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肉体は男性、心は女性について:⑤基準がないスポーツ競技は既に競技ではない。

キャスター・セメンヤ選手をご存知だろうか?
かれこれ10年以上前に陸上中距離競技に現れ、世界最高タイムで金メダルを掻っ攫った後、あらゆる世界大会で金メダルを総ナメした女性アスリートである。

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ウキペディア抜粋:
キャスター・セメンヤ(Caster Semenya、1991年1月7日 - )は、南アフリカ共和国の陸上競技選手。2009年ベルリン世界陸上2011年大邱世界陸上2012年ロンドンオリンピック2016年リオデジャネイロオリンピック2017年ロンドン世界陸上の金メダリストである。現在は南アフリカリーグ・女子サッカーサッカー選手

男性のような見た目から男性疑惑もあったが両性具有との診断が出た。国際陸上競技連盟は女性として記録を認めている。
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(このテーマのブログを①から読みたい方はこちら↓から。)

当時、youtubeで彼女の走りを観た時の衝撃は忘れない。他の選手と次元の違う力強さとスピードで、驚きの差をつけて勝っちゃうのだ。一時、話題になったので、ご存知の方も多かもしれない。彼女は女性として生まれ育っているが、検査の結果、体内に精巣が存在し、それ故、テストステロン値(男性ホルモン)が通常の女性の3倍以上があり、骨格、筋肉量や質にも大きく影響しているのは間違いない。

過去には、彼女同様に生まれながらして、通常よりテストステロン値が高い女性アスリートも存在してる。2016年と少し古いがこちらの記事は実に興味深かった。当時は、”女”の定義が論争されていたのだ。

生まれながらにして、男性器もなく女性として育っていながら、女性アスリートとして選手生命を断たれた女性達がいると言うのに、今は、肉体は男性で心は女性のアスリートは女性として正式に大会に出れる?
不思議だ。と、同時に、セメンヤ選手達のケースから、女性でもテストステロン値が高いと、通常値の女性を圧倒するパフォーマンスが可能になることが証明されているわけで、それが本来肉体が男性のままなら、当たり前にパフォーマンスでの優位性があるはずだ。(例え、女性ホルモンを人工的に入れても、すでに肉体は男性で筋肉も骨格も違う)それなのに、”差別”を理由に、女性枠で大会に出れるって、おかしくないですか?

大体、スポーツ競技って、ルールに基づいて正々堂々と戦うものだと思うのです。ルールとは、基準、ある意味、”差別(=区別だけどね。)”と解釈もできます。性別以外だって、種目によっては、体重別、年齢別などでカテゴリー分けされているよね。自認至上が基準の一番上に来るなら、誰でも好きなカテゴリーで参加できないとおかしいよね。私、自認105歳でマラソン出走して良いかしら?ギネス記録更新しちゃうよ〜。
っていうか、1位と293位とか順位をつける事自体、差別じゃない?
1位と293位は同等であるべき。誰もが好きなカテゴリーで参加できて、順位をつけない。これこそ、みんなが望むスポーツ競技なの?

ちなみに、私は本来の性格は、好きな枠で走って、順位なし、勝ち負けなしスポーツイベントで全然オッケーです。単純に身体を動かし、自分の肉体がどんだけのパフォーマンスを出せるのかに興味があったり、イベントの雰囲気を楽しみたいから。あまり誰かが決めた基準で自分を測りたくない超自分至上主義な性格をしているのです。(笑)

だけど、そんな人ばかりじゃないよね。他人と競うのが好き、スポーツ観戦が好きな場合、そこには勝ち負け、順位があるから楽しいんだよね。
だったら、ちゃんと基準を決めて、その中で正々堂々と戦わないと、スポーツ競技の意味がなさないのではないでしょうか?

私、個人としては、誰がどこで優勝しようと実生活には全く影響はありません。でも、一応、レベルが全く違っても、同じアスリートとして、その人が何を大切にしてその競技に臨んでいるのか、その為にどれほどの努力をしているのかは、理解と想像が出来ます。最近のトランス女性の女性枠進出は、そんな血の滲むような努力をしてきた肉体が女性のアスリート達を冒涜しているようにすら感じるのです。なぜなら、肉体が女性のアスリートは、毎月生理があり、妊娠する可能性もあり、また、選手生命自体が、男性より短いケースがほとんどでしょう。今までは、男性よりそんな肉体的ハンディもありながら、同じ基準(女性の肉体同士という)があるから、努力し、戦ってきたのではないでしょうか?
それが、ある日、突然、「私だって女よ。」と言い出した肉体が男性を尊重し、同じレースで戦い、負けを受け入れろ、って。。。
私にはさっぱり理解出来ません。

だからこそ、ノンバイナリーやオープンカテゴリーの開設は必須でしょう。
ただ、今のノンバイナリーカテゴリーは、トップはほぼ男性で占められています。ノンバイナリーも肉体が女性カテゴリー、男性カテゴリー、オープンカテゴリーと分けた方がいいのでは?と感じています。

今、スポーツ界を含め、ジェンダー問題への取り組みは黎明期。
きっと、トライアンドエラーを繰り返しながら、どこかで着地点が見つかるのでしょう。
ただ、その間にも、今が旬の女性トップアスリートの選手生命はどんどん失われていくわけで、私には人事(ひとごと)ですが、人ごとではない気持ちを持つ大切さを感じています。



















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