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ランナーの話:「道産子丸」中編
2011年という年が、道産子丸にとって、ランナーとしてのターイングポイントであったのは間違いない。東北大震災をきっかけに、Run for Japanを立ち上げ、今まで知らなかったランナー達と出会い、刺激を受け合い、そして、ランナーとして互いに成長していった。
それにしても、道産子丸の成長は著しく、持ち前の負けず嫌いで頑張り屋の性格から、あっという間にボストンマラソンランナーになった。ロードマラソンだけじゃなく、ウルトラマラソンやトレイルランにも次々に挑戦していった。また、自身が住むNY郊外のランニングチームの唯一の日本人メンバーとなり、すんなりと仲間達に溶け込んだ。さすが、道産子、開拓者精神半端ない。
もちろん、挫折もあった。
2012年、道産子丸は、自分の最初の100マイルレースは、Leadville 100にすると宣言。しかし、そのレースは、色んなウルトラトレイル100マイルレースを完走しているベテランランナーでも中々、完走が難しい超難関レース。理由は、標高。スタート地点がレッドヴィルという標高3,095メートルに位置する天空の街。
そこから、50キロ以上進んだ後、800メートルの山(つまり標高3,800メートルぐらい)を往復するという人間の肉体的に相当過酷なもの。そのレースに、トレイルを始めたばかりの道産子丸が挑戦するというのだ。
やれば出来る。
実際、道産子丸は次々と目標を達成してきた。努力もする。だから、自分には出来ないことはないと思ったのかもしれない。いや、出来ないと思う自分に負けたくなかったのかもしれない。
だが、先輩ウルトラランナー達も努力を重ね、挑戦し、果たせなかったレースでもある。だからこそ、先輩ランナー達は、アドバイスをした。
「まずは、50マイルを何本かやって、比較的フラットな100マイルレースを完走してから、挑戦した方が良い。」と。
しかし、道産子丸の決意は変わらなかった。そして、2013年8月、挑戦し、50マイル地点でDNF。
悔しかったと思う。だが、その挫折から彼女は学び、強くなった。
自分の肉体の特性、強みを認識し、出るレースを選び、レースを重ねるごとにタイムを伸ばし、上位に食い込み、時にはトロフィーを取った。
ローカルランニングチームで、出会ったイケメン男子ランナーと恋をし、成就させた。
欲しいものをどんどんと手に入れ、絶頂期だった。
そして、妊娠した。
予想外だった。
(続く)