嫉妬と私
私はどうやら、”羨ましい”という感情が人より少ないかもしれない。
「あの子、また新しいバッグ持っている。」
「あのネックレス、買ってもらったんだって。」
「あの人、昇進したらしいよ。」
「今度、パリ駐在だって。」
「あのレースで優勝したらしいよ。」
「あの人、SNSでフォロワー数すごいらしいよ。」
「彼女の旦那さん、XX会社の重役だって。すごくない?」
「あの人のご実家、田園調布の一等地だって。」
「あの人の犬、超レアな犬種でめちゃくちゃ高かったみたい。」
などなど、そんな噂話を耳にする度、”へー。”という反応しか起こらない自分。だって、他人事じゃん。自分の人生と何の関係があるのか?
もちろん、友人のバッグが自分の好みだとなれば話は別だ。
その場合、「素敵なバッグ。どこで買ったの?なんていうブランド?」と聞いて、自分で調べて、自分の懐具合と相談して、買うか買わないか、買えないかを決める。つまり、自分事になったので、行動に移すというわけだ。
それを、”羨ましい”という感情でいっぱいになって、嫉妬で苦しむという流れが、私にはどうも理解出来ないのである。”羨ましい”と思ったところで、何か良いことがあるのか?とすら思ってしまう。
そんな私だから、他人からの承認欲求もすこぶる低いようだ。
他人から”羨ましい”存在になりたいとは思わないからだろう。
「黒リスさんは自分に自信があるのね。」
と、言われるかもしれない。
いやいや、違うんだなぁ。単に、開き直っているのです。
私って、こんなもんですわ、と。
私は私としてやれることをやる。それしか出来ない人間なんです。
そういえば、私のこの人格は生まれつき?それとも後天的に形成されたものだろうか?
思い浮かぶのは、以下のエピソード。
小学生の低学年の頃、子供達の間で、ブドウの形をした消しゴムが流行った。私も欲しくて、親に言って、色んな色の中から、紫色のブドウ消しゴムを選択し、買ってもらった。
でも、周りの子供たちは、色んな色のぶどう消しゴムをいくつも持っており、学校で見せびらかしっこをやっていた。
当然、私も他の色が欲しくなり、親に買ってと頼んだ。
すると、親が私に聞いてきたのだ。
「先日、買ってあげたよね。もう使い切ったの?」
「ううん。」
「じゃあ、なんで欲しいの?」
「だって、みんなも持っているから。」
私の答えに、親はさらりと言った。
「”みんなが持っているから”は、全く、理由にならないね。」と。
その後、付け加えた。
「黒リスにとって、本当に必要かどうか、考えてみなさい。必要だと思ったら、言いなさい。」と。
多分、それ以来だ。
私が、何か決める時、”自分にとってはどうなのか?”、”自分には本当に必要なのか?”と、自問自答してから結論を出す癖がついたのは。そして、それは、”他人と比べても仕方ない”という副産物的性格も形成されたように思う。
そんな親のお陰で、子供時代は、孤立感を感じたことも多かった。
だけど、今となれば、あー、楽だ。
最近は、「宝石類とかにさっぱり興味がなくて良かった。」
「家や家具食器とかにこだわりがなくて良かった。」などと思うことも多い。だって、それらに魅了されるタイプだと、欲しくて堪らないから、手に入らないことにすごくストレス感じたり、持っている人を羨ましくなるだろうなぁ、と思うから。
だが、、、その羨ましいという感情を、向上心に転化できるタイプだったら、今とはまた違う面白い人生だったのかもしれない。
ま、知らんけど。
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