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ランナーの話:「赤兎馬」中編

「いや〜、私もそろそろ普通のおじさんに戻りますよ。」

2011年の東北大震災がきっかけで、前より走る様になった私が、セントラルパークへ走りに行く度、赤兎馬さんが必ず走っていて、良くチャットランをご一緒してもらった。赤兎馬さんは、まるでセントラルパークの主みたいに、いつ行っても、セントラルパークの6マイル(約10キロ)のコースをジョグしており、誰かに出会うと、方向転換をして、その人のペースに合わせ、並走してくれるのだ。その際、色々なラン談義に花が咲くのだが、その頃ぐらいから、「普通のおじさんになります宣言」をし始めた。赤兎馬さんは59歳になっていた。

しかし、実際の赤兎馬さんは、相変わらず、ほぼ毎週開催のNYRR(ニューヨークロードランナーというNYC最大のランニングレース主催団体)主催の4マイル(6.4km)からハーフマラソン距離のレースで軒並み年代別優勝をかっさらっており、その年に選ばれるNYRR年代別・最優秀ランナーに連続して選ばれるという快挙を遂げていた。だから、私は、その赤兎馬さんからその台詞を聞く度、「ハハハ、また出た。狼おじさん。」と笑っていた。

だが、その年(2011年)のNYCマラソンは、3時間6分17秒。

きっと、本人が一番、気づいていたのだろう。なぜなら、毎日走る=自分の身体と向き合う事だから。歳を取るという残酷さを嫌でも感じるはずだ。

だから、赤兎馬さんは、笑い話に変えようとした。キャンディーズの引退宣言(若い世代は知らないはず)を捩り、「普通のおじさんに戻ります。」と。自分に逃げ道を作ろうとしたのかもしれない。

だけど、重度のマラソン中毒患者が、そう簡単に中毒から抜け出されるものか。いや、抜け出して欲しくなかった。ずっと、私たちの前を走っていて欲しかった。

だから、私、黒リスは、あるラン仲間の送別ランとして、ダービーに見立てた血液型駅伝を開催した際、赤兎馬さんにはこんな馬名をつけた。

”カンレキボストン”

2012年10月、還暦を迎えた11月のNYCマラソンでサブスリーに返り咲き、そして、翌年2013年4月のボストンマラソンでもサブスリーを取る。普通のおじさんなんてクソ食らえだ。だって、赤兎馬だよ。レースという戦いの場でこそ、本領発揮じゃないか。

「ハハハ、黒リスさん、無茶言いますねぇ。でも、素晴らしい馬名、有難う御座います。」

相変わらず穏やかな笑顔で、赤兎馬さんは馬名を面白がってくれた。

そして、本当に目指してくれたのだ。カンレキサブスリーを。

赤兎馬さんは、着々と目標に向けて、自分に試練を課し続けた。例年以上に、身体を仕上げ、肉体的にも精神的にも戦闘モード全開だった。

だが、2012年のNYCマラソンは、レース2日前、突然、中止となった。

ハリケーン・サンディがNYを襲って4日後の出来事だった。

(つづく)



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