ああ、今年も終わる
夏が終わると、なぜ、こんなに今年という時間は駆け足になるんだろう?
そして、11月が過ぎると、フィニッシュストロングを目指すかのような時間の流れ。その隙間を練って、暫し、今年を振り返ってみるって大切よね。
正直、9月まで、何事も順調だった。
相方も再就職し、私もそれに合わせ、ほぼ毎日、お弁当作りに励み、時々、バイトをし、ランニングチームの練習会で汗を流した。
愛犬の胡桃は、お転婆が過ぎて、腰をぐきっとやったり、膝がカパっとしたり、蜂に刺されて顔が腫れたり、眼球を傷つけたりと、色々やってくれたが、それでも、毎日、ガツガツと美味しそうに食べ、ブリブリといいうんちをして、ゴロンゴロンと一緒に布団にくるまっているから、ヨシとしよう。
だが、9月、私のバースデーマンスにいきなり雲行きが怪しくなるどころか、暗雲立ちこめる状態になってしまった。
親しい友人二人が、生命の危機レベルの大病に冒されたのだ。
そして、がんサバイバーの私がサポートを求められたのだ。
大病の先輩として。
暗雲立ち込めたと思ったら、あっという間にトルネード状態で過ぎた9月、10月。間近で見続けた二人の病状に、自分も他人事には思えず、11月のオンコロジストとの定期検診の時には、「私のがん、再発や転移していないって、定期検診で分かるんですか?血液検査と問診で分かるんですか?」と、食いついてしまった。明日は我が身の恐怖心での言動だ。
人間はいつか死ぬ。
いや、いかなる生物はいつか死ぬのだ。植物だって昆虫だって、生まれた時点で、死が確定しているのだ。考えてみれば、生物以外の物、例えば、今使っているPCだって、新品から時を経て、いつか使えなくなる=死ぬ。
存在した時点で死とセットなのだ。
そう思えば、死というものは、それほどおかしな現象ではない。自然なことだ。だけど、なぜか死という現象は、特別で恐怖を感じてしまう。
そんな恐怖を感じている暇があれば、生きている実感を堪能した方がずっと有意義だ。
理屈では分かっている。
でも、理屈を超えた感情に支配された11月12月であった。
今年のNYの冬は雨が多い。雪が降る季節に雨が降っている。
地球温暖化の影響だろうと感じる。
地球もいつか死ぬのだろうか?
そんな愚にもならないことを考えながら、今年も終わりそうだ。