【20世紀を象徴する住宅】ピロティに込められた本当の意味とは ~サヴォア邸~
おつかれさまです。部長がいても、次長がいても、直属の上司がいても、何のためらいもなしにスタコラ帰れるくろちゃんだ。
時代はとっくに変ったのよね(オカマ風)。
本日はサヴォア邸の凄さを語ろうと思う。
どの本にも書いていないことなので、耳ではなく、目ん玉をかっぽじって読むように。
1. サヴォア邸とは
サヴォア邸/フランス ポワシー/1931/ル・コルビュジエ ARQUITECTURE DISENOより引用
建築学科を卒業した者なら、誰でも知っている住宅だ。建築学科卒で知らなかったという者がいたら、近代建築士史の単位を今すぐ大学に返上するように。
サヴォア邸を簡単に説明すると、第一次世界大戦後に、フランスのおじさん(コルビュジエ)が、「この建物が、近代におけるの新しい建築のお手本だ!!」
と言いながら設計した住宅のことである。
ちなみに、上野にある国立西洋美術館はコルビュジエの設計である。
2016年には、コルビュジエの設計した世界各地の建築が、「近代建築運動への顕著な貢献」として、世界遺産に認定された。
国立西洋美術館/1959 wikipediaより
2. 近代建築の5原則
コルビュジエは、サヴォア邸を設計する際に、新しい建築には次の5つのルールを満たしていなければならないと言った。
①ピロティ
②屋上庭園
③自由な平面
④水平連続窓
⑤自由なファサード
言わずもがな、サヴォア邸は、この5つの要素が盛り込まれた住宅である。
でも、この住宅を語る上で、①のピロティが1番重要な要素であることを知る人は数少ない。(②-⑤について気になった人は『近代建築の5原則』と検索して調べてみて欲しい。)
3. 一般的なピロティとは
ピロティの一般的な定義を解説する。
ピロティとは、「建物を柱だけで支えた時にできる外部空間」のことである。
図で表すと次のようになる。
香川県庁舎の写真が分かりやすい。
香川県庁舎/香川県高松市/1958/丹下健三 日経X TECから引用
サヴォア邸に人が住んでいた頃は、ピロティは、車を止めるスペースとして、使われていたらしい。
コルビュジエも、クライアントに対しては、「このスペースは車を止めるためのスペースである」と説明していたと思う。
しかし、本当はこの空間を使って”近代建築とは何ぞや”という表現がしたかったのだ。
それでは、サヴォア邸におけるピロティにはどのような意味がこめられていたのか解説する。
4. ピロティの本当の意味とは
ピロティを理解するには、産業革命(18-19世紀)から第一次世界大戦(1914-1918)までの時代背景をおさえる必要がある。
産業革命によって、機械を使って製品を大量に作ることができるようになった。産業革命後、鉄鋼と鉄筋コンクリートが開発されてから、建築の主流は「石」と「木材」と「レンガ」から、「鉄鋼」と「鉄筋コンクリート」に遷っていった。今日の建物は鉄鋼と鉄筋コンクリートの建物で溢れかえっている(戸建ては木造が多いが、それ以外の建物はほぼ鉄骨造か鉄筋コンクリート造だ)。
第一次世界大戦は、産業革命後の技術革新が存分に発揮された戦争であったが、建築においても技術が修練され、生産過程が合理的かつ経済的になっていった。
サヴォア邸が建てられたのは、第一次世界大戦(1914-1918)が終戦して10年が経った頃である。
サヴォア邸/フランス ポワシー/1931/ル・コルビュジエ ARQUITECTURE DISENOより引用
コルビュジエは考えた。
「今こそ、鉄鋼や鉄筋コンクリートを使って新しい表現を試みよう」と。
コルビュジエは、産業革命の時代から現代(第一次世界大戦後)までの大きな建築の歴史の流れをゆっくりと思い起こした。
産業革命前の建物は、その土地の材料を使って、その土地の人間が設計し、その土地の慣習に配慮して、その土地ならではの手法で建てられていた。
しかし、産業革命後の建物は、どこかで生産された鉄鋼と鉄筋コンクリートを使って、都市の大学を出た人物が設計し、新しい技術手法によって建てられるようになった。
すなわち、これまで場所(土地)に根差していた建築が、場所を選ばないで建設されるようになったのである。”土地性との決別”が、近代建築を語る上で重要な要素になるとコルビュジエは考えた。
これを表現したのがピロティである。
コルビュジエは柱で建物を地面から持ち上げて、建物を地面から切り離し、建物が地面から浮いているような造形を試みることで、”土地性との決別”を表現したのである。
これが、ピロティの本当の正体でした!笑
以上です。
※註
このピロティの話は、私の尊敬するとある大学の准教授の受け売りです。
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