ネット時代のインタビュー事前準備とか
朝のコピー短歌(2019.11.12)
インタビュー事前準備は果てしなく
ネットの海で漢字速読
朝からインタビューの仕事で、とある会社さんに来ている(もう帰ってきた)。
コピーライターにしては、インタビューの仕事がそこそこあるほうだと思う。企業の社長さんや文化人のこともあれば、取材されるなんて初めてという素人さんまで。
事前準備のやりかたが変わった
以前は、10日くらい前からその人の著書を読み、雑誌の取材記事やメディアに取り上げているものを前もってチェックして、資料が足りなければ取り寄せるということもあったけれど、最近はずいぶん事前準備のスタイルが変わってきた。
ネットを調べれば、あらゆる情報が手に入る。本人が自分のサイトを持っていたり、ブログを定期的に更新していたり、Instagramやツイッターを毎日やっていたりすることも。著書がなければ、ネットの中だけで事足りることも多い。
しかし、逆に大変なのだ。なにが大変かというと、今度は情報が多すぎるのだ。
ブログやTwitterをばんばん更新している人だと、とてつもない情報量になる。とにかく時間を区切って、たとえば3時間だけ、現在から過去へとさかのぼるように読んでいく。なかにはペットの話や昨日食べたラーメンの話もある。そんな取材のテーマとはなにひとつ関係ないことが1ヵ月以上続くこともある。
膨大な情報量から、インタビューのこやしになりそうなネタを拾うときに役立つのが、漢字だけを目で追って読む「漢字速読」。漢字は表意文字なので、漢字だけを目で追うとある程度の内容はつかめる。何についてどういう感じで書いてあるのかがわかる。最後の「ある」「ない」みたいな結論めいたところには弱いので、まったく逆の意味にとらないように注意が必要だけれど。
その中で、今回のインタビューに関係している記事を見つけて、それだけを深く読んでいく。また、まったく関係なさそうな記事にも、インタビューのヒントが隠れていることもある。それと、インタビュー記事のある人は、過去2年以内くらいは目を通すようにしている。内容がまるかぶりしないようにするのもあるけれど、本人や広報・事務所がOKを出した原稿だからだ。
インタビュー(対談)原稿での失敗
いまから15年ほど前のこと。webサイトの仕事で、世の中に、社会のしくみにもの申すというような本音トークの対談を企画したことがある。インタビューとはちょっとちがうけれど、まあその人の姿や気持ちを浮き彫りにするというところで近しいものがある。ほぼ日の糸井さんの対談のように、その人の口から出るほんとうの言葉を届けたかった。
対談自体はすごく盛り上がり大成功に終わった、かに見えた。いざ、サイトに上げる前に本人確認をお願いすると、なんともご立腹な様子で「悪意がある」と怒られたのである。もちろん、悪意なんて微塵もなかったし、サイトのオーナーもいい本音トークに仕上がったとよろこんでいたのに、だ。
原因はなにかというと、対談が盛り上がり過ぎて、本人が調子に乗ってしゃべっちゃったというのがひとつ。自分で思っている以上のことをしゃべっちゃった。話しているうちに思い出してヒートアップしちゃった。こういう人に見られたいという線をこえて。もちろん、批判や悪口になるような部分はすべてカットしたりオブラートに包んだけれど、それでも本人は、自分が見せたいイメージと違ったみたいで・・・。
もうひとつの原因は、対談の彼女は、実はライターさんで、インタビューをする側の人でもあった。彼女が書いていた記事は、どれも素敵な人を紹介するものばかり。ご本人も素敵な人として紹介されるものだと思っていたんだろうな。ごめんなさい。ストレートに書きすぎました。
インタビューをする側の意図と、インタビューを受ける側の意図があって、そのすり合わせみたいなものがどの程度必要なのか、過去のインタビュー原稿を見ると少しわかったりする。
28歳のかけだしコピーライターのころ、1回だけインタビューを受ける側になったことがあるのだけれど、とても素敵に書いていただいた。ちょっと恥ずかしくなるくらいに。そのとき言ったことを、このnoteを書いていて思いだした。
「仕事をつくる人になりたい」
その言葉は、たしか3ブロック目の見出しになっていたと思う。
ああ、20年前のわたしに顔向けができない(汗)。
迷走中みそひとメモ
めずらしく?ぴったり三十一文字である。
あえて、そこをがんばりました。短歌とは、そういうものだから。
先生が言っていたことを思い出した。
「できるかぎり、限界まで三十一文字に合わせるように粘って考えてください」
使いたい言葉を優先するか、文字数を優先するか。
短歌もコピーライティングも、そこは綱引きのように譲れない戦いである。