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与える木、奪う人間

つい数日前、こんなエッセイを書いた。

Facebookに偶々上がってきた、詩の様な文章に感動して書いたエッセイだ。
すると友人達から、「これって、”大きな木”っていう絵本ですよね。」というコメントを頂き、初めて、私が読んだのは、絵本の最後の一部の切り抜きだと知った。そして、ベビーシッターを生業にしている友人から、「全体を読むと、感想が変わるかもしれませんよ。」とアドバイスを頂き、どれどれと絵本を探し、早速、読んでみた。なんと、日本語訳の絵本”大きな木”は、あの村上春樹氏が行っていた。知らなかったー。

読んでびっくり、私、最後だけ読んで勝手に、木と少年の友情の話だと勘違いしていたことが判明。そこに友情や労わりなんてない。がーん。
あったのは、少年が一方的に、木が与えてくれるものを奪い続けていくという内容だ。がーん。

ちなみに、原題は、”Giving Tree"=”与える木”だ。
日本語訳の”大きな木”とは印象が全然違うじゃねーか。

かなり衝撃を受け、一体全体、この絵本は何を伝えたいのか??
これ、本当に子供向けの書籍なの?
と、私の頭の中はぐるぐるぐるぐる。

お陰で何度も読み返した。

最初は、一方的に木に甘え、与えてもらえるのが当たり前だと思って、どんどん木から奪い続ける少年(後には青年、中年、老人になるが)の性根に嫌悪感を覚えた。そして、同時に、これが人間が自然界に対して行っていることなのかもしれないとも考えさせられた。
木の人の良さ(って言葉が非常に変だが。笑)に腹すら立った。
「拒否しろー!!」って心の中で叫んだ。

だが、何度か読んでいるうちに、最後、分かったことがある。

木は切り株だけになり歳も取った。そして、少年も歳を取り老人になった。
その時、それでも、”幸せ”だと感じられたのは、与える方の木だった。
与えられ続け、奪い続けた少年は、ただの疲れた老人でしかなかった。

非常に奥深い内容に、最後はまた泣いてしまった。
前回同様、私は切り株みたいになりたいなぁ、と思う。
だって、一見、全てを失った様に見えるけど、実は失ってないんだよね。一番大切なものは、誰にも奪えないのだ。それは幸せの価値観というものかもしれない。

で、少年みたいには、、、、決して、なりたくねーっ!(爆)





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