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5日間のロングワークで得た事。

今回のロングワークで、何個か自分の中でデカい気付きがあったので、それも記しておく。

人付き合いで、好きか嫌いかという感覚が大事なんじゃないか?ってずっと思ってきたんだけど、もしかしたら人付き合いでそこをあんまり意識しなくても良いんじゃないか?って思った。

私は割と友達が多い方なんだけど、来るもの拒まず去るもの追わずな所もあって、「誰が凄く好きか」とかよく分からんな?って思う所もあったんだよね。

でも、嫌だなーって思って避ける人間関係はハッキリあって。

それがどうも自分の中でよく分からんちん!ってなってたんだけど、もしかしたら「好きという感覚は、五感が気持ちいいとか、居心地がいいという時に感じればいいのであって、人をジャッジする時に使う感覚ではない」のかもしれないなー?って思った。

そして「嫌い」は、「人間関係で感じる嫌いは、シャドーとかネガティブな投影が絡んでいるのであって、そこを取り戻したら人に対して嫌いというジャッジはしなくなる」のかもしれないと思った。

つまり人間関係での好き嫌いはジャッジする事であって、あまりそこに意識を向けなくて良い事なんじゃないか?って思ったんだよね。まだ浅い考察なんだけど。

そんなジャッジは、人との繋がりに壁を作るだけなのかもしれない。


それともう一つ。自分のダメな所は隠さなきゃいけない所なのではなく、人に差し出して「私はこんなにダメでも生きてるよ。だからあなたも大丈夫だよ」って安心感を与える為に出していくものなのかもしれない。

ダメな所を出すのは恥ずかしい事かもしれないけど、私は今回自分のダメな所を散々出しまくった。けど、みんなそこを褒めてくれた。え?!って思ったけど、ダメな私は愛しやすい私なのかもしれない。

過去思い出しても、大遅刻した時も「あなた見てたら、これでもいいんだな!って思った」って言われたしな。

過去散々補償行為をして、「私は良い女ですよー」をやりまくってきたけど、それが私と周りを苦しめたのは間違いない。そんな完璧じゃなきゃいけない!と思ってた私が「どぉーだ!こんなにダメでも楽しく生きてるぞー!」って身を持って生きる事には意味がある。

私はこれからも「ダメでも大丈夫!」のリーダーシップを取っていきたいと思います。

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