば、兄も私も実家を出た後の家族の”鎹(かすがい)”の役目を担っていた。ライタは私に良く懐き、私が実家に里帰りをする日には、朝から玄関で待ってくれ、私が戻る日には、私のバッグに入って、一緒に連れていってアピールした。
ライタがシニアになる頃、父と母の仲は最悪だった。その頃、私は既にニューヨークに住んでおり、1年に1度は実家に里帰りをしていた。ある年、15歳になるライタの変わり果てた姿に驚愕した。絹の様な毛が抜け、シミだらけの痩せ衰えた身体にイボがいくつも出来ていて、身体が半分腐っている様な状態だった。それでも、私の姿を見ると、ベッドから立って、ヨロヨロと寄ってきた。私は思わず、言ってしまった。「ライタ、もう、本当はもう死んでいる身体だよね。もう、無理しなくていいんだよ。」と。
翌朝、ライタは旅立った。早朝、キャン!と大きくひと鳴きして。
母からは、「あなたがあんな事、言うから、ライタは死んだんだ。」と責められた。そうだろうか?
「違うと思う。自分の寂しさをライタで埋めようとしたお母さんの期待に必死で、寿命を超え、あんな体になるまで応え続けたライタの大変さを分かっていた?」との私の反論に母は黙った。そして、二人でライタを火葬場に連れて行き、弔った。
ミルキーの最後は、大きな癲癇を何度も繰り返す様になり、いつ旅立ってもおかしくないぐらいだと思っており、その年、予定していた日本への里帰りをキャンセルした。だが、その直後、母が倒れ、救急車で運ばれ、入院したとの連絡が入った。
非常に困った。母と愛犬の命のどちらを優先すべきか、天秤にかけないといけない様な状況に私は苦しんだ。
私が帰国中の2週間、相方がミルキーの面倒を見てれくれるが、その間に旅立つことになったら、、、想像すると背筋が凍った。だが、今まだ意識もちゃんとあるミルキーを安楽死させるのは、あまりにも身勝手なのでは?
葛藤の末、ミルキーに伝えた。
「ママちゃんね、日本に帰らないといけないんだ。ママちゃんのママちゃんが倒れたの。だから、今回は帰らないといけないんだ。ミルキー、ママちゃんが帰ってくるまで、頑張ってくれる?」
ミルキーは、それから数日後に自ら旅立った。私の日本出発の数日前だ。ミルキーは私を2週間待つ自信がないと判断したのかもしれない。そして、今、逝くのが私にとって最良だと思ったんだと思う。
コーディは、2017年2月25日に、シニアで引き取ったから、そんなに長く一緒にはいられないとは分かっていたけど、3年を過ぎた頃に急に衰え始め、2020年11月頃には、次の誕生日(引き取った日、2月25日を誕生日にしていた。)を迎えられるかな、、、と思うほどになっていた。私は、願掛けのつもりで、”酒断ち”をした。”4年目の誕生日を迎えられます様に。”と。
2021年1月が過ぎ、2月になり、もともと少なかった毛も抜け落ち、肉が削げおち、抱っこするとお尻の骨が当たるほど痩せ衰えていった。ライタのことを思い出した。”私があんな願掛けをしたから、コーディに無理をさせているんだ。”と思った。だから、コーディに何度も言った。
「コーディ、ママちゃんの願掛けなんて、無視していいんだからね。コーディが生きたいだけ生きたらいいから。」と。
それでも、コーディは生きた。私の手から、ボロボロこぼしながら、ご飯を食べ続けた。そして、2月24日になり、ご飯を食べるのを止めた。旅立つ準備をしているんだと分かった。2月25日の誕生日を一緒に迎えた。私のために、コーディは生きてくれた。私のばかな願いを叶えるため、必死で生きてくれた。そして、2月27日、コーディは旅立った。
私が守らないといけない、負担をかけてはいけないと思っている犬たちに、私は負担をかけ、そして、護られ続けている。
人間の方が優れているとか、上だとか、私は思えない。そんな体験ばかりを犬から与えられている。
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