見出し画像

「ショートストーリー」:空の森⓸

「ちょっと走りに行ってくる。」

(最初から読みたい方はこちらから↓)

素良(そら)の強い視線を背中に感じながら、アパートを出た。4階から1階までの階段をグルグル回りながら、僕の頭の中もグルグル回った。

外に出ると、青空が広がっていて、何故かほっとした。
鼻から息を大きく吸い、ゆっくり吐く。脚の関節を軽く回し、ゆっくりと走り出した。最初の信号は赤、次の信号も赤。まるで、”少し立ち止まって考えろ”と何かに示唆されているかのようだ。

昨日、家賃更新のお知らせが届き、僕が素良に家賃を多めに支払う提案をした。その提案を棚上げしたまま、素良は自分の部屋に引っ込み、翌朝、出てきて、徐に、「大丈夫になったから。」と、にっこり笑った。
大丈夫になった理由も説明してくれたが、僕はなんだか嫌な気持ちになり、気がつけば、軽い言い争いに発展してしまった。

「その手の仕事、素良は嫌いって前から言ってるよね。それなのに、お金の為にやるの?」

「だって、仕方ないじゃん。もう少しここに住みたいんだもん。無数だって、セントラルパークの近くから離れたくないでしょう?」

「お金の問題なら、僕が多く支払えば解決するじゃん。なんで、それじゃダメなの?僕は、素良が自分が納得していない仕事をお金の為にする方がなんだか嫌だな。素良らしくないよ。なんかお金に魂を売るみたいでさ。」

最初、ニヤニヤと僕の文句を聞いていた素良だが、さすがにそこまで言われて、眉を顰めた。そして、フッと息を吐き、僕をジッと見つめた。

「別に、お金に魂なんか売ってないよ。単に必要なお金を自分の能力で稼ぐだけ。無数がやっている事と大差ないよ。もちろん、好きか嫌いかって言われたら嫌いな部類の仕事だよ。でもさ、無数だって、自分の好き嫌いだけで、仕事やっているわけじゃないよね。
それにさ、確かに、私は、”お金至上主義者”じゃないよ。お金で全ての価値を決めるのはクダラナイとも思っている。でもね、クダラナイと思っているけど、お金というものは、取扱注意な存在だと認識している。上手に付き合わないといけない相手ってやつさ。実際、世の中に巨大なパワーを持っているからね。きっと、無数は、偶々、今の世の中で高い価値とされる仕事につける能力があり、それを生かしてお金を稼いでいて、そこに特に有り難みも感じてないから、今回みたいに、あっさり、『僕が多く出すよ。』なんて提案をしているじゃない?でも、それを言われた方の私はどう思うと思う?」

「素良のプライドを傷つけたってこと?」

僕の答えが間抜けなのか、僕の困った顔が面白いのか、素良が大笑いした。

「私が、そんなプライド持っていると思う?」

ブンブンと首を横に振る。そうだ、僕の知る限り、素良はそんなタイプじゃない。

「私はそんな他者に対してのプライドなんてないよ。まぁ、見栄とでもいうのかな。そんなのご存知の通り、ない。だから、今の仕事で満足している。でも、例えば、今回みたいな状況に至った時、考えるんだ。ああ、無数は優しいなぁ、そのオファーに乗っかったら、楽だなぁ、もう、考えなくていいなぁ、今のままでいいんだもん、って。私って、無数に出会うまで、結構、渡り鳥みたいな生き方してきてさ、自分の思い通りにいかない事に何度も直面してきて、今があるんだよね。だから、無数とのこの落ち着いた生活を失いたくない気持ちがすごく強いんだ。」

「だったら、尚更、僕が多く支払えば全て解決するじゃん。僕だって、セントラルパークに近い、このアパートが気に入っているし、素良との暮らしが今の僕を支えていて、仕事の成果を出せていると考えれば、素良がそれに対して、引け目を感じたりする必要もないよね。」

素良が悲しそうに僕を見つめた。どうして、分かってくれないのだろう?と顔に書いてあった。

意を決したように、素良は話し始めた。

「私はね、自分で飛べなくなるのが嫌なんだよ。いや、飛べなくなる自分を想像すると怖くなるんだ。最初は、自分の羽休めにもなるしって思って、いいよって言ってくれた鳥の背中に乗って飛んでいてさ、ああ、楽だなぁ、自分で飛ぶより高いところまでいけるなあ、とか感じているうちに、気づいたら、飛び方を忘れてるっていうか、今度は自分で羽を広げるのも怖くなるっていうか、最終的には、羽が退化して、飛べない鳥になっている自分を想像すると、すっごく恐ろしくなるんだ。」

僕は言葉を失った。

僕の良かれと思ってやることが素良の羽を奪うということ?

「もちろん、私が大怪我とか病気で、現実的に自分で飛べなくなったら、無数にお願いするよ。でもね、私はまだ自分で飛べる。自分で飛べる羽を持っている限り、私は私で飛んでいたいんだ。」

赤信号に邪魔されながらも、ようやく、セントラルパークに到着した。

もう目を瞑っていても走れる外側ループを反時計回りに走り始めた。
今日は誰にも会いたくないな、と思いながら。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?