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【MILGRAM】トリアージ 考察

桐崎シドウの第二審楽曲、『トリアージ』が配信された。今回はこの曲についての考察(とは言えないかもしれないが)をしていこうと思う。

タイトルについて

まずは、タイトルの『トリアージ』という言葉の意味から調べてみようと思う。宮城県公式ウェブサイトによると、

トリアージ(triage)とは、重傷度や治療緊急度に応じた「傷病者の振り分け」を意味します。
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/iryou/triage.html

とある。
救える命は救う、意図して悪い言い方をすれば『助かりそうのない命は見捨てる』ということだ。
シドウが医者であることは第一審のMVによって明らかになっている。つまり、彼は何かしらの原因によって『誰かの命を見捨てた』『救いたかった命を救えなかった』と考えられないだろうか。

留守電について

MVの0:22秒あたりから、シドウによる次のようなフレーズがある。

"桐崎です。只今電話に出ることができません。しばらく経ってからお掛けください。"

これは紛れもなく留守番電話のフレーズである。当然だが、留守番電話とは本人が何らかの用事で電話に出られないときになるものだ。この留守電のフレーズに関して、2つの考察が思い浮かんだ。

①家族の電話に出られなかった説

少しそれるが、今回のMVには桐崎シドウの他にも妻子とみられる人物が登場している。映像にシドウが彼らを抱きしめたり一緒に食事をする描写があることから、家族仲は良好であったと伺える。

自分は、シドウはこの家族たちを失ったと考えている。といっても怨恨で殺したわけではなく、病気や事故といった不可抗力によるものでだ。
第一審ではシドウが医者であることから、妻が病気になったのではと考えていたが、彼ら三人が消えていく描写から、病気ではなく交通事故等なのではないかと思った。
家族が窮地に陥っている中、シドウに助けを求めた電話に、彼は仕事中であったために出られなかった、とは考えられないだろうか。

②仕事(患者)の電話に出なかった説
仮にシドウが事故で家族を失ったと仮定した場合、時系列的にはその後のことになるのだが、彼は家族のために、助けなくてはいけない患者の連絡を無視したのではないだろうか。

シドウは『赦してほしい』『赦さないでほしい』など、このことについてかなり後悔している様子がわかる。そして最後に白手袋をはめる描写。この表情からは悲しみや後悔よりも、どちらかといえば『怒り』の感情が伺えないだろうか。
第一審のMVから、彼は大切な人(妻?)を救うために臓器移植をしているという考察ができた。そしてある患者の家族が泣き崩れる場面も。臓器移植された患者が快方に向かうことはない。それについての非難の電話が掛かってきていたともいえる。

「守るべき命があった」

ラスサビで繰り返されるこの台詞。『トリアージ』という題名と結びつけて考えてみることにする。

先ほどの考察①として考えてみると、シドウは仕事で家族のSOSに気づかず、他の患者に寄り添っていた。つまりこの場合の『守るべき命』とは、『あった』との過去形から、当時診ていた患者のことなのではないか。
考察②として考えてみると、彼は患者を見捨てて家族のために生きていた。優先順位としては、患者<家族というわけだ。そのため、この場合の『守るべき命』は、①とは違い、家族のことであると考えられる(こうなると過去形のことが説明つかないので微妙なところだが)。

さいごに

以上、『トリアージ』考察だった。このような文章を書くのは初めてだったので読みづらい点、考察の不備等あったと思うが、大目に見てもらえると嬉しい。
今後も細々と書いていこうと思うので、良ければ見に来て欲しい。      
 
                     おわり

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