えんま市の歴史
概要
毎年6月14日から16日の3日間開催され、約20万人が訪れている。約500の露店が東本町の閻魔堂のある北国街道沿いに約2キロにわたって並ぶ越後三大縁日の一つである。
歴史
えんま市の始まりは馬市で、現在のような見世物・露店の市に変わったのは、文政年間(1818〜1829年)と言われている。えんま市がこれだけの規模になったのは、柏崎の位置と6月15日前後という日取りが、全国各地の祭りや市を次々廻っている露天商人が、一堂に会するのに都合が良かったことが要因と言われている。季節はちょうど衣替えの時期にもあり、ここで夏衣になって旅立っていったことから自然に呉服市が立つようになり、それがまた田植えを終えた農村の人たちの人気を呼んだとも言われている。また、当時の陣屋役人が、遠方・近在から入り込んでくる博徒たちの丁半勝負を黙認したことも、この市が栄える間接的な要因と言われている。
現在では、村上市の村上大祭、新潟市の蒲原大祭に並び「新潟三大高市(たかまち)」の一つにあげられ、毎年、この市を楽しみにしている多くの方の笑顔で、通りが埋め尽くされます。
しかし、2007年の中越沖地震により閻魔通りの象徴である閻魔堂が全壊した。このような悲劇が起ころうとも、市民らの寄付で2011年には復興した。この復興からすぐに、閻魔様を、参拝しようと長蛇の列を作った。
インタビュー
私の実家が柏崎にあるので、柏崎に昔から住んでいる方7人にえんま市とはあなたにとってどのようなものかをインタビューした。
もっとも多かった意見は、えんま市は柏崎の象徴であるということだった。えんま市が開催されていなければ市全体の活気がなくなってしまうのではないかという不安がある。じっさい中越沖地震により柏崎市のほとんどが全壊もしくは半壊の被害を受けた。だが、えんま市が開催されると同時にそこから一気に活気溢れ、賑わいを取り戻すことが出来た。
また、屋台の数が多く他ではあまり見かけない屋台もみかけることがあり、飽きることがないという意見もあった。下二つの写真は、「あげもんじゃ」「ラーメンバーガー」である。毎年新しいタイプの屋台が出るので今年はどんな屋台があるのか楽しみであると言っていた。
引用
えんま市|柏崎市
http://www.city.kashiwazaki.lg.jp/sightseeing_p/kanko/event/6/enma/enma.html