お前の「推し」は存在するのか?
さて、ついさっきTwitterで興味深いツイートを発見しました。
これは、バーチャルユーチューバーのアズマリムのツイートなのですが
内容は以下の通り。
要約すると…
「アニメや漫画に登場するキャラクター」が架空の存在なら
「人間の性格」も架空の存在ではないのか?
というものです。
もちろん、多くの人はこれを見て
アニメや漫画のキャラは架空で人間の性格は実在してるに決まってる。
と思うでしょう。
…私もこのツイートを見るまでは何の疑いもなく、そのように思っていましたが、いざこの事について真剣に考えだすとなかなか答えが出てきません。
「人間の性格」と「アニメや漫画のキャラクター」の違いを
はっきりと、誰にでもわかるように説明する言葉が見当たらないのです。
1. 「人間」と「キャラクター」の違いって何?
人間とアニメや漫画のキャラクターの違いって何でしょう?
普通に考えれば、見た目ですぐ判断できそうな気がしますよね。
たとえば、アニメキャラや漫画のキャラクターは多くの場合
デフォルメされて描かれているので、実生活では何の違和感もなく
人間とキャラクターを見分けることができます。
しかし、外見上の違いがなかったらどうなってしまうでしょうか?
たとえば、近年だと実在の俳優や女優の姿や動きをトレースして3Dのキャラクターとしてゲームなどで登場させる事は珍しくありません。
当然のことながら、元が実在の人間の姿形を元に作られているので
外見上の違いはほとんどありません。
しかも、喋るときも元になった俳優が声をそのままあてる事もあるため、声からも区別が難しくなります。
とはいえ、キャラクターはどんなにリアルであっても作品の中にしかいない架空の存在です。現実には存在しないはずです。
では、その根拠は何でしょう?
「人間」と「キャラクター」の区別は少なくとも外見上の違いだけでは判断できない場合があるという事がわかりました。
では、外見以外の違いについて考えていきましょう。
ずばり、「行動」に違いがあるという仮説はどうでしょうか?
たとえば、アニメや漫画のキャラクターの中には
人間では到底不可能な事をやってのける者がいます。
バトル漫画のヒーローとか、異能者なんかがそうですね。
他にも海外のカートゥーンアニメなどであり得ないくらい目が飛び出したり腕が伸びたりするとかも一例として挙げられるかもしれません。
しかし、これだけでは違いとは言えませんね。
言うまでもなく、アニメや漫画のキャラクターであってもほとんどの場合はごく普通の一般人というのは出てきます。
…とここまで、触れた内容を振り返っていくと
「人間(の性格)」と「漫画やアニメのキャラクター」とを
外見や行動だけで区別することはできない。
という事がわかりました。
2. 「人間」と「キャラクター」が共存する世界
先ほどまでに説明したとおり
人間とキャラクターは外見や行動だけで区別する事はできません。
では、もし今あなたがいるこの世界が
「人間」と「キャラクター」が共存する世界だとしたらどうでしょうか?
実はあなたが接していた友人や知人は人間ではなく、誰かによって作られたキャラクターだった。なんて事もあるかもしれませんよね?
…とここまで見て、荒唐無稽にもほどがあるだろ。
と思った方。確かにかなりぶっ飛んだ話ですが、もし人間と区別がつかないくらい精工に作られた「何か」が世界を覆っていたなら、それを確認する方法はあるでしょうか?
例えるなら、映画の「ターミネーター」に出てくるアンドロイドや「メンインブラック」に出てくる人間に擬態したエイリアンのような感じです。
これが、アンドロイドやエイリアンでなく「漫画やアニメのキャラクター」だったら、区別はつくでしょうか。
無論、実際にはキャラクターは作品の中の世界に存在しているものであって
現実世界に出てくることは「ほとんど」ないので、実際にあなたの友人や知人が何かの作品のキャラクターだった
…なんて事はまずあり得ないわけですが。
3. 世界は「幻」かもしれない
今、あなたはこの記事を見ています。
文字を読んで何か考えて確かに存在しているわけですが
あなたが存在している、今生きている世界は本当に存在する世界でしょうか?
VRのような、仮想現実でないと言い切れるでしょうか。
これもSF映画などではよくある話ですが
実は今、あなたが生きている世界は全てが夢や幻で実際のあなたの体は脳だけが水槽か何かに浸かって生かされている状態かもしれません。
このような考え方を専門用語では
「シミュレーション仮説」と言います。
ざっくりと言ってしまえば、この世界すべてが誰かが作ったシミュレーションの中の世界で実在しない夢や幻をずっと見続けているのではないかというこれまたぶっ飛んだ仮説です。
先ほど、「キャラクター」は多くの場合作品の中の世界にだけ登場するので現実世界の我々と共存することはない。と言いましたね。
しかし、私たちが「現実世界」だと信じている世界が実は
誰かが作った夢や幻、シミュレーションだったのなら、それは既に「キャラクター」が存在する作品の中の世界と違いは無いに等しいですね。
これも有名な仮説のひとつですが…
今まで伝えられてきた歴史は実は全て捏造で記憶もあらかじめ作られたものであって、この世界は人もモノも全て3分前に作られたものである。
これもかなり、トンでも仮説ですが記憶や情報が意図的に操作されたり、植え付けられるのなら、この仮説を完全に否定するのは難しいですよね。
これは、漫画やアニメのキャラクターが自分たちのいる世界を架空の作品の世界であると認識できないのと同じだと言えるのではないでしょうか?
4. 「人間の性格」と「キャラクター」の違いを暴く
さて、ここまでかなり前振りが長くなってしまいましたが
要点は以下の通りです。
・人間とキャラクターは外見や行動だけで区別できない。
・人間もキャラクターも自分の住む世界が実在しない可能性がある。
こうして並べてみると、「人間」と「漫画やアニメのキャラクター」を区別するのは難しいように見えます。
まして、今回の本来のテーマは「人間の”性格”」が架空かそうでないかという問題です。
性格というのは、直接目に見えるものではありませんから、より曖昧に感じるはずです。
先ほど、あなたの知人や友人がキャラクターかもしれないという仮説に触れましたが
あなたの知人や友人には実は人格とか性格と呼べるものがなくゾンビのようにただ、人間のように動いているだけかもしれない。
と言われたら、急にゾっとしてきませんか?
自分はともかく、他人の頭の中や心の中はわからないわけですから確認のしようがないですし。
ちなみに、このような存在や仮説のことを専門用語では「哲学的ゾンビ」と言います。
「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」という形で定義された仮想の存在である。(Wikipediaより引用)
つまり、外見や行動は普通の人間と何ら変わりないのに中身には意識が全くない存在のことです。
具体的にいうと哲学的ゾンビは人間と同じように笑ったり泣いたり、怒ったりという行動をしますが、実は中身が空っぽで笑っていても泣いていても怒っているときでさえも、実際にはなんの感情も抱いていないのです。
では、この哲学的ゾンビの話を踏まえたうえで今回のテーマの結論を出していきたいと思います。
「人間の性格」と「漫画やアニメのキャラクター」の違いは
意識がそこにあるかどうかの違いである。
両者は直接、外見や行動を見ただけでは区別できないが
「漫画やアニメのキャラクター」はその「作品を作った人物の意識」から
生まれたものであって、あくまで決められた物語や脚本に沿って行動している存在に過ぎない。
つまり、「漫画やアニメのキャラクター」は「人間の性格」を真似て作られた架空の存在であり、実在するのはキャラクターを生み出した作者たる人間の性格である。
したがって、「人間の性格」は実在のものであり、「漫画やアニメのキャラクター」は架空の存在であると考えられると私は思うのです。
5. 「バーチャルユーチューバー」という新たな概念
ここまで、アズマリムのツイートを元に「漫画やアニメのキャラクター」と「人間の性格」の具体的な違いとそれぞれがどういう存在かついて述べてきましたが…
近年誕生したバーチャルユーチューバーは、こういう区別がとても付けにくい既存の物差しでは判断しにくい新たな概念といえるでしょう。
バーチャルユーチューバーは仮想空間(バーチャルリアリティー)を用いて動画配信を行う存在を指す言葉です。
活動は主にインターネットなどの仮想空間で行われ、キャラクターとしての作者も存在しています。
(外見や年齢、経歴などのバックボーンを予め作ったものがいる場合が主である)
しかし、彼らはバーチャルユーチューバーは前述した「哲学的ゾンビ」ではありません。
確かにバーチャルユーチューバーは活動前にある程度、キャラクターについてデザインが行われ作り出されてから世に出るわけですが
彼らの活動の多くは視聴者との双方向のコミュニケーションによって行われているため、完全に台本や脚本だけに沿って存在する事が難しいのです。
というか、ほとんどの場合はキャラクターとして作られていない、想定されていないやり取りが配信中に発生します。
すると、彼らバーチャルユーチューバーは「キャラクターを作った人間の性格」ではなく、「自分自身の意識」で臨機応変に判断し対話などを行う必要があります。
つまり、バーチャルユーチューバーはキャラクターとして生まれながら「人間の性格」と呼べるだけの「意識」も持っている、という新しい概念なのです。
さらに、細かい部分を指摘するならば
事前に録画した動画の配信に徹することで、予め作られたキャラクターとしての在り方を優先する、つまり漫画やアニメのキャラクターに近い存在のバーチャルユーチューバーもいれば
生配信を主体として、視聴者とのリアルタイムのコミュニケーションを優先し、予め作られたキャラクターではなく「人間の性格」や「意識」を優先するバーチャルユーチューバーもいます。
これらは全く違ったあり方ですが、しかし現状では
この2つが「同じもの」としてひとつのカテゴリ一に入れられているのです。
先ほど、「漫画やアニメのキャラクター」は「哲学的ゾンビ」であると言いましたが…かなり乱暴なたとえで言うと今のバーチャルユーチューバー界隈は…
ゾンビと普通の人間を「同じ種類の生き物」として分類しているかなり滅茶苦茶な状態なのです。
(※もちろん、ゾンビというのは哲学的ゾンビという用語からの例えなのでこれらの活動形態やあり方の違いによってバーチャルユーチューバーに優劣はありません。)
本来は違う概念や存在として棲み分けされるべきものが、良くも悪くもごった煮のような状態になっている。
おそらく、これが今回のテーマのもとになったツイート(による疑問の提示)をアズマリムが行った理由ではないかと思います。
6. まとめ
もし、このひたすら長く読みにくい文章をここまで読んでくださった方がいらっしゃるなら、そんなあなたはバーチャルユーチューバーやその存在意義について疑問を持っていたのだと思います。
稚拙な私の文章がどれほど、あなたの理解の助けになれたかはわかりませんが何か考えたり何かに気づくきっかけになってくれたら嬉しいと思います。