ランナーの話:「コディパパ」中編
コディパパに、どんな心境の変化があったのか分からない。
だが、丁度、その頃、マラソンを始めた黒リスにとって、コディパパは、ランニングに夢中というか殺気すら感じる程の全集中で、のめり込んでいた。
会話のほとんどが走ること。会社でも、内転筋を鍛えている為、股に丸い水タンクを挟んで座って仕事しているとか、仕事の合間に、トイレの個室で何百回もヒンズースクワットをしているとか、地下鉄の長い長い階段の上り下りをしているなんて話も聞いた。足首には重りをつけて生活していた。
数年前まで80キロ近くまで肥えた身体は、65キロ強にまで減っていた。
その結果、
2011年2月 アルバニーマラソンを3時間16分1秒で完走。初ボストンマラソン資格ゲット。だが、コディパパはゴール後に泣いた。嬉し泣きではなく、悔し泣きだ。彼が狙っていたレースは、当時、”裏ボストン”と言われていたガンゼットマラソン。ボストンマラソンより5分速いタイム(3時間15分)が求められていた。しかし、その悔しさが次の飛躍に繋がった。
2011年3月 NYCハーフマラソンを初90分切りの1時間28分52秒で完走。
東北大震災から10日後の出来事だった。そして、同3月末、その勢いは止まらず、ワシントンDC開催のナショナルマラソンを3時間11分47秒で走り切り、2回目のボストンマラソン資格、そして、目標のガンゼットマラソン資格も得た。
走ることに真剣に向き合うと決めてから、1年半、Life for RUN(走るための人生)で日々を積み上げた結果だった。
しかし、それが転落と新たな扉が開く始まりでもあった。
(つづく)