「君たちはどう生きるか」ネタバレ注意

最近日本では映画を通して何かを伝えようとする道標のような作品がたくさん生まれています。この作品もその重要な1つだと思います。私はこの作品をエンターテイメントととらえず、聖書や神話の一つとして考察していきます。他と少し違った独特な考察となりますが、この作品に正解はありませんので「自分ならどう捉えるか?」という視点をもって読み進めていただけたらと思います。

風と鳥

宮崎駿さんは生涯を通して「風」と「鳥」について多くの作品を残しています。ナウシカは「金色の野に降り立つ青い鳥」、ラピュタ、魔女の宅急便、紅の豚、千と千尋、ハウルの動く城、風立ちぬ、On your markなど、どれも風と鳥、空が関わる作品です。風は良いものも悪いものも運び、鳥は人を導きます。時にはその美しさは狂気的な破壊も運んできます。風と鳥は同じものでもあり、対の関係でもあります。GHIBLI(ジブリ)は風を意味します。

2人の母親

この作品の主人公である眞人には、久子(ひみ様)と夏子という二人の「母」が出てきます。久子は実の母であり、戦時中に焼け死んでしまいます。久子の死後、新しい母として現れた夏子は久子の妹であり、眞人の叔母にあたります。おなかの中に眞人の弟を身ごもっていて眞人にとっては複雑な感情を湧き立たせる存在になっています。

アオサギ

神話における鷺は「導く者」であり、アオサギはエジプト神話で「不死鳥」として扱われています。のちに出てくる鳥たちは塔の扉を超えると変身してしまいますがアオサギは変身しません。「美しく自信に満ちたアオサギ」をひっくり返すと「醜くどんくさいおじさん」が出てきます。嘘つきのつく嘘は本当か?美醜は表裏一体であり、生と死もまた同じである。不死であるアオサギは相反する表裏が重なった存在の象徴になっています。眞人は話が進むにつれ、徐々に表面と内面が解離していき、自分の中で矛盾が増大するにつれ、アオサギと同調していきます。「あなたを待っていました、あなたの母親は生きています、私に着いてきてください」その導きは嘘か本当か?矛盾を重ね持つ存在は眞人だけでなく、夏子も同様にアオサギに導かれ「下の世界」に迷い込んでしまいます。矛盾を抱えていない人間などこの世にいるのでしょうか?

次元を超えた塔

あるとき、その塔は空から降ってきました。眞人の大叔父はその塔の周りに建物を作り、そこに引きこもったのちに行方不明になりました。その塔は「下の世界」と繋がっており、大叔父はその世界を創造し、13個の積み木の塔のバランスをとることでその世界を維持していました。その積み木は悪意で出来ていてどれだけ奇麗に積み上げていつか必ず崩れてしまいます。血のつながった眷属にそのあとを引き継いでもらうことで世界を維持しようと眞人に提案してきます。ものすごく抽象的ですが、人類によって生み出された文明、もっといえば生物における「DNA」を表していると思います。このとき宮崎駿さんがどう思っているか別として、無意識が作品を動かしています。優れた作品は神話や聖書の要素を多分に含んでしまいます。

キリコと岩戸

7人いる小人のようなおばあちゃんの一人の「キリコ」は下の世界にも同時に存在していました。のちに出てきますが、「若いキリコ」は「幼いころの久子(ひみ様)」と一緒にこの世界に迷い込んで暮らしていました。「年老いたキリコ」もまた「眞人」とともに迷い込み、人形になってしまいます。「キリコ」とはどういう存在なのでしょうか。下の世界の中心には岩戸(何かの墓)があり、「若いキリコ」はそれを守っている様に感じます。岩戸の前に置かれた金色の門に掘られている文字「我を学ぶ者は死す」。この岩戸の中に封じられているものは何者でしょうか。

円と中心点と半径

少し角度を変えてみます。日本神話では、イザナギはイザナミを探しに黄泉の国へ、スサノオも同様に母を探しに、大国主も同様に迷い込みます。「男が女を探してあの世へ行って逃げ帰る」という構造はフラクタルに展開し、世界中でも似たような話があります。織姫と彦星、ヌトとゲブ、イシスとオシリス。人魚姫。近年のアニメでいうと「君の名は」「まどか☆マギカ」「バブル」「地球外少年少女」「すずめの戸締り」洋画だと「マトリックス」なども似たような構造を持っています。「火」が「水」を追いかけて「生と死の間の世界から脱出を目指す」。これらは円と中心点と半径の関係を表します。つまり円(母)と中心点(子)のラブストーリーです。父と母が結ばれて子をなすのではなく、母と子が先に存在し、父がそれを繋げる塔を作る。円はコンパスを使い中心点に針をさしてくるっと回して作画します。円周と中心点は定規によってつなげれば、それは半径となります。塔とは男性器であり、そこから放たれる白竜(精子)は川の流れ(ストーリー)=時を卵子に与え、父母子を一本の円環として結びます。

眞人(子)と久子(母)の愛

眞人と久子は大叔父の作った世界の中で時を超えて出会い、惹かれ合ってしまいます。しかし、元の世界に戻ると久子は眞人を生んだ後に戦火に焼かれて死んでしまうのが分かってしまいます。大叔父の作った世界の破壊が始まり、二人はそれぞれの元の世界への扉をとおって元の世界に戻っていきます。それは、それぞれの胸に抱えた矛盾が調和されて新しい1(目的)が生まれたことを意味します。

夏子(母)と眞人(子)の愛

一方で夏子と眞人の血は繋がっていません。しかし、2人は互いを受け入れて懸命に向かい合おうとしています。愛情とは向かい合う(軸をそろえる)ことから始まります。久子と夏子は姉妹であり、同じ存在の違う視点を表します。「夏」は太陽を表し太陽は外から照らして熱(愛)を与えます。「久」は長くそのままであることを意味し、内側から照らす太陽(月)を表します。それぞれ物質世界と精神世界を表します。眞人はその真ん中であり、「生きることそのもの」を表していると思います。

胎盤は母と子の結び目である

子供が最初に出会う女性は母親であり、子は母の中から産まれます。究極の愛は互いを取り込むことであり、母と子の深い愛情はすべての生物の根源的な部分に現れます。何かを食べて、空気を吸って、そして出して。口から始まる体の内側の道は肛門を経て体の外側と繋がっています。内側にある外側です。母と子がかつて愛し合い「再びまた出会うため」の旅路が血のつながった者へ託す「塔」だということ。それを拒否した眞人は、そのひとかけらをもちかえることで「次の旅路が始まった」わけです。妊娠中、母と子を結びつけるのは「胎盤」それは10月10日の母と子の再会。そこで再び出会った二人は出産にて再び別れ、胎盤はその役目を終えて崩れ去ります。大叔父の作った世界、あの世とこの世とは次元を超えた胎盤で繋がっているのかもしれません。

「助けて」とは何か

作品中、眞人は何度も久子から「助けて!」と呼びかけられていました。実際にであった久子(ひみ様)からはまるでそんな雰囲気は感じられず、むしろ死ぬことすら前向きにとらえていました「私は死なないから大丈夫」。ではあの声は何だったんでしょうか。「我を学ぶ者は死す」と書かれた門に護られた岩戸(墓)は若いキリコによって守られていました。キリコは久子、眞人どちらの側にも存在し、二人を結び付ける役割を持っているように感じます。まるで「括り姫」のような。「括り」と「切り」は反対の意味ですが、「キリコ」は何を切り離していたのか?夏子は外側の太陽(物質世界)、久子は内側の太陽(精神世界)を表していると先ほど書きましたが、天の岩戸は「太陽神アマテラス」が隠れている場所です。「久」は長くそのままであることを表すように、「ひみ(火水)」が生の象徴ならば、岩戸の中のいるものは死の象徴の「ひみ(13)」だと思います。永遠に火に焼かれ死に続けるだけの存在。キリコは「死から生を切り離す(目を背ける)」役割を持っているのかなと思います。括り姫とキリコは対の関係で同一人物である。「生きることはその代償として無数の死と重なっている」わけで、無責任に「生」を選択することは誰かを殺し続ける「悪意」でもあるわけです。細胞も毎日生まれ毎日死んで自分を1に保っています。それもすべて踏まえたうえで

君たちはどう生きるか?


これから来る世界は、今までの生を清算するようにあらゆる「悪意」が表面にあらわれてくると思います。見たくないものが隠すことができなくなり、次々と暴かれる世界。今までのような2元的な思考で「まともじゃいられない」。自分の表を支えてくれている裏側を受け入れて、それでも前に進むための「知恵」。「知恵」はすべての元凶であり、すべての創造の源です。水と油という本来混ざり合わない者同士が混ざり(並び)合って生物があるように、かつて分かり合えなかったものと調和する視点。自分はどこに行きたいか?それを決めるのは自分であり、その時は迫っていると思います。

ジブリという風と鳥(自由)

この作品にはたくさんの鳥が出てきますが、鳥は自由の象徴。ワラワラとそれを食べるペリカンとそれを燃やす姫。その世界はどこまで行っても同じ場所に戻ってくる地獄と言っていました。「自分」とはどこまで逃げても外に出れない、次から次に「想い」が創出してきてはそれをせき止めようとする矛盾を抱えた地獄でもあるわけです。文明を進めることは自由とのトレードオフであり、何かを始めたとき、必ず何かを失います。でもこの世界をどの角度から見るか?すべてを足し合わせても必ず「1」余ります。1=0=∞です。この風を受けて・・どう生きますかねー。面白い。



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