ランナーの話:「赤兎馬」前編
赤兎馬(せきとば)とは、三国志に出てくる、呂布や関羽の名馬である。気性荒々しく、勇猛で、且つ、脱兎の如くすばしこく、戦場での働きは凄まじい。
ニューヨークにもそんな馬がいる。ここでは、その方を赤兎馬さんと呼ばせて頂く。彼は、ニューヨーク・日本人ランニング界のレジェンドである。
赤兎馬さんは、見かけは、そんな荒々しい、オラオラ系の真逆で、サービス業をされていることもあり、非常に腰が低く、会話も機知に富み、自分より若い世代にも対してもそれは変わらず、それどころか、ランニングを始めたばかりの人たちのタイムの伸びをちゃんと記憶し、「今回のレース、〇時間〇分だったでしょう?すごいですね〜。健脚ですね〜。」なんて、持ち上げてくれたりもする人格者である。
私、黒リスがランニングを始めた12年程前の2009年、赤兎馬さんは57歳。NYCマラソンを2時間58分44秒で走っていた。
因みに、赤兎馬さんの初サブスリーは54歳。真剣にタイムを狙い、サブスリーを目指すようになったのは、40代後半だったそうだ。1984年のNYCマラソンを4時間32分02秒で完走して以来、どうやら、イベント的に、毎年NYCマラソンをサブフォー程度で走っていたが、ある女性のラン友との出会いが、赤兎馬さんの走りに大きな影響を及ぼしたと聞いている。
その女性は、腰までの長い艶々の髪の毛をポニーテールにして、レース前にはネイルサロンで爪の先まで整える、マラソンを3時間15分程度で走る美ジョガー。
2003年1月のフロストバイト10マイルのスタート地点、赤兎馬さん、彼女に、不用意に、「〇〇さん、意外と速いんですね〜。」なんて軽口を叩いてしまった。結果、赤兎馬:1時間14分36秒、美ジョガー:1時間11分36秒と、美ジョガーさんの圧勝であった。
「何、チンタラ走ってんの。(かっこわる〜)あたくしにそんな口聞くの、100年早いんだよ。」的な視線が突き刺さったに違いない。
そんな美ジョガーに、そんなことを言われちゃ(言われたかどうか定かでははないが)、男が廃るとばかり、急に赤兎馬さん、鼻息荒く、走りに真剣に取り組み始めた模様。人間、何が原動力になるのか分からない。
そして、気がつけば、ニューヨークいちのマラソン中毒患者になっていた。
(つづく)