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小池都知事はなぜ就任時の2016年だけ朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ったのか?

ー保守ではなく、否定論者だからという仮説ー


はじめに

 2024年6月19日、日本記者クラブ主催の石丸伸二氏、小池百合子氏(以下小池都知事)、蓮舫氏、田母神俊雄氏の4氏による東京都知事選立候補予定者共同記者会見が開催され、都庁記者クラブの幹事社から『関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の方々の追悼式が毎年開かれております。これに出席なさったり、追悼文を送ったりするお考えがあるかどうか』という質問が出た。
 この質問に対し、小池都知事は以下のように回答した。『これまで関東大震災、そして東京大空襲など多くの様々な災害、そして多くの出来事がございました。そして混乱もございました。そこで亡くなられた方々の慰霊を大法要という形で行わさせていただいております。そしてそこの場で法要する、慰霊をするということを都知事として説明させていただいてきた8年だと思います』と。注1
 朝鮮人犠牲者追悼式に対し、追悼文を送らない理由を記者から質問を受けた際、小池都知事は終始一貫このような趣旨の回答をしているので、回答の中身には特段新しい情報はない。ただし、小池都知事の上記の発言には一点明確な事実誤認がある。それは小池都知事が就任した当初の2016年には朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ったという歴然とした事実があるからだ。

「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」及び「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」への追悼文について(28建公管第474号)
平成28年9月1日に開催された朝鮮人犠牲者追悼式に送られた「追悼の辞」
東京都知事小池百合子とある


 小池都知事は都知事就任当初の2016年には送った朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文をなぜ、2017年以降取りやめたのか。
 小池都知事の説明では歴代の東京都知事同様に「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」と「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」の両方に追悼文を送れば良いではないか。との批判への説得力ある回答とは私には思えない。
 そこで視点を変え、この問題に対する資料を分析し2016年には送られていた朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文をなぜ、2017年以降取りやめたのかを推測してみる。

2015年と2016年との違い

 朝鮮人犠牲者追悼式には歴代の東京都知事が追悼文を送ってきた。その中には故石原慎太郎氏もいた。との言説がある。そこで石原慎太郎氏が在職していた時期も含めて情報公開請求をしてみたら、石原氏が朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送っていたのは事実であるが、石原氏が在職中の朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文は文書保存年限との関係ですでに保管されておらず、小池都知事就任の前年、2015年までの朝鮮人犠牲者追悼式追悼文からしか入手できなかった。2015年の都知事は舛添要一氏である。そこで2015年と小池都知事就任当初の2016年の関係書類を比較してみる。

 下に載せたものは2015年当時の原義と舛添要一氏が東京都知事として朝鮮人犠牲者追悼式に出した「追悼の辞」である。

「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」及び「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」への追悼文について(27建公管第456号)
平成27年9月1日東京都知事舛添要一(代読公園緑地部長)と書かれた「追悼の辞」

 2015年の「追悼の辞」には「世界一安全な都市・東京」という舛添要一氏のキャッチフレーズや、代読公園緑地部長など2016年の小池都知事の追悼文に見られない文言もあるが、大筋の内容は2015年と2016年で変化がない。関東大震災の際に、在日朝鮮人の人々が、言われのない被害を受け犠牲になったという歴史的事実が変化していない以上、ある種当然のことであろう。
 これが大きく変わったのは2017年である。

2016年と2017年との違い

 2015年、2016年と同じように原義と追悼文について載せてみる。とは言っても2017年は朝鮮人犠牲者追悼式に対し、追悼文を送付していないから、その部分はなく、原義部分のみである。

『「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」に伴う知事の追悼文について』とだけ書かれ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」がなくなった(29建公管第440号)

 見ればわかる通り、2015年、2016年と言及があった「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」という文言がなくなった。2016年で関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式が中止になったわけではないのに。

 それでは関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に関しての文書はどこにいったのか。それを示しているのが平成29年8月25日付東京都公園緑地部長名による下記の『「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文送付について』である。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会実行委員長宛に出された
『「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文送付について』

 上記で書いたように「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」とは別に「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」が開催され、2017年以前の東京都知事は両方の式典に対して、追悼文を送付していたという事実がある。
 これを「東京都慰霊協会が毎年3月と9月に執り行う大法要」で「都知事が、関東大震災で犠牲となられたすべての方々へ哀悼の意を表して」いるから「追悼の辞の送付は差し控える」との説明で相手が納得するわけがない。

 このことから、小池都知事が2016年の朝鮮人犠牲者追悼式から2017年の朝鮮人犠牲者追悼式までの間に何か方針を変えるような出来事があったのだろうと推測することができる。それは何か。別の資料を見てみるとこのような資料があることが分かった。

都議会質問をきっかけとして対応を変えた小池都知事とそれを支えた東京都

 それは、2017年3月1日の文書である。3月1日の知事説明資料として以下の2枚が公開された。『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑等について』と『関東大震災の朝鮮人犠牲者数について』である。
 最初の『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑等について』の右側の「2 朝鮮人犠牲者追悼式典」には9月1日に午前と午後で別の団体による式典が実施されていたことと、午前中の式典に例年都知事名の「追悼の辞」を送付した経緯が書かれており、※今後は送付を行わない。との記載もある。
 左側の「1 追悼碑」には追悼碑が作られた経緯について触れられている。一番下の碑文の6千余名にのぼるに下線が引かれている。 

『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑等について』

 
 2枚目の『関東大震災の朝鮮人犠牲者数について』の頭には「〇犠牲者数については、数百人から数千人など諸説あり、定まっていない」の記載があり、東京書籍の「多くの朝鮮人」「朝鮮人については数百人~数千人など諸説あるが、通説的な見解は定まっていない」、実教出版の「おびただしい数の朝鮮人」、「虐殺された人数は、在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班調査の約6600人、吉野作造報告書の約2600人、司法省調査の約230人などがある。また、朝鮮総督府は、虐殺を含む死者数を約830人としている。このように虐殺された人数は定まっていない」の部分に下線が引かれている。
 同様に山川出版社の「多くの朝鮮人が殺傷された」、清水書院の「多くの朝鮮人」、第一学習社の「多数の朝鮮人」の部分にも下線が引かれている。

『関東大震災の朝鮮人犠牲者数について』


 これら2つの資料から関東大震災の朝鮮人犠牲者の数について、東京都が問題視し、その結果、朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ることを拒否する理由にしているらしいことが推測できる。
 
 この私の推測を補強するものとして、2017年7月26日の都知事資料を追加する。
 それは、『29年第一定例会での知事答弁(質問者 自民:古賀俊明議員)』である。

『29年第一定例会での知事答弁(質問者 自民:古賀俊昭議員)』

 古賀俊昭議員の質問の下線部「碑の撤去を含む改善策を講じるべき」との部分に小池都知事は直接回答していない。碑がどのような経緯であの場所にあるのかも含め、小池都知事は説明すべきだが無視している。そのことの問題については最後でまとめて説明する。「追悼の辞の発信を再考すべき」という部分については4点にわたって小池知事の立場を説明している。

 その中心部分の小池都知事の答弁の下線部を引用する。まずは「追悼碑による犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。」
 確かに、上記で紹介した『関東大震災の朝鮮人犠牲者数について』では関東大震災の朝鮮人犠牲者の数について、様々な意見があることは示されている。しかしながら関東大震災の際に朝鮮人犠牲者がなかった旨を記載している資料はない。それどころか東京書籍では「こうしたなかで、首都圏に働きにきていた多くの朝鮮人や中国人が、戒厳令によって出動した軍隊や、自警団によって虐殺された」、実教出版は「マグニチュード7.9の大地震で、震災直後の火災が京浜地方を壊滅状態に陥れ、混乱のなかで、「朝鮮人が暴動をおこした」などという民族的偏見に満ちたうわさがひろめられ、軍隊・警察や自警団が、おびただしい数の朝鮮人と約700人の中国人を虐殺した」、山川出版社は「関東大震災後におきた朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、ほかに類をみないものであった」とし、清水書院は「また震災の混乱のなかでさまざまなデマが飛びかい、多くの朝鮮人や中国人が警察や自警団などによって殺害されるという悲劇もおきた」、第一学習社が「そのなかで朝鮮人が暴動をおこしたといううわさが広がり、多数の朝鮮人や中国人が軍隊・警察・自警団の手によって虐殺された」と、紹介された資料のすべての記載が関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の人々がいた事実を示している。
 朝鮮人犠牲者の数に諸説があったとしても関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の人々がいるのは事実である。だから朝鮮人犠牲者追悼式にもこれまでの都知事と同様に追悼文を送る。となぜ言えないのか。

 次に、「これまでの経緯なども踏まえて、適切に対応」の部分である。上記で示してきたように小池都知事以前の都知事は『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送っていた。小池都知事も2016年には『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送っていた。2017年以降も『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送ることこそ適切な対応ではないのか?
 第3の「これまで毎年、慣例的に送付」してきたの部分である。すぐ上に書いたが小池都知事以前の『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送っていた。また、小池都知事も2016年には『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送った。そのことで何が混乱が生じたのか。そのような具体例があるなら示すべきだ。

 最後の「私自身がよく目を通したうえで、適切に判断」するの部分である。2016年には小池都知事が『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』と『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式』の両方に追悼文を送ったことは上記で示した。そのことを示した『「関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要」及び「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」の追悼文について』の起案は2016年8月26日であり、決定は2016年8月30日である。
 決定の際の2016年8月30日に小池都知事はどのような状況であったか。小池都知事が都知事選挙に当選して、初登庁した日が2016年8月2日。この日に小池都知事は特別秘書として野田数氏を任命している。

野田数を知事秘書(政務担当)に任命したことを示す文書

 その後、2016年8月12日には東京都顧問の選任を行ない、8月17日から就任している。


『東京都顧問の選任及び委嘱について』
東京都顧問の中に小島敏郎氏の名前も

 従って、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送付することを決めた2016年8月26日の時点で、小池都知事が任命したブレーンを使って小池都知事が『関東大震災並びに都内戦災遭難者秋季慰霊大法要』ですべての犠牲者に対し慰霊の意思を示しているとの理屈を持ち出すことはできたはずなのに。小池都知事の言動は責任転嫁で見苦しい。

最後に

 なぜ、小池都知事以前の東京都知事は毎年、朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送り続けてきたのか。それを探るためには朝鮮人犠牲者追悼式が行われる追悼碑の経緯を確認する必要がある。
 朝鮮人犠牲者追悼碑は1973年9月20日に関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会碑建設委員長■から当時の東京都知事の美濃部亮吉氏に寄付され、東京都も了承している。この事実を示す『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の寄付受領について』(北公管第463号)を証拠として提示する(注4)

『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の寄付受領について』(北公管第463号)

 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会碑建設委員長■と東京都知事美濃部亮吉氏との間で2枚一組の『物件贈与契約書』が取り交わされている。

贈与物件や建築場所についてなどが記載された1枚目
関東大震災朝鮮字犠牲者追悼行事実行委員会碑建設委員長から
東京都知事に渡されたことを示す2枚目

 そして、1973年9月29日に東京都知事美濃部亮吉氏と関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会碑建設委員長■との間で『物件受領書』も交わされている。

『物件受領書』

 これらの事実経過から朝鮮人犠牲者追悼碑は東京都が所有していると考えることができる。
 このことは2017年3月1日の『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑等について』にも「1 追悼碑」として以下のように説明している。
(引用開始)関東大震災50周年にあたり、民間の団体が資金を募集し、作成した碑を都が受け入れる形で、犠牲者の追悼などを目的に設置(引用終了)と。
 そして民間の団体が資金を募集したと書かれている一端を示す資料として『関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事 基金協力のお願い』を見せる。
 追悼行事予算として碑建築費400万円をふくめ685万円、資料出版事業で87万円という見積もりを立てている。これらの額を集める中心の実行委員会役員の部分は■で黒塗りだが下の部分に見過ごすことのできない記載がある。
それは都議会各派幹事長という記載である。


『関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事 基金協力のお願い』


実行委員会役員の部分におよび都議会各派幹事長との記載あり

 関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事の中に朝鮮人犠牲者追悼の碑を建てることが含まれており、その資金調達に対し東京都議会の各派幹事長が協力している。このような力で建設された朝鮮人犠牲者追悼碑は関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会碑建設委員長から当時の東京都知事に対し、寄付され、東京都の所有物になっている。
 こういう歴史的経緯と東京都議会との関係があるからこそ、歴代の東京都知事が朝鮮人犠牲者追悼式に対し、追悼文を送ってきたのではないのか。
 それを、関東大震災の際の朝鮮人犠牲者の数が明確でないという理由を持ち出して、2017年から追悼文送付を中止し続ける。この小池都知事の姿勢のどこが保守なのか。歴史的経緯をすべて踏みにじる歴史否定論者のふるまいではないか。

 そして、2024年6月19日、日本記者クラブ主催の共同記者会見で小池都知事は朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送る意思がないことを表明している。
このような小池都政が長く続けば、朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らないことが正しいかのような歴史修正論がますます力を増すことになるであろう。


注1ー2024年6月19日の記者会見の模様は下のYouTubeにて公開中。
東京都知事選立候補予定者共同記者会見 2024.6.19 (youtube.com)

幹事者の質問は47:07ごろから、小池都知事の回答は47:28~48:00ごろまで。

注2ー朝鮮人犠牲者追悼式に関しての都庁定例記者会見でのやり取りについてはいくつもあるが2023年8月18日の都知事定例記者会見を紹介しておく。
小池知事「知事の部屋」/記者会見(令和5年8月18日)|東京都 (tokyo.lg.jp)

注3ー2017年3月2日都議会第1回定例会の古賀俊昭氏の質疑全文は下記参照
平成二十九年東京都議会会議録第四号(古賀俊昭) (tokyo.lg.jp)

注4ー『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の寄付受領について』は保存状態があまり良くないうえ、全部で29枚あるので全文を提示しない。
 なお、氏名が黒塗りなのは「個人に関する情報であり、東京都情報公開条例第7条第2号に該当するため」とされたから。
 都政改革の一丁目一番地が情報公開請求と言っている小池都政の実態がこういう部分にも表れていると言えよう。

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