わたしのレスキュードッグ
ミルキーが死んだ。
私がニューヨークに住み始め、10年経ち、生活が安定した時に飼う決断をした初代わんこ。マンハッタンの狭いアパートで、シングルマザーで育てられる様、飼いたい犬ではなく、飼える犬として、ロングヘアーチワワのミルキーをブリーダーから買った。そのミルキーと過ごした13年と10ヶ月が、2016年12月に終わった。
その2年前、私は乳がんを発症した。会社を半年間休職し、治療に専念することになったが、長い時間アパートのベッドで過ごす私の側には、常にミルキーがいた。そんなミルキーは、私の抗がん剤治療が終わった後、肺がんが見つかり、まるで私のがんを引き受ける様に、1年半後に旅立ってしまった。
もう次の犬は飼えない、と思った。
こんなミルキーの様な子を超える犬にはもう絶対会えない。この子以上に愛せる犬は絶対いない。そう思う自分に飼われる犬の方が可哀想だ。
いや、それ以前に、がん患者の自分はいつまた再発や転移が起こるとも限らない。自分の不確定過ぎる寿命を考えると、新たに犬を飼う選択は絶対ない。
そんな気持ちで数ヶ月間が過ぎた。
しかし、アパートで住民達の犬を見かける度、公園で他の犬を見る度、その温もりに触れたくて堪らなくて、思わず飼い主さんに声を掛け、触らせてもらった。ああ、恋しい。この温もりが恋しい。涙が出るほど恋しい。ミルキーを失った喪失感に溺れそうだった。
どうすれば良いんだろう、と思い悩んだ時、考えついたのが、フォスターボランティだった。正式な飼い主が見つかるまで、一時的に保護犬・保護猫を預かるボランティア。これなら、動物にも触れられ、保護犬達の役にも立てる。最後まで責任の取れない立場にいる自分にはこれがベストだと思い、早速、近所のレスキュー団体に連絡を取り、申請し、審査を受け、フォスターボランティアの資格を得た。
レスキュー団体には、「アパートのスペース関係で、小型犬が希望。それ以外の要望はなし。」と伝えていた。2週間後、私たちにアサインされたのが、テネシー州のキルシェルターから、レスキューされ、ニューヨークに送られる予定のコーディだった。コーディは8歳でヨーキーとシュナウザーのミックスと言われていた。
アダプションサイトに掲載されると、真っ先に譲渡が決まるのは、可愛い仔犬。その次に5歳以下の若い犬。10歳を超えるとぐっと引き取り手はいなくなる。8歳のコーディはギリギリといったところだ。
自分が飼うなら色々条件を検討するけど、一時預かりなら、ボランティアだし、どんな犬でも小型犬なら良いと思って引き受けたコーディ。
しかし、コーディをピックアップに行った時、その彼の状態の酷さに驚いた。まず、臭いがホームレス臭とでも言おうか、もうどれぐらい劣悪な状態に置かれ続けたらこうなるのだ?という程の凄まじさ。その上、顔には毛があるが、身体の毛はほぼ抜け落ちており、皮膚に蝋の様なものが浮かんでいる。それだけじゃない、身体中、傷だらけなのだ。レスキュー団体によれば、ほんの10日前に去勢手術やチェリーアイ、身体に何箇所かあった皮膚腫瘍を取り除く手術をされたばかりとのことだった。
こんな子、そりゃ、誰も引き取らないよ。こんなズタボロな子を見て、誰が飼おうと思うだろう。
コーディをアパートに連れて帰り、まずした事は、シャンプー。最初は、レスキュードッグの多くは恐怖から噛む子が多いと思っていたのと、身体の傷を気にして、恐々と、コーディに触れた。でも、コーディは全てされるがまま。痛みも感じないのだろうか? 恐怖もなければ、期待もない。このまま死んでもいいといった、まさに、全てを諦めた様子だった。吠えることもなく、ただただ虚無を見つめる目。
しかし、ご飯を与えたら、すごい勢いで食べ、その後、コーディ用に買っておいたベッドに乗せたら、なんと、仰向けになり、ゴロンゴロンを嬉しそう転げまわった。こんな最低限のケアに、こんなに喜んでくれるんだ。
なんだか泣けてきた。
その日から、私にミッションができた。
コーディをみんなが欲しがる様な可愛い・お利口さんの犬に変身させるのだ。このホームレス臭のオヤジ犬では、誰も引き取り手は現れない。次の引き取り手が見つかる様な犬に仕立て上げるのもフォスターボランティアの役目の一つだ。
私は、そのミッションを完成させるべく、必死で、コーディのケアをした。1度ではさっぱり臭いが取れないので、獣医の友人に相談した。どうやら脂漏症という皮膚病になっている模様。
メディカルシャンプーを購入し、2日毎洗い、皮膚に良いと言われるオイルを塗り、マッサージをし、レスキュー団体と約束した1日3回、最低1回20分以上の散歩をこなし、”お座り”や”待て”などのコマンドを教え、トイレの躾をした。会社に通いながら、それらをこなすと1日があっという間に過ぎていった。
その結果、2週間でコーディは別の犬かと思うほど見違えた。絹糸の様な毛がフサフサと生え始め、無表情だった顔に笑顔が咲いた。
コーディが私の言葉を、気持ちを理解しようとしてくれているのを感じた。
8歳になっても新しいことを覚え、変化していくコーディに驚きしかなかった。
レスキュー団体から、間も無く、コーディを譲渡可能でネットに掲載するとの連絡が入った。
なんでこんなに自分が必死で可愛いわんこにして、誰かに渡さないといけなんだ。
それがフォスターボランティアだ。でも、私は、Foster Failure(フォスター失格)の選択をした。だって、誰にもこの子を渡したくない。こんな良い子を手放すなんて絶対嫌だ。そんな気持ちが、フォスターボランティアの責任感を超えた。
レスキュー団体に、うちで正式にアダプトすると返信した。
アダプト後、獣医さんに診てもらったコーディの実際の年齢は8歳ではなく、多分、もっと上。コーディをキルシェルターから引き取り、ボランティアでコーディに様々な手術を施してくれた獣医さんとレスキュー団体は、きっと、少しでもコーディがアダプトされる様に、ホワイトライ(優しい嘘)をついたのだろう。非難する気持ちはない。ただ、8年間でも十分長いのに、10年以上も辛い環境にいたのかと思うと、胸が痛んだ。
これからは、全部、ハッピーな時間にしようと誓った。
それから4年間、コーディは私と共に生きた。
気がつけば、私にとって、がんが再発しやすい最初の5年が過ぎていた。
一番不安な時期、コーディがいてくれた。そして、コーディをちゃんと看取れた自分に安堵している。私はどうやらもっと長生きできそうだ。
最初の頃、私がコーディを救ったと思っていた。
でも、途中で気がついた。
私がコーディをレスキューしたのではなく、コーディが私をレスキューしてくれたのだ。
そして、そんなコーディは、きっと、ミルキーが神様に頼んで送ってくれたギフトだと思っている。
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