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大きな乾杯、小さな乾杯
抗がん剤は投与2日目から、どーんとくる。
全身の毛細血管まで渡り切った抗がん剤が、私のがん細胞と戦う。その戦いは熾烈で、健康な細胞達も巻き添えを食う。
だから、身体が動けなくなる。気持ちが悪くなる。目も霞む。
私は、傷を癒す野生動物の様に身体を丸め、戦いが終わるのをじっと待つ。
1週間程で、戦いは終焉し、私の身体は必死で細胞の修復作業にかかる。徐々に身体は、元気を取り戻し、普通に過ごせる週がやってきて、そして、また抗がん剤投与が始まる。それを3週間に1回、合計6回が私の抗がん剤治療。
2014年の大晦日に、乳がんの告知を受け、2015年からがん治療が開始。私の人生の最大のターニングポイント。2015年は、まさに生きるか、死ぬかの大勝負の年であった。
私には一緒に住んで2年程の相方がいた。がん告知を受けた大晦日の夜に、相方から、「結婚しよう。一緒に乗り越えて行こう。」とプロポーズされた。
嬉しいというより、困惑した。激情&同情に駆られてそんなこと言ったって、がん患者を支えるって、生易しいものじゃないだろう。頷けなかった。私は、彼のお荷物として人生を生きるのも嫌だった。
そんな彼から、2月初旬に指輪を貰った。いきなり、連れて行かれた5番街のお店で、私は想定外に号泣した。明後日から始まる、第一回目の抗がん剤治療に恐怖と不安を感じていたんだと思う。苦しい時、辛い時、この左手の指輪を見て、頑張れる気がした。
相方は、抗がん剤治療中の元気になるサイクルに合わせ、色んな素敵なお店を予約していた。
1回目のフレンチビストロ。フランス・パリに本店があるNYCミッドタウンにあるお店。
「第一回目の抗がん剤治療、無事、終了。乾杯!」
相方とグラスを鳴らす。私は水だけど。
3回目から、自分の髪の毛ではお店に行けなくなった。自分の髪型にそっくりなカツラを被っての外出にはまだ慣れない。
4回目、抗がん剤が徐々に身体に染み込み、蓄積し、健康な細胞が生成されるスピードが追いつかない状態となり、元気な時期も元気じゃなくなった。でも、素敵なレストランに行く為、一生懸命、お洒落をする。背筋を伸ばす。そして、「乾杯」をする。
5回目、美味しいと評判の高級焼き鳥屋さんの味が分からない。相方にほぼ食べてもらう。
6回目、最後の抗がん剤が終わったから、一番、食べたかったお刺身解禁。お酒も一杯だけいいよね。
「無事、抗がん剤治療完了。乾杯!」
涙が溢れた。
1年後、私と相方は、正式に結婚し、親しい友人だけでの結婚パーティを開いた。ロングヘアーのカツラではなく、ベリーショートの花嫁。
沢山の乾杯を貰った。
あれから5年が過ぎようとしている。そう、来年の2月で、治療から5年が終わる。寛解と言われる日が近づいてくる。その日が無事、訪れますようにと日々、願う。
まずは、その日に、大きな乾杯をしよう。
私はきっとその時、寛解の日々がずっと続くようにと祈るだろう。
そして、その日々が続く限り、ずっと、小さな乾杯を繰り返す。